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 今日は、昭和時代後期の1983年(昭和58)に、農業経済学者・農政家東畑精一の亡くなった日です。
 東畑精一(とうばた せいいち)は、明治時代後期の1899年(明治32)2月2日に、三重県一志郡豊地村(現在の松阪市)の地主だった父・東畑吉之助、母・よしの長男として生まれました。三重県立第一中学校を経て、1919年(大正8)に旧制第八高等学校第二部丙類を卒業後、東京帝国大学農学部に入学して、農業経済学を専攻します。
 1922年(大正11)に大学卒業後、同大学農学部助手となり、1924年(大正13)には、大学院を経て助教授に昇進しました。1926年(大正15)に、アメリカ・ドイツ留学に出発、ボン大学で J.A.シュンペーターに師事、そこで中山伊知郎と出会います。
 1930年(昭和5)に留学先から帰国、1933年(昭和8)に東京帝国大学農学部教授となり、1937年(昭和12)には、『日本農業の展開過程』で東京帝国大学から農学博士号を取得しました。1939年(昭和14)に中央物価委員会委員、翌年に物価対策審議会幹事・価格中央形成委員会委員などになりながら、太平洋戦争中までは主に学究面で活躍します。
 戦後は、農業総合研究所所長(1946~56年)、アジア経済研究所所長(1960~68年)、税制調査会会長(1965~74年)など多くの調査研究機関、政策関係委員会の要職を歴任し、日本社会に多方面で大きな影響を与えました。一方で、シュンペーターの著作の『経済学史』(1950年)、『経済分析の歴史』全7巻(1954年)などを翻訳出版し、『日本資本主義の形成者』(1964年)等を刊行して、日本の資本主義や農業問題に独自の解明を行ないます。
 これらの功績によって、1964年(昭和39)に日本学士院会員、1968年(昭和43)にマグサイサイ賞(フィリピン)、1970年(昭和45)に文化功労者、1975年(昭和50)に勲一等旭日大綬章など数々の栄誉に輝きました。1980年(昭和55)には文化勲章も受章しましたが、1983年(昭和58)5月6日に、東京において、84歳で亡くなっています。

〇東畑精一の主要な著作

・『協同組合と農業問題』那須皓との共著(1932年)
・『朝鮮米穀経済論』大川一司との共著(1935年)
・『日本農業の展開過程』(1936年)
・翻訳シュンペーター作『経済発展の理論』中山伊知郎との共訳(1937年)
・『農村問題の諸相』(1938年)
・『米』(1940年)
・『日本農業の課題』(1941年)
・『一農政学徒の記録』(1947年)
・『農地をめぐる地主と農民』(1947年)
・翻訳シュンペーター作『経済学史』』中山伊知郎との共訳(1950年)
・翻訳シュンペーター作『経済分析の歴史』全7巻(1954年)
・『日本資本主義の形成者』(1964年)
・『私の履歴書』(1979年)
・『日本農業発達史』

☆東畑精一関係略年表

・1899年(明治32)2月2日 三重県一志郡豊地村(現松阪市)の地主だった父・東畑吉之助、母・よしの長男として生まれる
・1919年(大正8) 旧制第八高等学校第二部丙類を卒業する
・1922年(大正11) 東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業する
・1923年(大正12) 東京帝国大学農学部助手となる
・1924年(大正13) 大学院を経て東京帝国大学農学部助教授となる
・1926年(大正15) アメリカ・ドイツ留学に出発する
・1930年(昭和5) 留学先から帰国する
・1933年(昭和8) 東京帝国大学農学部教授となる
・1936年(昭和11) 昭和研究会常任委員となる
・1937年(昭和12) 『日本農業の展開過程』で東京帝国大学から農学博士号を取得する
・1939年(昭和14) 中央物価委員会委員(~1940年)となり、経済学部教授を兼任(~1945年)する
・1940年(昭和15) 物価対策審議会幹事・価格中央形成委員会委員となる
・1942年(昭和17) 比島軍政監部顧問村田省蔵から比島調査委員会委員に任命され翌年訪比する
・1946年(昭和21) 第1次吉田内閣組閣に際し吉田から農相就任を請われるが固辞、農林省農業総合研究所初代所長(~1956年)とな
・1949年(昭和24) 米価審議会会長となる
・1950年(昭和25) シュンペーター作『経済学史』(中山伊知郎との共訳)を翻訳出版する
・1953年(昭和28) フィリピン賠償全権団団員となる
・1954年(昭和29) シュンペーター作『経済分析の歴史』全7巻を翻訳出版する
・1957年(昭和32) 経済審議会委員・国民生活審議会会長となる
・1958年(昭和33) 第2次岸内閣で移動大使に任命されエジプト・エチオピア・インドを歴訪、代表を務める『農業発達史調査会』が朝日賞を受賞する
・1959年(昭和34) 東京大学を退官、第一生命都市開発研究所農村計画担当顧問、農業基本問題調査会会長・税制調査会会長となる
・1960年(昭和35) アジア経済研究所初代所長に就任(~1967年)する
・1961年(昭和36) 農政審議会会長となる
・1962年(昭和37) 日経経済図書文化賞を受賞する
・1964年(昭和39) 日本学士院会員となる
・1968年(昭和43) アジア経済研究所所長退任後同会長に就任(のち顧問)、マグサイサイ賞(フィリピン)を受賞する
・1970年(昭和45) 文化功労者となる
・1971年(昭和46) NHK放送文化賞を受賞する
・1975年(昭和50) 勲一等旭日大綬章を受章する
・1980年(昭和55) 文化勲章を受章する
・1983年(昭和58)5月6日 東京において、84歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1408年(応永15)室町幕府3代将軍足利義満の命日(新暦5月31日)詳細
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