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 今日は、昭和時代前期の太平洋戦争末期、1945年(昭和20)に、鈴木貫太郎内閣によって「重要物資等の緊急疎開に関する件」が閣議決定された日です。
 「重要物資等の緊急疎開に関する件(じゅうようぶっしとうのきんきゅうそかいにかんするけん)」は、太平洋戦争末期に、戦局がたいへん厳しくなり、都市部が連日のように空襲される中で、重要物資等を緊急疎開させるようにした閣議決定です。その内容は、燃料、軍需原材料、食糧、衣料、医療薬品、重要機械・器具・装置等の疎開を急速に実施して、被害を最小に留めるため、必要な各省大臣の権限を地方総監に移譲し、軍管理下の工場・倉庫は軍管区司令官・鎮守府司令官が担当することとしたものでした。そして、「疎開物資ノ輸送ニ当リテハアラユル小運送力及人力ノ緊急動員ニ其ノ重点ヲ置ク」、「本件実施ニ必要ナル経費ハ最高全額ニ到ル迄国庫ニ於テ之ヲ負担ス」としています。
 この頃は、戦局が悪化する中で、アメリカ軍の本土上陸を想定し、本土決戦が叫ばれていた時期で、そのために重要物資等を緊急疎開させて、本土決戦に備えて温存を図ったものと思われます。しかし、2ヶ月も経たない内に、「ポツダム宣言」の受諾が決定され、8月15日に、「大東亜戦争終結ノ詔書」が放送(玉音放送)されて、太平洋戦争の敗戦へと至りました。
 以下に、鈴木貫太郎内閣による閣議決定「重要物資等ノ緊急疎開ニ関スル件」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「重要物資等ノ緊急疎開ニ関スル件」 1945年(昭和20)6月26日閣議決定

 敵空襲ノ激化ト本土戦場化必至ノ状勢ニ対処シ物的戦力ノ確保ヲ目途トシ概ネ左ノ要領ニ依リ最短期間内ニ重要物資等ノ分散疎開ヲ急速ニ実施スルト共ニ之ガ保管施設ノ現地防衛ヲ完壁ナラシメ以テ戦災被害ヲ可及的僅少ナラシム

要領

一、疎開スベキ重要物資ハ工場、倉庫ニ保管セラレタル物資ニシテ其ノ範囲次ノ如シ
 (イ)製品特ニ軍需品
 (ロ)燃料  ガソリン、ベンゾール、重油、マシン油、クレヲソート、タール、松根油等
 (ハ)軍需原材料
   火薬爆薬類、アルミニウム、電線、ゴム、特殊鋼、ニッケル、タングステン等
 (ニ)食糧
 (ホ)衣料
 (ヘ)医療薬品
 (ト)重要機械、器具、装置
 (チ)其ノ他戦局上重要ト認メラルル物資
二、本件実施ニ当リテハ地方総監ノ責任ニ於テ必要ナル措置ヲ講ゼシメ強力ニ之ガ完遂ヲ期ス之ガ為必要ナル各省大臣ノ権限ハ之ヲ地方総監ニ移譲ス
 但シ軍工廠、軍専管工場、軍倉庫ニ付テハ軍管区司令官、鎮守府(警備府)司令長官ヲ以テ責任者トス
三、疎開物資ノ輸送ニ当リテハアラユル小運送力及人力ノ緊急動員ニ其ノ重点ヲ置ク
四、本件実施ニ必要ナル経費ハ最高全額ニ到ル迄国庫ニ於テ之ヲ負担ス
五、本件ニ関連シ極力保管物資ノ急速ナル戦力化ヲ促進ス
六、重要物資ノ保管ニ関シテハ防衛責任者ノ設置、警備消防力ノ強化、防護施設ノ徹底等必要ナル措置ヲ講ズ
七、本件実施ハ七月十五日迄ニ之ヲ完了スルヲ目途トス
八、本件実施ヲ推進確保スル為必要ニ応ジ現地ニ所要ノ機関ヲ派遣シ之ガ指導査察ヲ行ハシム
九、本件実施ノ概況ヲ七月末日迄ニ内閣ニ報告セシム


   「国立国会図書館リサーチナビ」より

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