今日は、昭和時代中期の1954年(昭和22)に、北海道の岩内大火で、3,298戸が焼失した日です。
岩内大火(いわうちたいか)は、北海道岩内郡岩内町において、午後8時15分頃に相生20番地の西口アパートから発火し、折からの洞爺丸台風(昭和29年台風15号)の暴風下(37.6m/s)において、瞬く間に燃え広がりました。各所に飛火し、港内に繋留した発動機船を焼き遂に全町火の海と化し、焼くべきものがなくなって、ようやく翌日午前6時頃に鎮火します。
この結果、市街地の8割(32万坪)が焼失し、死者35名、行方不明3名、負傷者551名、焼失家屋3,298戸、罹災者16,622名、損害額は当時の金額で推定98億900万円と甚大なものとなりました。これは、国内の戦後における大火の中でも、1952年(昭和27)4月17日の鳥取大火、1947年(昭和22)4月20日の飯田大火に次ぐ大惨事とされています。
この大火を知った世間では「岩内はもう駄目だ、町はつぶれてしまう。」という話が流れたものの、大火後直ちに単なる復興ではなく、より良い町づくりを目指して都市計画が立てられ、道路拡幅や公園(防火地帯、避難場所、児童遊園地、公共庭園など多目的)が設置されました。それから1年で奇跡的に復興し、3年後には前にもまして立派な近代都市に生まれかわったと言われています。
〇洞爺丸台風とは?
昭和時代中期の1954年(昭和29)9月21日に、ヤップ島の北の海上で発生した、昭和29年台風第15号(国際名:Marie)のことです。25日早朝に台湾の東の海上で北東に向きを変え、東シナ海をほとんど一直線に時速80kmで北東進して、26日午前2時頃に大隅半島に上陸しました。
九州東部を縦断後、中国地方を時速100kmで横断、午前8時頃山陰沖から日本海に進んで、再び発達しながら北海道の西側を北東に進み、午後9時には最盛期を迎え北海道寿都町沖を通過、27日0時過ぎには稚内市付近に達します。この台風による降水量は、九州と中国地方では200mmを超えた所があったものの、他の地方ではそれほどでもありませんでしたが、西日本や東北、北海道の各地で30m/s以上の暴風が吹いて大きな被害を出しました。
これによって、函館港沖で座礁転覆し乗客乗員1,139人が死亡し、大惨事となった洞爺丸をはじめ、計5隻の青函連絡船が沈没するなど、船舶被害は5,581隻に達します。また、北海道岩内郡岩内町でフェーンによる大火(岩内大火)が発生し、焼失家屋3,298戸(全家屋の約8割)、焼失面積32万坪、罹災者16,622人、死者35人、行方不明3人に達しました。
被害は九州から北海道まで全国に及び、風水害、高潮害、塩害、波浪害、山崩れ、火災など各種の災害により、全国で死者1,361人、行方不明者400人、住家の全・半壊・流出207,542戸、住家の床上・下浸水103,533戸、耕地被害82,963haという大きな被害となります。特に、洞爺丸沈没によって大きな被害が出たので、その後気象庁は、この台風を洞爺丸台風と命名しました。
☆太平洋戦争後の日本の大火(500棟以上の焼失で、地震によるものを除く)
・1947年(昭和22)4月20日 - 飯田大火(長野県飯田市)
死者・行方不明者3名、焼失棟数3,742棟、焼損面積約48ha、罹災戸数4,010戸、罹災人員17,778名
・1949年(昭和24)2月20日 - 第一次能代大火(秋田県能代市)
死者3名、負傷者132名、焼失家屋2,237棟、焼失面積83.6ha、罹災世帯1,755世帯、罹災人員8,790名
・1952年(昭和27)4月17日 - 鳥取大火(鳥取県鳥取市)
死者3名、罹災家屋5,228戸、罹災面積約160ha、罹災者2万451人
・1954年(昭和29)9月26日 - 岩内大火(北海道岩内郡岩内町)
死者35名、負傷者551名、行方不明3名、焼失戸数3,298戸、焼失面積約106ha、罹災者16,622名
・1955年(昭和30)10月1日 - 新潟大火(新潟県新潟市)
行方不明者1名、負傷者175名、焼失棟数892棟、焼失面積約26ha、罹災世帯1,193世帯、罹災人員5,901名
・1956年(昭和31)3月20日 - 第二次能代大火(秋田県能代市)
死者なし、負傷者194名、焼失家屋1,475棟、焼失面積約31.5ha、罹災世帯1,248世帯、罹災人員6,087名
・1956年(昭和31)9月10日 - 魚津大火(富山県魚津市)
死者5名、負傷者170名(うち重傷者5名)、焼失戸数1,583戸、罹災者7,219名
・1965年(昭和40)1月11日 - 伊豆大島大火(東京都大島町)
死者なし、全焼戸数584棟418戸、焼失面積約16.5ha、罹災世帯408世帯1,273名、被害総額20億7千万円
・1976年(昭和51)10月29日 - 酒田大火(山形県酒田市)
死者1名、焼失棟数1,774棟、焼失面積約22.5ha、被災者約3,300名、被害総額約405億円
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1945年(昭和20) | 哲学者・評論家・思想家三木清の命日 | 詳細 |
1954年(昭和29) | 洞爺丸台風が襲来し、青函連絡船洞爺丸が転覆、岩内町で大火が起きる | 詳細 |
1959年(昭和34) | 伊勢湾台風が襲来する(死者 4,697名、行方不明者 401名、負傷者 38,921名) | 詳細 |
1962年(昭和37) | 若戸大橋が開通する | 詳細 |