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 今日は、昭和時代後期の1985年(昭和60)に、日本航空123便墜落事故が起き、乗員乗客524人中520人の死亡者を出した日です。
 日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、羽田発大阪行きの日本航空123便のボーイング747SR機が群馬県御巣鷹尾根に墜落した事故でした。これによって、乗客509人、乗員15人の計524人の内、520人が死亡し、単独機の事故としては史上最大の死者を出しています。
 この便は東京国際空港(羽田空港)を午後6時12分に離陸し、大阪国際空港(伊丹空港)に向かった定期旅客便で、午後6時24分頃に大島~下田間の上空7,300mを巡行中に異常が発生、機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼と補助動力装置が脱落し、油圧操縦システムを全喪失して操縦不能に陥り、その後駿河湾から右に旋回し富士山北麓を通過、山梨県大月市や奥多摩の上空を経て、迷走飛行の末、午後6時56分30秒群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(標高1,565メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落しました。夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、歌手の坂本九、女優の北原遥子、阪神タイガース社長の中埜肇(なかのはじむ)ら著名人を含む死者520人(生存者4人)という多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えています。
 事故原因は、1987年(昭和62)に公表された、運輸省の航空事故調査委員会の報告書によると、機体後部の圧力隔壁の亀裂が原因で、1978年(昭和53)に当該機が伊丹空港での着陸時に事故を起こしたのち、ボーイングが行なった修理の不備が墜落事故につながったとしています。事故後、毎年8月12日に事故現場の「御巣鷹の尾根」で慰霊登山が行なわれ,麓の「慰霊の園」にて追悼式典が営まれてきました。

〇戦後の日本における重大航空機事故(死者30名以上)一覧

・1952年(昭和27)4月9日 日本航空301便(もく星号) 機種:マーチン2-0-2
 状況: 伊豆大島の三原山山頂付近に墜落。乗員乗客37人全員が死亡。
・1958年(昭和33)8月12日 全日本空輸25便 機種:ダグラスDC-3
 状況: エンジントラブルのため羽田空港に引き返そうとしたが、利島近海に墜落。乗員乗客33人全員が死亡。
・1966年(昭和41)2月4日 全日本空輸60便 機種:ボーイング727-81
 状況: 羽田空港着陸直前に東京湾に墜落(原因不明)。乗員乗客133人全員が死亡。
・1966年(昭和41)3月4日 カナダ太平洋航空402便 機種:ダグラスDC-8-43
 状況: 濃霧の中、羽田空港への着陸に失敗し爆発炎上。乗員乗客72人中64人が死亡。
・1966年(昭和41)3月5日 英国海外航空 (BOAC) 911便 機種:ボーイング707-436
 状況: 富士山上空で乱気流に巻き込まれて機体が空中分解し墜落。乗員乗客124人全員が死亡。
・1966年(昭和41)11月13日 全日本空輸533便 機種:日本航空機製造YS-11-111
 状況: 松山空港への着陸に失敗したため、着陸復行したが瀬戸内海沖合に墜落。乗員乗客50人全員が死亡。
・1971年(昭和46)7月3日 東亜国内航空63便(ばんだい号) 機種:日本航空機製造YS-11A-217
 状況: 函館空港への着陸アプローチ中に山間部に墜落。乗員乗客68人全員が死亡。
・1971年(昭和46)7月30日 全日本空輸58便と航空自衛隊訓練機 機種:ボーイング727-281とノースアメリカンF-86Fセイバー
 状況: 岩手県雫石町上空で空中衝突。全日空機の乗員乗客162人全員が死亡。
・1985年(昭和60)8月12日 日本航空123便 機種:ボーイング747SR-46
 状況: 1978年6月の尻もち事故の際にボーイング社が修理ミスを起こしたために、飛行中に圧力隔壁が破壊され、操縦系統が破損し操縦不能に陥り迷走した後に墜落。乗員乗客524人中520人が死亡。
・1994年(平成6)4月26日 中華航空140便 機種:エアバスA300B4-622R
 状況:名古屋空港への着陸復行の際に操縦士と機体制御システムが相反したあげく、失速し墜落。乗員乗客271人中264人が死亡。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1734年(享保19)儒学者室鳩巣の命日(新暦9月9日)詳細
1957年(昭和32)朝日訴訟が提訴される詳細
1978年(昭和53)日本と中国が「日中平和友好条約」に調印する詳細
1992年(平成4)小説家中上健次の命日詳細