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 今日は、鎌倉時代末期の1333年(元弘3)に、鎌倉幕府方の北条泰家軍と反鎌倉幕府方の新田義貞軍との間で、分倍河原の戦いが始まった日ですが、新暦では6月27日となります。
 分倍河原の戦い(ぶばいがわらのたたかい)は、武蔵国多摩川河畔の分倍河原(現在の東京都府中市)において、北条泰家率いる鎌倉幕府方と新田義貞率いる反幕府方との間で行われた合戦で、反幕府方の勝利となり、義貞は勢いに乗って鎌倉へ攻め入り,鎌倉幕府を倒すこととなりました。1333年(元弘3)5月8日に、新田義貞は上野国生品明神(現在の群馬県太田市)において、鎌倉幕府倒幕のための兵を挙げます。
 その後、南下するに従い、鎌倉幕府に不満を持った武士たちが次々と集まり、迎撃に来た桜田貞国率いる鎌倉幕府軍に対し、5月11日に小手指原の戦い(現在の埼玉県所沢市)、5月12日に久米川の戦い(現在の東京都東村山市)と、相次いで打ち破りました。そこで、鎌倉幕府方は分倍河原まで退却、執権北条高時の弟の北条泰家を大将とする10万の援軍と合流し、迎え撃とうとします。
 これを5月15日に反幕府方の新田義貞軍が攻撃したものの、今度は援軍を得ていた幕府方が優勢になり、反幕府方の新田軍は堀金(現在の埼玉県狭山市)までの退却を余儀なくされました。しかし、相模国の軍勢を率いた三浦義勝が新田軍の援軍に入ると、翌16日早朝には義勝を先鋒として義貞は2万の軍勢で一気に分倍河原に押し寄せ、緊張が緩んでいた幕府方に奇襲をかけて大勝し、鎌倉幕府方は敗走することになります。
 ここで幕府方を圧倒したことで、反幕府方には次々と援軍が合流し、ついには60万もの大軍勢となりました。その後、反幕府方は勢いに乗り、5月21日には、義貞率いる軍勢が稲村ヶ崎を突破して鎌倉へ攻め入り、翌22日には鎌倉幕府を滅亡させることとなります。
 以下に、『太平記』巻第十の分倍河原の戦いの部分を抜粋して掲載しておきますので、御参照下さい。

〇新田義貞の挙兵から鎌倉幕府滅亡までの略年表(日付は旧暦です)

<1333年(元弘3)>

・5月8日 新田義貞は上野国生品明神(現在の群馬県太田市)において、鎌倉幕府倒幕のための兵を挙げる
・5月9日 義貞挙兵の報を受けた幕府の評定が鎌倉で行われる
・5月10日 桜田貞国を総大将、長崎高重、長崎孫四郎左衛門、加治二郎左衛門を副将とする武蔵・上野の幕府方が迎撃に向かう
・5月11日 小手指原の戦い(現在の埼玉県所沢市)で反鎌倉幕府方が勝利する
・5月12日 久米川の戦い(現在の東京都東村山市)で反鎌倉幕府方が勝利する
・5月15・16日 分倍河原の戦い(現在の東京都府中市)で反鎌倉幕府方が勝利する
・5月16日 関戸の戦い(現在の東京都多摩市)で反鎌倉幕府方が勝利する
・5月18日 反鎌倉幕府方は大軍で鎌倉に対し攻撃を開始する
・5月21日 新田義貞率いる軍勢が干潮を利用して稲村ヶ崎を突破して鎌倉へ攻め入る
・5月22日 東勝寺で北条高時・金沢貞顕、長崎円喜・長崎高資・安達時顕ら一族・家臣が自害し、鎌倉幕府が滅亡する

〇「太平記」巻第十 (69)新田義貞謀叛事付天狗催越後勢事より

去程に桜田治部大輔貞国・加治・長崎等十二日の軍に打負て引退由鎌倉へ聞へければ、相摸入道・舎弟の四郎左近大夫入道恵性を大将軍として、塩田陸奥入道・安保左衛門入道・城越後守・長崎駿河守時光・左藤左衛門入道・安東左衛門尉高貞・横溝五郎入道・南部孫二郎・新開左衛門入道・三浦若狭五郎氏明を差副て、重て十万余騎を被下、其勢十五日の夜半許に、分陪に着ければ、当陣の敗軍又力を得て勇進まんとす。義貞は敵に荒手の大勢加りたりとは不思寄。十五日の夜未明に、分陪へ押寄て時を作る。鎌倉勢先究竟の射手三千人を勝て面に進め、雨の降如散々に射させける間、源氏射たてられて駈ゑず。平家是に利を得て、義貞の勢を取篭不余とこそ責たりけれ。新田義貞逞兵を引勝て、敵の大勢を懸破ては裏へ通り、取て返ては喚て懸入、電光の如激、蜘手・輪違に、七八度が程ぞ当りける。されども大敵而も荒手にて、先度の恥を雪めんと、義を専にして闘ひける間、義貞遂に打負て堀金を指て引退く。其勢若干被討て痛手を負者数を不知。其日軈て追てばし寄たらば、義貞爰にて被討給ふべかりしを、今は敵何程の事か可有、新田をば定て武蔵・上野の者共が、討て出さんずらんと、大様に憑で時を移す。是ぞ平家の運命の尽ぬる処のしるし也。

   「ウィキソース」より

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