今日は、平安時代後期の1075年(承保2)に、平安時代の公卿・関白藤原教通が亡くなった日ですが、新暦では11月6日となります。
藤原教通(ふじわら の のりみち)は、996年(長徳2年6月7日)に、京都において摂政藤原道長の三男(母は左大臣源雅信の女倫子)として生まれましたが、同母兄・頼通と同じく嫡子として扱われました。1006年(寛弘3)に元服し、正五位下となり、昇殿を許され、侍従となります。
1008年(寛弘5)に従四位下、1008年(寛弘5)に従四位上、1010年(寛弘7)に従三位となり公卿に列しました。その後も順調に昇進し、1011年(寛弘8)に正三位、1013年(長和2)に権中納言、従二位、1019年(寛仁3)に権大納言、1021年(寛仁5)には内大臣となります。
1028年(万寿4)に父・道長が亡くなりましたが、1039年(長暦3)には、娘・生子が第69代後朱雀天皇のもとに入内しました。それからも1047年(永承2)に右大臣となり、1047年(永承2)に娘・歓子が第70代後冷泉天皇のもとへ入内、1057年(天喜5)に従一位、1060年(康平3)には左大臣に至ります。
1064年(康平7)に兄・頼通より藤原氏長者を譲られ、1068年(治暦4)には関白宣下されました。しかし、娘2人にいずれも皇子が生まれなかったことから、同年に藤原氏と外戚関係のない後三条天皇が即位し、摂関家抑圧策をとったため,以後摂関家は衰退に向かいます。
1070年(延久2)に太政大臣宣下されたものの、翌年には辞し、1075年(承保2)に京都において、数え年83歳で亡くなり、正一位を追贈されています。
〇藤原教通関係略年表(日付は旧暦です)
・996年(長徳2年6月7日) 京都において摂政藤原道長の三男(母は左大臣源雅信の女倫子)として生まれる
・1006年(寛弘3年12月5日) 元服し、正五位下となり、昇殿を許される
・1006年(寛弘3年12月16日) 侍従、禁色
・1007年(寛弘4年1月28日) 右兵衛佐となる
・1007年(寛弘4年11月2日) 右近衛少将となる
・1008年(寛弘5年1月7日) 従四位下となる
・1008年(寛弘5年1月28日) 右近衛中将、兼近江介となる
・1008年(寛弘5年10月16日) 従四位上となる
・1009年(寛弘6年3月20日) 左近衛中将となる
・1010年(寛弘7年11月28日) 従三位となる
・1011年(寛弘8年8月11日) 正三位となる
・1011年(寛弘8年12月18日) 兼中宮権大夫(中宮・藤原彰子)となる
・1012年(寛弘9年1月27日) 兼近江権守となる
・1012年(寛弘9年2月14日) 兼皇太后宮権大夫(皇太后・藤原彰子)となる
・1013年(長和2年6月23日) 権中納言、兼左衛門督となる
・1013年(長和2年9月16日) 従二位となる
・1013年(長和2年12月19日) 兼検非違使別当となる
・1014年(長和3年8月) 正室・藤原公任の娘との間に生子(後に第69代後朱雀天皇の女御)が生まれる
・1014年(長和3年11月) 去検非違使別当となる
・1015年(長和4年10月21日) 正二位となる
・1017年(長和6年4月3日) 兼左近衛大将となる
・1017年(長和6年8月9日) 兼春宮大夫(皇太子:敦良親王)となる
・1019年(寛仁3年12月21日) 権大納言となる
・1021年(寛仁5年7月25日) 内大臣となる
・1021年(治安元年) 正室・藤原公任の娘との間に歓子(後に第70代後冷泉天皇の皇后)が生まれる
・1028年(万寿4年12月4日) 父・道長が亡くなる
・1037年(長元10年8月17日) 兼東宮傅(皇太子・親仁親王)となる
・1039年(長暦3年11月21日) 娘・生子が第69代後朱雀天皇のもとに入内する
・1045年(寛徳2年1月16日) 東宮傅を辞す
・1046年(寛徳3年11月25日) 兼東宮傅(皇太子・尊仁親王)となる
・1047年(永承2年8月1日) 右大臣となる
・1047年(永承2年8月9日) 左近衛大将となる
・1047年(永承2年10月14日) 娘・歓子が第70代後冷泉天皇のもとへ入内する
・1057年(天喜5年1月7日) 従一位となる
・1060年(康平3年7月17日) 左大臣となる
・1062年(康平5年4月11日) 左近衛大将を辞す
・1064年(康平7年12月13日) 兄・頼通より藤原氏長者を譲られる
・1068年(治暦4年4月16日) 関白宣下される
・1068年(治暦4年4月19日) 藤原氏と外戚関係のない第71代後三条天皇が即位する
・1068年(治暦4年4月19日) 東宮傅を止める
・1069年(治暦5年8月13日) 左大臣を辞す
・1070年(延久2年3月23日) 太政大臣宣下される
・1071年(延久3年8月10日) 太政大臣を辞す
・1074年(延久6年2月2日) 兄・頼通が亡くなる
・1075年(承保2年9月25日) 京都において、数え年83歳で亡くなる
・1075年(承保2年10月6日) 正一位を追贈される
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