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 今日は、昭和時代後期の1968年(昭和43)に、飛騨川バス転落事故が起き、死者104人を出した日です。
 飛騨川バス転落事故(ひだがわバスてんらくじこ)は、岐阜県加茂郡白川町地内の国道41号線を走行中の岡崎観光自動車の観光バス15台の内の2台が、午前2時11分に集中豪雨による土石流にのまれて飛騨川へ転落した事故でした。被害にあったのは、名古屋市内から乗鞍岳へ向かっていた「乗鞍雲上ファミリーパーティ」のバスツアーの一行で、名古屋市内の主婦とその家族を中心に730人が参加、バス15台に分乗して出発しましたが、豪雨のため登山を断念して引き返す途中に現場を通行中、内2台(乗員乗客計107人が乗車)が土石流に巻き込まれて飛騨川の濁流に転落したものです。
 事故の第一報は、他のバス運転手の通報により、対岸の下山ダム事務所から上麻生発電所を通じ、地元の加茂警察署に連絡されましたが、事故発生後3時間29分後の午前5時40分頃でした。救助活動は、地元白川町の派出所員3人と加茂警察署の4人が合流して始まり、9月15日までに36,683名の大規模な捜索隊、自衛隊、消防、警察などを繰出し、事故発生から1ヶ月余にわたる捜索が続けられたものの、乗員乗客計107人中、104人が死亡するという大惨事となります。
 その後、遺族側が損害賠償を求めた訴訟で、名古屋高裁は1974年(昭和49)11月に、「土砂崩れの発生は予測可能だった。道路の安全管理に不備があった」と一審判決より賠償額を増やして国に約4億円の支払いを命じる判決を下し、その後確定しました。尚、1969年(昭和44)8月18日、一周忌を迎えて事故現場から約300m下流の国道41号脇に、慰霊のため「天心白菊の塔」が建立されています。

〇「天心白菊の塔」碑文

天心白菊の塔
内閣総理大臣 佐藤榮作謹書

あゝ悲し逆天台風七号 昭和四十三年八月十八日未明 災禍の尊霊 遭難バス百四名 地元災害十四名
天心とは宇宙の根源なりここに在すみたまを偲び謹んで白菊を捧ぐ 岐阜県知事平野三郎

この塔は全国の善意と浄財によりて建立せり 昭和四十四年八月十八日 岐阜県白川町
飛騨川バス事故遺族会

由緒

昭和43年8月18日午前2時11分この上流約300 mの国道41号線上で折からの集中豪雨を避難していた観光バス2輌が、山上から流出落下してきた土石流に押し流され濁流渦巻く飛騨川に転落水没し一瞬にして乗客・乗務員104名の尊命が奪われるという一大惨事が発生しました。しかも、この中濃地方で時を同じくして災害のため14名の犠牲者が出ました。同年8月17日夜半から18日未明にわたり突如として襲った、異常にして激甚なる集中豪雨による災禍はまさにこの地方の機能を麻痺せしめ、各所に悲惨な被害と事故を惹きおこしたものでありました。この塔は、全国に浄財を求めもろもろの善意を結集し建立したもので遭難現場の天心に彷徨される災禍犠牲者118名のみたまを偲び、かくの如き惨事のふたたびくりかへされない様、永遠の平穏を祈念せんとするものであります。大自然の環境とともに在るこの聖地がいつまでも清浄に皆様のより美しい善意によって守護されることを希求してやみません。合掌

昭和44年8月18日建之 岐阜県加茂郡白川町
飛騨川バス事故遺族会

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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