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 今日は、平成時代の2004年(平成16)に、洋画家吉井淳二が亡くなった日です。
 吉井淳二(よしい じゅんじ)は、明治時代後期の1904年(明治37)3月6日に、鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)で生まれ、県立志布志中学(現在の鹿児島県立志布志高等学校)の二年時に画家になることを決意、1922年(大正11)に卒業後、海老原喜之助と共に上京し、共同生活をしながら川端画学校でデッサンを学びました。1924年(大正13)に東京美術学校西洋画科に入学、郷土の先輩和田英作に師事します。
 在学中の1926年(大正15)に光風会と二科会とに初入選、1928年(昭和3)には、第9回中央美術展で中央美術賞を受賞しました。1929年(昭和4)に東京美術学校西洋画科を卒業、同年11月にフランスへ渡り、イギリス、オランダ、イタリアなどに旅し、1932年(昭和7)に帰国します。
 1935年(昭和10)に二科会会友、1940年(昭和15)には二科会会員となり、二科会展では連続して出品しました。太平洋戦争末期の1945年(昭和20)に東京・杉並区南荻窪から郷里の鹿児島県に疎開、戦後の1951年(昭和26)に、鹿児島から東京の荻窪へ再び住まいを移します。
 1952年(昭和27)に、『水辺』『桃』で、二科会員努力賞を受賞、1958年(昭和33)に南日本文化賞を受賞、1961年(昭和36)には、二科会理事に就任しました。働く人々の姿を清純な色彩と詩情で写実的に描き、具象画の一方向を示し、1965年(昭和40)に『「水汲」ならびに近作』で日本芸術院賞、1968年(昭和43)に二科展で東郷青児賞、1969年(昭和44)に『浜辺の井戸』で、二科展内閣総理大臣賞を受賞、1972年(昭和47)に南日本美術展審査委員長に就任するなど数々の栄誉に輝きます。
 その後も、1976年(昭和51)に日本芸術院会員、1979年(昭和54)に二科会理事長、1985年(昭和60)に文化功労者となり、1989年(平成元)には、文化勲章も受章しました。一方で、1988年(昭和63)に、夫人の故郷である鹿児島県加世田市(現在の南さつま市)に特別養護老人ホームを開園して理事長を務め、社会福祉にも尽力します。
 最晩年は自らも加世田に暮らし、2004年(平成16)3月6日に満100歳を迎えましたが、同年11月23日に亡くなっています。

〇吉井淳二の主要な作品

・『花と女』(1926年)二科展初入選
・『踏切風景』(1927年)
・『帽子を被る女』(1936年)
・『人物』(1940年)紀元二千六百年奉祝美術展出品
・『屋久の娘』(1948年)
・『水辺』(1952年)二科会員努力賞受賞
・『桃』(1952年)二科会員努力賞受賞
・『浜の女たち』(1963年)
・『水汲』(1964年)日本芸術院賞受賞
・『浜辺の井戸』(1969年)二科展内閣総理大臣賞受賞
・『市場にて』(1977年)
・『フェイラ』(1983年)
・『村の休憩所』(1985年)

☆吉井淳二関係略年表

・1904年(明治37)3月6日 鹿児島県曽於郡末吉町(現在の曽於市)で生まれる
・1922年(大正11) 鹿児島県立志布志中学校(現在の鹿児島県立志布志高等学校)卒業
・1924年(大正13) 東京美術学校西洋画科に入学する
・1926年(大正15) 光風会と二科会とに初入選する
・1928年(昭和3) 第9回中央美術展で中央美術賞を受賞する
・1929年(昭和4) 東京美術学校西洋画科を卒業する
・1929年(昭和4)11月 フランスへ渡る
・1932年(昭和7) 帰国する
・1935年(昭和10) 二科会会友となる
・1940年(昭和15) 二科会会員となる
・1945年(昭和20) 杉並区南荻窪から郷里の鹿児島県に疎開する
・1951年(昭和26) 鹿児島から東京の荻窪へ再び住まいを移す
・1952年(昭和27) 『水辺』、『桃』で、二科会員努力賞を受賞する
・1958年(昭和33) 南日本文化賞を受賞する
・1961年(昭和36) 二科会理事に就任する
・1965年(昭和40) 『水汲』ならびに近作で、日本芸術院賞を受賞する
・1968年(昭和43) 二科展で東郷青児賞を受賞する
・1969年(昭和44) 『浜辺の井戸』で、二科展内閣総理大臣賞を受賞する
・1972年(昭和47) 南日本美術展審査委員長に就任する
・1975年(昭和50) 日伯美術展を機にブラジルを訪れる
・1976年(昭和51) 日本芸術院会員となる
・1977年(昭和52) 勲三等瑞宝章に叙される
・1979年(昭和54) 社団法人二科会理事長に就任する
・1985年(昭和60) 文化功労者として顕彰される
・1988年(昭和63) 「絵と彫刻のある憩いの園」加世田アルテンハイムを創設する
・1989年(平成元) 文化勲章を受章する
・1990年(平成2) 鹿児島市立美術館で展覧会が開催される
・2003年(平成15) 白寿を迎える
・2004年(平成16)3月6日 満100歳を迎える
・2004年(平成16)11月23日 鹿児島県において、100歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1703年(元禄16)房総半島沖を震源とする元禄地震がおきる(新暦12月31日)詳細
1707年(宝永4) 富士山宝永噴火が始まる(新暦12月16日)詳細
1896年(明治29)小説家樋口一葉の命日(一葉忌)詳細
1940年(昭和15)産業報国会の全国連合組織として大日本産業報国会が結成される詳細