今日は、昭和時代中期の1955年(昭和30)に、西ドイツのマイナウにおいて、核兵器の使用に反対する「マイナウ宣言(Mainau Declaration)」が発表された日です。
「マイナウ宣言(まいなうせんげん)」は、ドイツの核科学者オットー・ハーンとマックス・ボルンによって開始および起草され、第5回リンダウノーベル賞受賞者会議(1955年7月11~15日)で回覧され、同年7月15日にマイナウ島で発表された、核兵器の使用に反対するアピールでした。当初は、会議の参加者である日本の湯川秀樹博士を含む18人のノーベル賞受賞者によって署名されましたが、1年以内に、支持者の数は52人のノーベル賞受賞者に増加しています。
太平洋戦争後の東西対立が強まる中、1950年~1953年に起きた朝鮮戦争を経て、米ソの水爆実験競争が始まり、核兵器使用の危険性が高まる中で、科学者の中に、核兵器使用による惨禍を繰り返させてはならないという考え方が広まりました。その中で、1955年(昭和30)7月9日に、イギリスのロンドンにおいて、イギリスの哲学者・バートランド・ラッセル卿とアメリカの物理学者・アルベルト・アインシュタイン博士が中心となり、日本の湯川秀樹博士他8名も加わった、「ラッセル・アインシュタイン宣言」が出され、核兵器廃絶・科学技術の平和利用をが訴えられます。
それに続いたのがこの「マイナウ宣言」では、「今日、軍事利用することのできる全ての兵器によって、全ての人類を滅ぼすほどに地球を放射能で汚染することができる。」とし、「全ての国が、政治の最後の手段として暴力に訴えることをやめることを自主的に決意しなければならない。もしそうしなければ、その国は消滅することになる。」と警告しました。その後、1957年(昭和32)より、科学者による科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(第1回をカナダのパグウォッシュ村で開催したので)が開催されることとなり、日本からはも、湯川秀樹、朝永振一郎等が参加しています。
以下に、「マイナウ宣言」の英語版原文と日本語訳を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇マイナウ宣言(Mainau Declaration) 1955年(昭和30)7月15日
Mainau Declaration 1955
We, the undersigned, are scientists of different countries, different creeds, different political persuasions. Outwardly, we are bound together only by the Nobel Prize, which we have been favored to receive. With pleasure we have devoted our lives to the service of science. It is, we believe, a path to a happier life for people. We see with horror that this very science is giving mankind the means to destroy itself. By total military use of weapons feasible today, the earth can be contaminated with radioactivity to such an extent that whole peoples can be annihilated. Neutrals may die thus as well as belligerents.
If war broke out among the great powers, who could guarantee that it would not develop into a deadly conflict? A nation that engages in a total war thus signals its own destruction and imperils the whole world.
We do not deny that perhaps peace is being preserved precisely by the fear of these weapons. Nevertheless, we think it is a delusion if governments believe that they can avoid war for a long time through the fear of these weapons. Fear and tension have often engendered wars. Similarly it seems to us a delusion to believe that small conflicts could in the future always be decided by traditional weapons. In extreme danger no nation will deny itself the use of any weapon that scientific technology can produce.
All nations must come to the decision to renounce force as a final resort. If they are not prepared to do this, they will cease to exist.
— Mainau, Lake Constance, 15 July 1955
The initial 18 signatories were:
Kurt Alder
Max Born
Adolf Butenandt
Arthur H. Compton
Gerhard Domagk
Hans von Euler-Chelpin
Otto Hahn
Werner Heisenberg
George Hevesy
Richard Kuhn
Fritz Lipmann
Hermann Joseph Muller
Paul Hermann Müller
Leopold Ruzicka
Frederick Soddy
Wendell M. Stanley
Hermann Staudinger
Hideki Yukawa
<日本語訳>
マイナウ宣言1955
署名者の我々は、異なる国家、異なる教義、異なる政治的信念を持つ科学者である。外見上、我々は、かつてノーベル賞を受賞したということだけで結びつけられている。我々は喜んで人生を科学のために捧げてきた。我々は、それが人々の幸せな生活につながる道であると信ずる。我々は、この科学が人類に自身を破滅させる手段を与えてしまったことに慄然としている。今日、軍事利用することのできる全ての兵器によって、全ての人類を滅ぼすほどに地球を放射能で汚染することができる。中立国も交戦国と同じように滅びてしまうだろう。
もし大国の間で戦争が勃発すれば、双方命懸けの衝突に発展しないと誰が保証できるだろうか?戦争に参加する国は、自身の破滅のきっかけとなり、さらに全世界を危険にさらす。我々は、これらの兵器への恐怖感によって平和が正しく保持されるかもしれないということは否定しない。しかし、我々は、政府がそれらの兵器への恐怖によって長い間戦争を避けることができると信じているとすれば、それは妄想であると考える。恐怖と緊張は、しばしば戦争を引き起こしてきた。同様に、将来起こる小さな紛争が常に伝統的な兵器によって決着がつくと信じることは妄想であると思われる。非常に危険な時には、科学技術が生み出したあらゆる兵器の使用を否定する国はない。
全ての国が、政治の最後の手段として暴力に訴えることをやめることを自主的に決意しなければならない。もしそうしなければ、その国は消滅することになる。
—マイナウ、ボーデン湖、1955年7月15日
最初の署名者は次の通りです
クルト・アルダー
マックス・ボルン
アドルフ・ブーテナント
アーサーH.コンプトン
ゲルハルト・ドーマク
ハンス・フォン・オイラー=ケルピン
オットー・ハーン
ヴェルナー・ハイゼンベルク
ゲオルク・ド・ヘヴェシー
リヒャルト・クーン
フリッツ・リップマン
ハーマン・ジョセフ・ミュラー
パウル・ヘルマン・ミュラー
レオポルト・ルジカ
フレデリック・ソディ
ウェンデルM.スタンリー
ヘルマン・シュタウディンガー
湯川秀樹
「ウィキペディア」より
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