今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、小説家・児童文学者・俳人巖谷小波が亡くなった日です。
巖谷小波(いわや さざなみ)は、明治時代前期の1870年(明治3年6月6日)に、東京府麴町平河町(現在の東京都千代田区)で、高級官吏で書家としても知られた父・巌谷一六の三男として生まれましたが、本名は季雄(すえお)と言いました。1876年(明治9)にドイツ語を習いはじめ、1879年(明治12)に兄の立太郎がドイツからヨーロッパの昔話や童話が収録された「オットーのメルヘン集」のドイツ語本を贈ってきたことで、文学に目覚めます。
1881年(明治14)に医学予備校に入学したものの、1883年(明治16)には、医学の道にすすむのを嫌い、文学に興味を持ちはじめました。1884年(明治17)に、独逸学協会学校、川田甕江塾に学び、周囲の反対の中で文学を志して進学を放棄し、1887年(明治20)には、尾崎紅葉らの硯友社に参加、初めての小説「真如の月」を連載します。
1888年(明治21)に、「五月鯉」、「鬼車」を連載、翌年には、「五月鯉」を改題し、『初紅葉』として刊行しました。1891年(明治24)に、創作童話「こがね丸」を発表すると好評を博し、児童読物の執筆に専念するようになり、1894年(明治27)には、博文館に入社し、「幼年世界」「少女世界」「少年世界」の主筆となります。
その後、『日本昔噺』 (1894~96年) 、『日本お伽噺』 (1896~98年) 、『世界お伽噺』 (1899~1908年) 、『世界お伽文庫』 (1910年) 、『小波お伽百話』 (1910年) などを編纂し、明治の児童文学界に重きをなしました。一方、1900年(明治33)にドイツのベルリン大学東洋語学校に日本語教師として赴任、2年後に帰国すると、その見聞をもとに、「学校芝居」を提唱し、そのための脚本も書きます。
また、作詞活動も並行して行い、文部省唱歌「ふじの山」、「一寸法師」などや各地の学校の校歌も手がけました。さらに、自伝『我が五十年』(1920年)を出し、俳人としても一家をなし、句集『ささら波』(1932年)を成しましたが、1933年(昭和8年)9月5日に、東京において、数え年64歳で亡くなっています。
〇巖谷小波の主要な著作
・『日本昔噺』(1894~96年)
・『日本お伽噺』(1896~98年)
・『世界お伽噺』(1899~1908年)
・『世界お伽文庫』(1910年)
・『小波お伽百話』(1910年)
・エッセイ『桃太郎主義の教育』(1915年)
・自伝『我が五十年』(1920年)
・句集『ささら波』(1932年)
☆巖谷小波関係略年表
・1870年(明治3年6月6日) 東京府麴町平河町(現在の東京都千代田区)で、高級官吏で書家としても知られた父・巌谷一六の三男として生まれる
・1876年(明治9年) 7歳の時、ドイツ語を習いはじめる
・1879年(明治12年) 10歳の時に兄の立太郎がドイツからヨーロッパの昔話や童話が収録された「オットーのメルヘン集」のドイツ語本を贈ってくる
・1881年(明治14年) 12歳の時、医学予備校に入学する
・1883年(明治16年) 14歳の時、医学の道に進むのを嫌い、文学に興味を持ち始める
・1884年(明治17年) 15歳の時、独逸学協会学校、川田甕江塾に学ぶ
・1887年(明治20年) 18歳の時、尾崎紅葉らの硯友社に参加、初めての小説「真如の月」を連載する
・1888年(明治21年) 19歳の時、「五月鯉」、「鬼車」を連載する
・1889年(明治22年) 「五月鯉」を改題し、『初紅葉』として春陽堂から刊行する
・1891年(明治24年) 創作童話「こがね丸」を発表する
・1894年(明治27年) 博文館に入社し、「幼年世界」「少女世界」「少年世界」の主筆となる
・1898年(明治31年) 1月から「少年世界」に「新八犬伝」を連載する
・1900年(明治33年) ドイツのベルリン大学東洋語学校に日本語教師として赴任する
・1902年(明治35年) ドイツから帰国後、その見聞をもとに、「学校芝居」を提唱し、そのための脚本も書く
・1903年(明治36年) 日本に児童演劇の樹立を目指し、ドイツの少年小説を翻案してお伽芝居の脚本『春若丸』を発表する
・1906年(明治39年) 「お伽身上話」を出す
・1911年(明治44年) 文部省唱歌「ふじの山」の作詞をする
・1920年(大正9年) 自伝『我が五十年』を出す
・1932年(昭和7年) 句集『ささら波』を出す
・1933年(昭和8年)9月5日 東京において、数え年64歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1905年(明治38) | 「日露講和条約(ポーツマス条約)」が調印され、日露戦争が終結する | 詳細 |
日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」を巡って、東京で日比谷焼打事件が起きる | 詳細 | |
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1975年(昭和50) | 日本画家堂本印象の命日 | 詳細 |