今日は、明治時代前期の1878年(明治11)に、「郡区町村編成法」、「府県会規則」、「地方税規則」(地方三新法)が制定され、地方自治の第一歩が踏み出された日です。
地方三新法(ちほうさんしんぽう)は、「郡区町村編成法」(明治11年太政官布告第17号)、「府県会規則」(明治11年太政官布告第18号)、「地方税規則」(明治11年太政官布告第19号)の総称で、明治新政府が制定した最初の統一的地方制度でした。地方自治の必要を主張していた木戸孝允の影響をうけた大久保利通が、1878年(明治11)3月11日に三条実美太政大臣に提出した意見書「地方之体制等改正之儀」上申に基き、地方行政の円滑を目的として、1878年(明治11)の第2回地方官会議・元老院の審議及び議決を経て制定されます。
当時は、徴兵制・教育制度・地租改正などに反対する農民一揆や暴動が各地で起き、国会開設を求める自由民権運動の勃興という騒然たる状況に対応する必要がありました。そこで、それまでの大区・小区制を廃止し、町村の自治体的性格を認め、府県会を設置し豪農・豪商層の把握を策し、従前の府県税、民費をそれぞれ地方税、協議費に分割して地方税財源を明確化するなど、府県の行政能力強化を目的としています。
その後、1884年(明治17)5月に連合戸長役場制、戸長官選制、区町村会に対する戸長権限の拡大などの大改正がなされました。しかし、1888年(明治21)の「市制」、「町村制」と1890年(明治23)の「府県制」、「郡制」の実施による地方自治の確立に伴い、廃止されています。
以下に、「郡区町村編成法」(明治11年太政官布告第17号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「郡区町村編制法」(明治11年太政官布告第17号)1878年(明治11)7月22日公布
郡区町村編制法左ノ通被定候条此旨布告候事
第1条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
第2条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニ依ル
第3条 郡ノ区域広濶ニ過キ施政ニ不便ナル者ハ一郡ヲ画シテ数郡トナス(東西南北上中下某郡ト云カ如シ)
第4条 三府五港其他人口輻湊ノ地ハ別ニ一区トナシ其ノ広濶ナル者ハ区分シテ数区トナス (※)
第5条 毎郡ニ郡長各一員ヲ置キ毎区ニ区長各一員ヲ置ク郡ノ狭少ナルモノハ数郡ニ一員ヲ置クコトヲ得
第6条 毎町村ニ戸長各一員ヲ置ク又数町村ニ一員ヲ置クコトヲ得(※)
(以下,明治13年太政官布告第14号で追加)
第7条 此編制法ヲ施行シ難キ島嶼ハ其ノ制ヲ異ニスルヲ得
第8条 地方ノ便益若クハ人民ノ請願ニ因リ止ムヲ得サル理由アルモノハ郡区町村ノ区域名称ヲ変更スルコトヲ得
第9条 第3条第4条第7条第8条ノ施行ヲ要スルトキハ府知事県令ヨリ内務卿ニ具状シ政府ノ裁可ヲ受クヘシ
但町村区域名称ノ変更ハ内務卿ノ認可ヲ受クヘシ(※)
※印(第4条、第6条および第9条但し書き)は、1888年(明治21)の市制・町村制(明治21年法律第1号)により廃止
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1549年(天文18) | イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する(新暦8月15日) | 詳細 |
1922年(大正11) | 応用化学者・企業家高峰讓吉の命日 | 詳細 |
1924年(大正13) | 「小作調停法」が公布(施行は同年12月1日)される | 詳細 |
1953年(昭和28) | 「離島振興法」が公布・施行される | 詳細 |