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 今日は、大正時代の1914年(大正3)に、「東洋経済新報」社説に、石橋湛山の『青島は断じて領有すべからず』が掲載された日です。
 『青島は断じて領有すべからず』(ちんたおはだんじてりょうゆうすべからず)は、1914年(大正3)11月15日付「東洋経済新報」に石橋湛山によって、社説として掲載されたものでした。
 日清戦争(1894~95年)・日露戦争(1904~05年)の勝利により、日本は満州における権益を拡大し、さらに1914年(大正3)7月にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発すると、日本も8月に日英同盟にもとづいて、ドイツに宣戦布告します。そして11月に、日本は中国におけるドイツ権益の中心である山東半島の青島(チンタオ)を占領してしまいました。
 石橋湛山は、1914年(大正3)8月15日付「東洋経済新報」社説に、『好戦的態度を警む』と題し、「戦争状態を欧州に限定し、東洋の拠点を攻撃するな」と説いていましたが、その意見を聞かずに、日本は山東半島の青島を占領してしまい、それに対して、11月15日付「東洋経済新報」社説に『青島は断じて領有すべからず』が書かれたものです。その内容は、青島のある山東方面の領土経営を行ってしまえば、中国に対する日本の侵入は白日のものとなり、列強各国を動揺させるとし、この示談で日本が青島を取ってしまうと、列強各国に対して、日本が中国に対する領土的野心があることを明確に宣言するのに等しくなるから、断じて止めるべきであるとしました。
 しかし、ドイツから奪ったのは青島のある山東半島だけではなく、南洋群島(マリアナ・カロリン・マーシャル諸島など赤道北の太平洋諸島左半分)も日本が権益を持つことになります。石橋湛山の指摘通り、日本はこれ以降も領土拡大路線を続けて、列強各国との軋轢を深め、最後には太平洋戦争へと突き進むこととなりました。
 以下に、1914年(大正3)11月15日付「東洋経済新報」社説、石橋湛山の『青島は断じて領有すべからず』を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇(東洋経済新報社説)石橋湛山『青島は断じて領有すべからず』(全文)1914年(大正3)11月15日付

 青島陥落[1]が吾輩[2]の予想より遥かに[3]早かりしは、同時に戦争の不幸の亦た意外に少なかりし意味に於いて、国民とともに深く喜ぶ処なり。然れども、かくてわが軍の手に帰せる[4]青島は、結局如何に処分するを以って、最も得策となすべきか。是れ実に最も熟慮[5]を要する問題なり。
 この問題に対する吾輩[2]の立場は明白なり。亜細亜大陸に領土を拡張すべからず。満州[6]も宣しく早きに迨んで[7]之を放棄すべし、とは是れ吾輩の宿論[8]なり。更に新たに支邦[9]山東省の一角に領土を獲得する如きは、害悪に害悪を重ね、危険に危険を加うるもの、断じて反対せざるを得ざる所なり。
 そもそも青島を我が領土となすことによって、果たして極東平和の増進に効ありやというに、吾輩[2]の所見にては、寸益[10]なくしてかえって舞台を険悪に置くの害あるを虞る[11]。吾輩[2]は本来、独逸[12]の青島租借[13]、山東経営[14]を以て、格別東洋の平和を危うくするの害あるを認めず、かえって支那[9]富源[15]の開発繁栄の増進に大効あることを信ずるものなるが、仮りに、我が政府当局及び世人の多数の考する如く、東洋の平和に害ありとせん。しかれども独逸[11]を支那[9]大陸の一角より駆逐[16]して、日本が代ってその一角に盤踞[17]すれば、それが、何故に東洋の平和を増進することとなり得るや。換言[18]すれば、独逸[12]が青島を持てば東洋の平和に有害なれども、日本が青島をもてば東洋に害なしという理由如何[19]。もし支那[9]以外の国が、支那[9]領土の一部を領有することが、支那[9]分割の端を啓き[20]、あるいは支那[9]における列国の機会均等主義を破り、支那[9]を舞台とする国際関係を険悪に導くというのならば、独逸[12]の青島領有の平和に害ある如く、日本これを領有するもまた、均しく有害ならざるを得ず。否、豈[21]独り青島領有のみならん。その他、日本の南満州における、英国の威海衛[22]における、仏蘭西の広州湾[23]における、皆ことごとく東洋の平和に有害ありとなさざるべからず。もしまた、独逸[12]国民の性質および政策に特に危険の指摘すべきものあるか。世人はややもすれば[24]、独逸[12]の帝国主義[25]と、強大なる軍備とを挙ぐるといえども、この点において、露米英の諸国また、独逸[12]に優るとも決して劣るものにあらず。かつ独逸[12]は、北清事変[26](列国の支那膺懲[27])を除き、最近四十余年間一度も開戦したることなし。戦争を避け、平和を好愛せること、独逸[12]国民の如きは極めて稀なりといわざるを得ず。故にいずれの点より見るも、我が国が独逸[12]に代りて青島を領有するも、毫も[28]東洋の平和を増進すべき理由あるを発見する能わず[29]。
 加之[30]、更に一歩を進めて考うるに、英仏米の諸国が、支那[9]領土を割取[31]するの野心なきは天下の認むる所、否、この三国は衷心[32]より、他国の、支那[9]分裂を恐れ、百方その防止に努力しつつあり。而して[33]ややもすれば[24]支那[9]の領土に野心を包蔵[34]すと認められつつあるは、露独日の三国なり。この点において、我が日本は深く支那[9]人恐れられ排斥[35]を蒙り、更に米国には危険視さられ、盟邦[36]の英人にすら大いに猜疑[37]せらる。しかるに、今もし独逸[12]を支那[9]の山東より駆逐[16]せよ、ただそれだけにても日本の支那[9]における満州[6]割拠[38]は、著しく目立つべきに、その上、更に青島を根拠として、山東の地に、領土的経営[14]を行わば、その結果は果して如何[19]。支那[9]における我が国の侵入はいよいよ明白となりて、世界列強の視聴を聳動[39]すべきは論を待たず。我が国人をして言わしむれば、我が国が満州[6]に拠り、山東に拠ることは、国際的に、内乱的に、支那[9]に一朝事ある場合には我が有力なる陸海軍を迅速に、有効に、はたらかして、速やかに平和の回復を得しめ、はたまた禍乱[40]を未発[41]に防止する所以てなりと、説かんも、支那[9]国民自身、および支那[9]に大利害を有する欧米諸国の立場より見れば、これほど、危険にして恐るべき状態はあるべからず。
 戦争中の今日こそ、仏人の中には、日本の青島割取[29]を至当[42]なりと説くものあるを伝うと雖[43]這次[44]の大戦よりも癒よ終りを告げ、平和を回復し、人心落ち着きて、物を観得る暁[45]に至れば、米国は申す迄もなく、我に好意を有する英仏人と雖[43]、必ずや愕然[46]として畏るる所を知り、我が国を目して極東の平和に対する最大の危険国となし、欧米の国民が互いに結合して、我が国の支邦[9]における位地の覆覆[47]に努むべきは、今より想像し得て余りあり。かくて我が国の青島割取[29]は実に不抜[48]の怨恨[49]を支邦[9]人に結び、列強には危険視せられ、決して東洋の平和を増進する所以にあらずして、却って形勢を切迫に道く[50]ものにあらずや。
 這回[51]の戦争に於いて、独逸[12]が勝つにせよ負くるにせよ、我が国が独逸[12]と開戦し、独逸[12]を山東より駆逐[16]せるは我が外交第一着の失敗なり。若夫れ我が国が独逸[12]に代わって青島を領得[52]せば、是れ更に重大なる失敗を重ねるるものなり。其の結果は豈[20]ただ我が国民に更に限りなき軍備拡張の負担を強ゆるのみならんや。青島の割取[29]は断じて不可なり。

   1914年(大正3)11月15日付「東洋経済新報」社説より

【注釈】

[1]青島陥落:ちんたおかんらく=1914年8月23日に日本はドイツに宣戦布告し、11月7日にドイツ租借地の中国山東省青島を占領したことを指す。
[2]吾輩:わがはい=石橋湛山のこと。
[3]遥かに:はるかに=年月が長く隔たっているさま。
[4]わが軍の手に帰せる:わがぐんのてにきせる=11月7日にドイツ租借地の中国山東省青島を占領したことを指す。
[5]熟慮:じゅくりょ=よくよく考えること。いろいろなことを考えに入れて、念入りに検討すること。
[6]満州:まんしゅう=ここでは日露戦争によって獲得した遼東半島先端の関東州と長春以南の南満州鉄道付属地を指す。
[7]迨んで:およんで=いたって。追いついて。
[8]宿論:しゅくろん=前々から持っていた意見。もとからの論。
[9]支邦:しな=中国に対してかつて日本人が用いた呼称。
[10]寸益:すんえき=少しの利益。
[11]虞る:おそる=こわがる。恐怖となる。不安となる。
[12]独逸:どいつ=当時のドイツ帝国のこと。
[13]租借:そしゃく=ある国が、特別の合意のうえ他国の領土の一部を一定の期間を限って借りること。
[14]経営:けいえい=政治や公的な行事などについて、その運営を計画し実行すること。
[15]富源:ふげん=財を生み出すもと。富の源泉。また、富を生ずる資源。
[16]駆逐:くちく=追い払うこと。
[17]盤踞:ばんきょ=その地方一帯に勢力を張っていること。
[18]換言:かんげん=別の言葉に換えて表現すること。言い換えること。
[19]如何:いかん=どのようであるかの意。
[20]端を啓き:たんをひらき=きっかけを作り。新たにことを始め。
[21]豈:あに=反語表現に用いる。どうして。何として。
[22]威海衛:いかいえい=中国,山東半島北岸の港湾都市で、1898年にイギリスはロシアの旅順・大連租借に対抗してこの地を25年間租借した。
[23]広州湾:こうしゅうわん=中国広東省南西部、雷州半島東岸にある湾で、1899年から1945年までフランスの租借地となった。
[24]ややもすれば=とかくある状況になりやすいさま。どうかすると。ともすれば。
[25]帝国主義:ていこくしゅぎ=一つの民族または国家が、政治的、経済的に他民族または国家を支配して強大な国家をつくろうとする運動。
[26]北清事変:ほくしんじへん=1900年の中国の義和団の乱に対する列国の出兵事件。
[27]膺懲:ようちょう=うちこらすこと。征伐してこらしめること。
[28]毫も:ごうも=すこしも。ちっとも。いささかも。
[29]能わず:あたわず=なしえない。できない。
[30]加之:しかのみならず=そればかりでなく。それに加えて。
[31]割取:かっしゅ=他の所有物からその一部を割(さ)いて取ること。特に、一国の領土の一部の主権を他国が受け取る場合に多く用いられる。
[32]衷心:ちゅうしん=心の中。心のおくそこ。ほんとうの気持。
[33]而して:しこうして=そうして。それに加えて。
[34]包蔵:ほうぞう=包みおさめること。内部にもっていること。また、内にかくしもつこと。内蔵。
[35]排斥:はいせき=受け入れられないとして、押しのけ、しりぞけること。
[36]盟邦:めいほう=同盟を結んだ国。同盟国。
[37]猜疑:さいぎ=何か自分に不利になるようなことをするのではないかと思って人を疑うこと。
[38]割拠:かっきょ=権力者が、各自ある地域を領有し、そこをよりどころにして勢力を張ること。分拠。
[39]聳動:しょうどう=恐れおののくこと。恐れおののかせること。
[40]禍乱:からん=世の中が乱れること。騒動。
[41]未発:みはつ=まだ起こらないこと。まだ外に現れないこと。
[42]至当:しとう=きわめて当然な、もっともなこと。
[43]雖:いえども=たとい…でも。…だとて。…たとて。
[44]這次:しゃじ=この度。
[45]暁:あかつき=その事が起こったその時。
[46]愕然:がくぜん=おどろくさま。非常にびっくりするさま。
[47]覆覆:てんぷく=ひっくり返る。くつがえる。くつがえす。
[48]不抜:ふばつ=しっかりしていて動かないこと。意志が強くて動揺しないこと。
[49]怨恨:えんこん=うらむこと。また、深いうらみの心。
[50]道く:みちびく=物事がそうなるように働きかける。事柄をある方向へ動かす。
[51]這回:しゃかい=この回。今回。
[52]領得:りょうとく=自己または第三者のものとする目的で、他人の財物を不法に取得すること。

<現代語訳>

 青島陥落が私の予想よりはるかに早く、同時に戦争の不幸がまた意外に少なかったという意味において、国民と共に深く喜ぶことである。しかし、このようにして日本軍が占領した青島は、結局どのように処分するかによって、最も得策とするべきか。これは実に最もよく考えることを要する問題である。
 この問題に対する私の立場は明白である。アジア大陸に領土を拡張すべきではない。満州もよろしく早々にこれを放棄すべきである、とはこれ私の前々から持っていた意見である。さらに新たに中国山東省の一角に領土を獲得するようなことは、害悪に害悪を重ね、危険に危険を加えるもので、断じて反対せざるを得えないことである。
 そもそも青島を日本の領土とすることによって、果たして極東平和の増進に効果があるかというと、私の所見では、少しの利益もなくしてかえって舞台を険悪に置くの害のあることを恐れる。私は本来、ドイツ帝国の青島租借、山東経営によって、とりわけ東洋の平和を危うくするの害あるとは認めない、かえって中国の富の源泉の開発繁栄の増進に大いに効果があることを信ずるものではあるが、仮りに、日本政府当局および世の中の人の多数が考えるように、東洋の平和に害ありとしよう。けれどもドイツ帝国を中国大陸の一角より追い出して、日本が代ってその一角に勢力を張れば、それが、どうして東洋の平和を増進することになるのだろうか。言い換えれば、ドイツ帝国が青島を持てば東洋の平和に有害であるけれども、日本が青島を持てば東洋に害はないという理由はどうであろうか。もし中国以外の国が、中国領土の一部を領有することが、中国分割のきっかけを作り、あるいは中国における列国の機会均等主義を破り、中国を舞台とする国際関係を険悪に導くというのならば、ドイツ帝国の青島領有が平和に害があるように、日本がこれを領有するのもまた、均しく有害にならざるを得ない。いや、どうして一つの青島領有のみのことであろうか。その他、日本の南満州における権益、イギリスの威海衛における権益、フランスの広州湾における権益、みなことごとく東洋の平和に有害ありとしなければならないだろう。もしまた、ドイツ帝国国民の性質および政策に特に危険の指摘すべきものがあるのか。世の中の人はともすれば、ドイツ帝国の帝国主義と、強大なる軍備とをあげるといっても、この点において、ロシア・アメリカ・イギリスの諸国もまた、ドイツ帝国に優るとも決して劣るものではない。しかもドイツ帝国は、北清事変(列国の中国征伐)を除き、最近40余年間一度も開戦したことはない。戦争を避け、平和を愛好すること、ドイツ帝国国民のようなのは極めて稀であるといわざるを得ない。従っていずれの点より見ても、日本がドイツ帝国に代わって青島を領有することは、少しも東洋の平和を増進すべき理由があることを発見することができない。
 そればかりでなく、さらに一歩を進めて考えてみると、イギリス・フランス・アメリカの諸国が、中国領土を割いて取ろうとするという野心がないことは天下の認める所である、いや、この三国は心の奥底より、他国による、中国分裂を恐れ、あらゆる手段でその防止に努力しつつある。そうして、ともすれば中国の領土に野心を内に隠し持つと認められつつあるのは、ロシア・ドイツ・日本の三国である。この点において、我が日本は深く中国人に恐れられ受け入れられないとして、押しのけ、しりぞけられ、さらにアメリカには危険視させられ、同盟国のイギリス人にすら何かするのではないかと大いに疑われている。しかるに、今もしドイツ帝国を中国の山東より追い出したにせよ、ただそれだけでも日本の中国における満州地域の領有は、著しく目立っているのに、その上、さらに青島を根拠として、
山東の地に、領土的経営を行ったならば、その結果は果してどのようであろうか。中国における日本の侵入はいよいよ明白となって、世界列強から注目され、恐れおののかさせるべきことは論を待たない。日本人として言わしてもらえば、日本が満州に拠り、山東に拠ることは、国際的に、内乱的に、中国に一朝事ある場合には日本の有力なる陸海軍を迅速に、有効に、はたらかして、速やかに平和の回復を得させ、はたまた世の中が乱れを起こさない内に防止する理由であると、説明しても、中国国民自身、および中国に大きな利害を有している欧米諸国の立場より見れば、これほど、危険にして恐るべき状態はあってはならない。
 戦争中の今日こそ、フランス人の中には、日本が青島を割いて取ることを、もっともなことであると説明するものがあるといっても、この度の大戦もいよいよ終りを告げ、平和を回復し、人心が落ち着いて、物を観得るような時に至ったならば、アメリカはいうまでもなく、日本に好意を持っているイギリス・フランス人といっても、必ずや非常に驚いて、恐れることを知り、日本を見離して極東の平和に対する最大の危険国とし、欧米の国民が互いに結び合って、日本の中国における立場をひっくり返すように努めるべきは、今より想像してみても余りがある。そのようにして、日本が青島を割いて取ることは実に抜き去りがたい深いうらみの心を中国人に結実させ、列強には危険視せられ、決して東洋の平和を増進することにはならないもので、かえって形勢を切迫に導くものになるのではないか。
 今回の戦争において、ドイツ帝国が勝つにせよ負けるにせよ、日本がドイツ帝国と開戦し、ドイツ帝国を山東より追い出したのは、日本外交の一番の失敗である。もしそれで、日本がドイツ帝国に代わって青島を不法に取得すれば、これはさらに重大な失敗を重ねるものである。その結果は、どうしてただ日本国民にさらに限りなき軍備拡張の負担を強いるだけではないのか。青島を割いて取ることは断じてやってはならないことである。

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