今日は、幕末明治維新期の1868年(慶応4)に、会津藩・庄内藩赦免を求めるため、奥羽25藩の代表による白石列藩会議が始まった日(閏月)ですが、新暦では5月3日となります。
白石列藩会議(しろいしれっぱんかいぎ)は、戊辰戦争の中で会津藩・庄内藩赦免を求めるため、奥羽25藩の代表が仙台藩領の白石城(現在の宮城県白石市)に集まって開かれた会議でした。1868年(慶応4年1月3日)に鳥羽伏見の戦いで戊辰戦争が勃発する中、同年閏4月4日に米沢藩・仙台藩4家老の名前で、奥羽諸藩に対して列藩会議召集の回状が回され、それに応じて奥羽14藩の代表が同月11日白石城へ参集します。
遅れて参加した秋田藩、平藩、本荘藩(本庄藩)、弘前藩など各藩も加わり、計25藩の代表で議論の末、翌日付で会津藩家老西郷頼母の名義の「嘆願書」、奥羽諸藩の重臣連名による「諸藩重臣副嘆願書」、仙台藩、米沢藩両藩連名の「会津藩寛典処分嘆願書」の3通を作成し、奥羽鎮撫総督の九条道孝に提出しました。しかし、17日に総督はそれらの嘆願書を却下し会津征討を命じたものの、19日に奥羽諸藩は会津・庄内の諸攻口における解兵を宣言し、22日に再度白石城へ集まった25藩の代表は、5ヶ条の盟約書に調印します。
その後、仙台へ移って会議を続行し、5月3日に仙台で改訂された「白石盟約書」と「太政官建白書」に調印し、正式な奥羽列藩同盟の成立となり、5月6日には越後6藩も加盟して、奥羽越列藩同盟に発展しました。そして、奥羽越での官軍との戦闘が始まり、9月10日に仙台藩が降伏、9月22日に会津藩が降伏するなどして、奥羽越列藩同盟側の敗戦へと至ります。
〇戊辰戦争とは?
幕末明治維新期の1868年(慶応4/明治元)から1869年( 明治2)にかけて、明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中心とした新政府軍と、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟が戦った内戦で、鳥羽伏見の戦いから始まり、各地で戦乱が起きましたが、越後と東北、北海道で激戦となりました。名称は、慶応4年/明治元年の干支が戊辰であることに由来しています。これにより、明治政府が国内を掌握し、明治維新の改革が進められることになります。
☆戊辰戦争関係年表
<1868年(慶応4/明治元)>
・1月3日 「鳥羽伏見の戦い」で「戊辰戦争」が始まる
・1月6日 徳川慶喜が大坂城を脱出し、海路で江戸へ逃れる
・2月12日 徳川慶喜は、上野寛永寺に入って謹慎し、恭順を示す
・3月14日 西郷隆盛と勝海舟の会談が行われ、江戸での戦闘が回避される
・4月11日 江戸城が無血開城される
・閏4月11日 奥羽諸藩による白石列藩会議が始まる
・5月3日 奥羽25藩が「奥羽列藩同盟」を結成する
・5月6日 長岡藩など北越6藩が新たに加わり「奥羽越列藩同盟」となる
・5月15日 上野山にいる彰義隊を新政府軍が一日で破る
・7月14日 白河口の戦いで、新政府軍が勝利する
・7月29日 奥州の二本松城、越後の長岡城が陥落する
・8月23日 新政府軍が会津藩若松城下に侵攻し、会津側は若松城で籠城戦を開始する
・9月8日 明治に改元される
・9月9日 米沢藩が新政府軍に寝返える
・9月10日 仙台藩が降伏する
・9月22日 会津藩が降伏し、「会津戦争」が終わる
・10月26日 榎本武揚軍が箱館を占領する
・11月15日 暴風雨のため榎本武揚軍の旗艦開陽丸が沈没する
<1869年(明治2)>
・3月9日 箱館の榎本武揚軍追討のため、新政府軍艦隊が江戸湾を出発する
・5月11日 箱館総攻撃が始まる
・5月18日 五稜郭が陥落し、旧幕府軍が降伏して「箱館戦争」が終結し、「戊辰戦争」が終わる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1782年(天明2) | 儒学者・教育者・漢詩人広瀬淡窓の誕生日(新暦5月22日) | 詳細 |
1925年(大正14) | 「陸軍現役将校学校配属令」が発せられ、中学校以上の公立学校で軍事教練開始 | 詳細 |
1967年(昭和42) | 「日本近代文学館」が開館する | 詳細 |