今日は、明治時代後期の1899年(明治32)に、北海道アイヌの「保護」を名目として、「北海道旧土人保護法」が公布(同年4月1日施行)された日です。
「北海道旧土人保護法(ほっかいどうきゅうどじんほごほう)」は、日本政府がアイヌ民族保護を名目に制定した法律(明治32年3月2日法律第27号)でした。
明治維新以後の北海道への和人の進出や明治新政府がとった北海道開拓政策のために、先住民のアイヌの人々は、その生活圏を侵食されていきます。開拓使や北海道庁は、一部の地域で農業の奨励や教育・医療などの施策をおこなってきましたが不十分で、窮迫を深め、生活困窮が問題となりました。
そこで、日本民族との同化を推し進め、農耕化を図るため、農業に従事しようとするアイヌに対して、一戸あたり最大1万5000坪(約5ha)の土地の無償下付(ただし売買・譲渡・質入れの禁止など所有権を制限)、生活保護、小学校の設置などを主な内容とする本法を制定します。しかし、付与され土地の多くは耕作不適地で、開墾できずに没収されたり、農耕を忌避して和人に賃貸されたりしました。
そこで、1937年(昭和12)の開成により、土地の無償給与(8,338町歩、一戸あたり2.2町歩)、進学者への学資や住宅改築8割補助金の給付等の保護育成策が構じられます。ところが、太平洋戦争後の農地改革によって、和人に貸与されていた土地の多くを失うこととなりました。
土地給付条項などは数次の改正で削除されたものの、国際法上の植民地法的性格や民族差別法的性格が問題とされるようになり、1997年(平成9)5月の「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(略称:アイヌ文化振興法)の成立(同年7月1日施行)にともない廃止されています。
以下に、1899年(明治32)3月2日公布当初の「北海道旧土人保護法」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「北海道旧土人保護法」(明治32年3月2日法律第27号)
北海道舊土人保護法
第一條 北海道舊土人ニシテ農業ニ從事スル者又ハ從事セムト欲スル者ニハ一戶ニ付土地一萬五千坪以內ヲ限リ無償下付スルコトヲ得
第二條 前條ニ依リ下付シタル土地ノ所有權ハ左ノ制限ニ從フヘキモノトス
一 相續ニ依ルノ外讓渡スコトヲ得ス
二 質權抵當地上權又ハ永小作權ヲ設定スルコトヲ得ス
三 北海道廳長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ地役權ヲ設定スルコトヲ得ス
四 留置權先取特權ノ目的トナルコトナシ
前條ニ依リ下付シタル土地ハ下付ノ年ヨリ起算シテ三十箇年ノ後ニ非サレハ地租及地方稅ヲ課セス又登錄稅ヲ徵收セス
舊土人ニ於テ從前ヨリ所有シタル土地ハ北海道廳長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ相續ニ因ルノ外之ヲ讓渡シ又ハ第一項第二及第三ニ揭ケタル物權ヲ設定スルコトヲ得ス
第三條 第一條ニ依リ下付シタル土地ニシテ其ノ下付ノ年ヨリ起算シ十五箇年ヲ經ルモ尚開墾セサル部分ハ之ヲ沒收ス
第四條 北海道舊土人ニシテ貧困ナル者ニハ農具及種子ヲ給スルコトヲ得
第五條 北海道舊土人ニシテ疾病ニ罹リ自費治療スルコト能ハサル者ニハ藥價ヲ給スルコトヲ得
第六條 北海道舊土人ニシテ疾病、不具、老衰又ハ幼少ノ爲自活スルコト能ハサル者ハ從來ノ成規ニ依リ救助スルノ外仍之ヲ救助シ救助中死亡シタルトキハ埋葬料ヲ給スルコトヲ得
第七條 北海道舊土人ノ貧困ナル者ノ子弟ニシテ就學スル者ニハ授業料ヲ給スルコトヲ得
第八條 第四條乃至第七條ニ要スル費用ハ北海道舊土人共有財產ノ收益ヲ以テ之ニ充ツ若シ不足アルトキハ國庫ヨリ之ヲ支出ス
第九條 北海道舊土人ノ部落ヲ爲シタル場所ニハ國庫ノ費用ヲ以テ小學校ヲ設クルコトヲ得
第十條 北海道廳長官ハ北海道舊土人共有財產ヲ管理スルコトヲ得
北海道廳長官ハ內務大臣ノ認可ヲ經テ共有者ノ利益ノ爲ニ共有財產ノ處分ヲ爲シ又必要ト認ムルトキハ其ノ分割ヲ拒ムコトヲ得
北海道廳長官ノ管理スル共有財產ハ北海道廳長官之ヲ指定ス
第十一條 北海道廳長官ハ北海道舊土人保護ニ關シテ警察令ヲ發シ之ニ二圓以上二十五圓以下ノ罰金若ハ十一日以上二十五日以下ノ禁錮ノ罰則ヲ附スルコトヲ得
附則
第十二條 此ノ法律ハ明治三十二年四月一日ヨリ施行ス
第十三條 此ノ法律ノ施行ニ關スル細則ハ內務大臣之ヲ定ム
「ウィキソース」より
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