今日は、昭和時代前期の1933年(昭和8)に、「塘沽協定」 の締結によって、満州事変が終結した日です。
塘沽協定(たんくーきょうてい)は、1931年(昭和6)に勃発した満州事変に関して、熱河作戦後に中国河北省塘沽(タンクー)において日本軍と中国軍との間に締結された停戦協定でした。1933年(昭和8)2月に日本軍は熱河作戦を開始し、4月には河北省に侵入、北京・天津 に迫ったので、対中国共産党作戦に重点をおく蒋介石は対日和平策をとり、5月31日に岡村寧次関東軍参謀副長と熊斌北平軍事分会総参議によって調印されたものです。
主要な内容は、①中国軍の延慶、通州、蘆台を結ぶ線以西および以南への撤退、②日本軍による中国軍撤退の確認、③日本軍の長城の線への撤退、④長城線以南と①項の線以北・以東地域に非武装地帯を設けることなどからなっていました。この協定は即日発行し、中国は満州と熱河の放棄を事実上承認し、長城以南に非武装地帯を設け、華北における有力な軍事的拠点を日本軍に与え、その後の華北分離工作の重要な布石となります。
しかし、これによって両国の関係を好転させることはなく、逆に1937年(昭和12)の日中戦争勃発へと繋がっていきました。
以下に、「塘沽協定」 を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇満州事変とは?
昭和時代前期の1931年(昭和6)9月18日、中国東北部の奉天(今の瀋陽)郊外での柳条湖事件を契機に始まり、1933年(昭和8)5月31日の「塘沽協定」 での停戦まで続いた日本の満州(中国東北部)に対する軍事行動でした。
日露戦争後の1905年(明治38)9月4日締結の「ポーツマス条約」で利権を得た南満州鉄道株式会社 (満鉄) を拠点として、日本は満州に対する独占的支配に乗出し、政治的経済的進出をはかります。その中で、関東軍が奉天郊外の柳条湖で満鉄を爆破し、これを中国軍の行為であるとして「自衛のため」と称して満鉄沿線一帯で軍事行動(柳条湖事件)を起しました。
同年10月の錦州爆撃などにより南満州を占領、さらに北部満州の占領を企図し、11月チチハル占領、翌年2月にはハルビンを占領、以後北満の主要都市を占領して、東三省(奉天・吉林・黒竜江の3省)におよぶ満州全域を支配下におさめます。そして、1932年(昭和7)3月9日に、清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)を執政に就任させて傀儡国家「満州国」を建国させました。
そこで、国際連盟は中国の提訴により満州事変に関して、リットン調査団を派遣してその報告書を採択、日本軍の東北撤退を勧告することとなります。しかし、日本はこれを拒否し、1933年(昭和8)2月からの熱河作戦で熱河省を占領、3月に国際連盟を脱退、5月31日には、中国との間で「塘沽協定」を結び停戦して、中国東北部での権益を確保し、「満州国」を既成事実化させることで満州事変は一応終わりました。
この後、1937年(昭和12)7月7日の蘆溝橋事件による日中戦争全面化から、1941年(昭和16)12月8日の太平洋戦争開戦へと進んでいくこととなります。
〇「停戦に関する協定」(塘沽協定) 1933年(昭和8)5月31日
關東軍司令官元帥武藤信義ハ昭和八年五月二十五日密雲ニ於テ國民政府軍事委員會北平分會代理委員長何應欽ヨリ其ノ軍使同分會參謀徐燕謀ヲ以テセル正式停戰提議ヲ受理セリ
右ニ依リ關東軍司令官元帥武藤信義ヨリ停戰協定ニ關スル全權ヲ委任セラレタル同軍代表關東軍參謀副長陸軍少將岡村寧次ハ塘沽ニ於テ國民政府軍事委員會北平分會代理委員長何應欽ヨリ停戰協定ニ關スル全權ヲ委任セラレタル北支中國軍代表北平分會總參謀陸軍中將熊斌ト左ノ停戰協定ヲ締結セリ
一、中國軍ハ速ニ延慶、昌平、高麗營、順義、通州、香河、實抵、林亭口、寧河、蘆薹、ヲ通スル線以西及以南ノ地區ニ一律ニ撤退シ爾後同線ヲ超エテ前進セス
又一切ノ挑戰攪乱行爲ヲ行フ事ナシ
二、日本軍ハ第一項ノ實行ヲ確認スル爲随時飛行機及其他ノ方法ニ依リ之ヲ視察ス
中國側ハ之レニ對シ保護及諸般ノ便宜ヲ與フルモノトス
三、日本軍ハ第一項ニ示ス規定ヲ中國軍カ遵守スル事ヲ確認スルニ於テハ前期中國軍ノ撤退線ヲ越エテ追撃ヲ續行スル事ナク自主的ニ槪ネ長城ノ線ニ歸還ス
四、長城線以南ニシテ第一項ニ示ス線以北及以東ノ地域内ニ於ケル治安維持ハ中國側警察機關之レニ任ス
右警察機關ノ爲ニハ日本軍ノ感情ヲ刺戟スルカ如キ武力團體ヲ用フル事ナシ
五、本協定ハ調印ト共ニ效力ヲ發生スルモノトス
右證據トシテ兩代表ハ茲ニ記名調印スルモノナリ
昭和八年五月三十一日
関東軍代表 岡村寧次
「日本外交年表竝主要文書 下巻」外務省編より
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1937年(昭和12) | 文部省編纂『国体の本義』が発行され、全国の学校等へ配布される | 詳細 |
1943年(昭和18) | 御前会議において「大東亜政略指導大綱」が決定される | 詳細 |
1944年(昭和19) | 俳人・翻訳家・新聞記者嶋田青峰の命日(青峰忌) | 詳細 |
1974年(昭和49) | 写真家木村伊兵衛の命日 | 詳細 |