今日は、明治時代後期の1903年(明治36)に、日本最初の洋風近代式公園として、東京の日比谷公園が開園した日です。
日比谷公園(ひびやこうえん)は、東京都千代田区に所在する、日本最初の洋風近代式公園として開園された都市公園で、面積は約16.2haあります。江戸時代には、佐賀藩鍋島家、長州藩毛利家などの屋敷がありましたが、1871年(明治4)に取り壊されて、陸軍操練所(のちの日比谷練兵場)が設置されました。
1888年(明治21)に日比谷練兵場は青山火薬庫跡(現在の明治神宮外苑)に移されると、内務省東京市区改正委員会において公園地としての利用が提案されます。翌年に日比谷公園を第一とする第四十九までの公園の整備を盛り込んだ市区改正が告示され、1893年(明治26)には、東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名されました。
東京市により設計案がいろいろと検討され、1901年(明治34)には、日比谷公園造園委員会が設置され、翌年に公園造成工事に着工、1903年(明治36)6月1日に開園を迎えます。公園内には洋風レストランの松本楼がオープンし、1905年(明治38)に野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)、1908年(明治41)に日比谷図書館(現在の日比谷図書文化館)、1923年(大正12)に野外大音楽堂、1929年(昭和4)に日比谷公会堂が建設されました。
一方で、1905年(明治38)9月5日にポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件が起き、1922年(大正11)に普通選挙法促進のための尾崎行雄の演説が行われ、1923年(大正12)9月1日の関東大震災で被災し、小音楽堂が倒壊、松本楼が焼失、運動場には被災民が仮設住宅144軒が建てられ、被災者遺体の仮埋葬も行われ、1936年(昭和11)には二・二六事件で野戦重砲が置かれるなど日本の近代史の波にもまれています。太平洋戦争下の1942年(昭和17)に軍用地とされて松本楼は海軍省将校宿舎として利用され、1945年(昭和20)の敗戦後の占領下で、GHQの接収を受け「Doolittle Field(ドーリットル・フィールド)」と名づけられた軍用地となり、松本楼は米軍宿舎として利用され、1951年(昭和26)には、GHQの接収が解け、再整備が始まりました。
その後、1950年(昭和25)に日比谷花壇ができ、1954年(昭和29)に大音楽堂が完成、1957年(昭和32)に日比谷図書館が再建、1961年(昭和36)には大噴水が完成するなど整備が進められます。尚、1982年(昭和57)に「新東京百景」、1989年(平成元)に「日本の都市公園100選」、2006年(平成18)には「日本の歴史公園100選」に選ばれました。
〇日比谷公園関係略年表
・1871年(明治4) 日比谷・霞が関の旧武家地一帯に陸軍操練所が設置される
・1885年(明治18) 日比谷練兵場と改称される
・1888年(明治21) 日比谷練兵場は青山火薬庫跡、現在の明治神宮外苑に移される
・1888年(明治21)11月 内務省東京市区改正委員会において古市公威と芳野世経により公園地としての利用が提案される
・1889年(明治22) 日比谷公園を第一とする第四十九までの公園の整備を盛り込んだ市区改正が告示される
・1893年(明治26) 東京市が軍から払下げを受け、告示第六号により跡地は正式に日比谷公園と命名され、東京市により設計案が出される
・1894年(明治27)6月 日本園芸会が小平義近による甲乙案、田中芳男による丙案という三案を提出したが、不採用となる
・1897年(明治30) 公園改良取調委員会が設置される
・1898年(明治31) 長岡安平による案が検討されるが、不採用となる
・1899年(明治32)8月 辰野金吾による案が検討されたが、不採用となる
・1900年(明治33) 東京市吏員5名が案を提出するが、不採用となる
・1901年(明治34) 辰野金吾により本多静六が推挙され、石黒忠悳、福羽逸人、小沢圭次郎等とともに日比谷公園造園委員会が設置される
・1902年(明治35)4月 公園造成工事が着工される
・1903年(明治36)6月1日 開園を迎え、公園内には洋風レストランの松本楼がオープンする
・1905年(明治38)8月 野外音楽堂(現在の野外小音楽堂)が竣工する
・1905年(明治38)9月5日 ポーツマス日露講和条約に不平をもった群衆の日比谷焼打事件が起こる
・1908年(明治41) 正三角形の日比谷図書文化館(旧、日比谷図書館)が設立される
・1922年(大正11) 普通選挙法促進のための尾崎行雄の演説が行われる
・1923年(大正12) 野外大音楽堂が完成
・1923年(大正12)9月1日 関東大震災で被災し、小音楽堂が倒壊、松本楼が焼失、運動場には被災民が仮設住宅144軒が建てられ、被災者遺体の仮埋葬も行われ
・1924年(大正13) 仮設住宅が撤去される
・1929年(昭和4) 日比谷公会堂が設立される
・1936年(昭和11) 二・二六事件では野戦重砲が置かれる
・1942年(昭和17) 太平洋戦争下で軍用地とされ、松本楼は海軍省将校宿舎として利用される
・1945年(昭和20) 戦後占領下で、GHQの接収を受け「Doolittle Field(ドーリットル・フィールド)」と名づけられた軍用地となり、松本楼は米軍宿舎として利用される
・1951年(昭和26) GHQの接収が解け、再整備が始まる
・1950年(昭和25) 東京都知事・安井誠一郎の要請により帝国ホテル内の植木屋芳梅園が日比谷公園に出店し、日比谷花壇となる
・1954年(昭和29) 大音楽堂が完成する
・1957年(昭和32) 日比谷図書館が再建される
・1961年(昭和36) 大噴水が完成する
・1971年(昭和46) 沖縄返還運動により松本楼が全焼する
・1973年(昭和48) 松本楼が再建される
・1982年(昭和57) 児童園とプールが廃止されて健康運動広場となる
・1982年(昭和57)10月1日 「新東京百景」に選ばれる
・1983年(昭和58) 大・小音楽堂が建替えられる
・1989年(平成元)7月28日 「日本の都市公園100選」に選定される
・2006年(平成18)10月27日 「日本の歴史公園100選」に選定される
・2011年(平成23)7月1日 東京都から千代田区へ移管された日比谷図書館が「日比谷図書文化館」として開館する
・2018年(平成30)11月23日 ランニングの拠点と飲食店を併設した「スポーツステーション&カフェ」が開館する
・2018年(平成30)12月26日 都が2033年の開園130周年に向け、「グランドデザイン」を発表する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
980年(天元3) | 第66代の天皇とされる一条天皇の誕生日(新暦7月15日) | 詳細 |
1837年(天保8) | 生田万の乱が失敗し、国学者生田万が自刃する(新暦7月3日) | 詳細 |
1875年(明治8) | 日本初の気象台「東京気象台」が設置され、気象と地震の観測が開始される(気象記念日) | 詳細 |
1957年(昭和32) | 「自然公園法」が制定される | |