今日は、明治時代前期の1875年(明治8)に、板垣退助らが大阪で自由民権運動の政治団体「愛国社」を創設した日です。
愛国社(あいこくしゃ)は、高知県の立志社を母体に各地の民権政社を結集して組織された、日本で最初の全国的政治結社でした。愛国公党は土佐立志社とともに全国的な政社を結成する檄を飛ばし、1875年(明治8)2月18日にから大阪で会議を開催し、土佐立志社の板垣退助、岡本健三郎、片岡健吉、林有造ら、阿波自助社の小室信夫、井上高格、加賀の島田一郎、陸義猶、筑前の越智彦四郎、建部小四郎、豊前の増田宗太郎、肥後の宮崎八郎ら西日本の士族層の40余名が集まります。
そこで、同月22日に「愛国社」と命名し、本部を東京に置くこと、各県各政社より東京に駐在員を派遣すること、毎年2月と8月に大会を開くことなどを決議、「各其自主の権利を伸張し、人間本分の義務を尽し、小にしては一身一家を保全し、大にしては天下国家を維持するの道より、終に以て天皇陛下の尊栄福祉を増し、我帝国をして欧米諸国と対峙屹立せしめんと欲す。」という「愛国社合議書」を発表しました。しかし、結成後間もなく、中心人物の板垣が参議に復帰した上、参加者のうち、西南戦争で薩摩軍に参加した者も多く、自然消滅状態となります。
その後、自由民権運動は、武力による専制政府打倒から、言論と大衆組織による運動へと転換することになり、地租改正反対闘争が各地で盛り上がりを見せる中で、1878年(明治11)3月に「立志社」は植木枝盛らの主唱によって、愛国社の再興を決議し、植木枝盛や栗原亮一らを西日本各地に派遣しました。同年9月に西日本を中心とした各地から13社の代表及び個人が数十名大阪に集まって、再興大会が開催され、愛国社の再興を決議し、翌年3月に再び集まることを約します。
そこで、翌年の3月27日~4月2日に、第2回大会(於:大阪)が開催され、18県21社の代表が参加、同年11月7日~13日にも第3回大会(於:大阪)が開催され、国会開設実現を目標とする全国規模の請願運動を組織することを決定しました。このようにして、「愛国社」は1879年(明治12)中には、18県21社が参集する全国的結社となり、国会開設運動の中心となっていきます。
1880年(明治13)3月の第4回大会(於:大阪)には、2府27県の国会開設請願署名者10万1,161名の代表97名が結集し、別組織として「国会期成同盟」が3月17日に発足、土佐立志社の片岡健吉、福島石陽社の河野広中を代表に選んで政府に「国会を開設するの允可(いんか)を上願する書」を提出しました。ところが、同年4月5日公布の「集会条例」により「愛国社」は解散命令を受け、社則を修正して再度結成届を出したものの、受理されずに終わっています。
〇「愛国社合議書」(抄文)1875年(明治8)2月22日
我輩此社ヲ誥フノ主意ハ、愛国至情自ラ止ム能サル以ナリ。大国ヲ愛スルモノハ、須ラク先ヅ其身ヲ愛スヘシ。人々各其身ヲ愛スルノ通義ヲ推セハ、互ニ相交際親愛セサルヘカラス。其相交際親愛スルニハ、必ス先ツ同志集合シ会議ヲ開カサルヲ得ス。依テ今此ノ会………
(中略)
各其自主の権利ヲ伸張シ、人間本分ノ義務ヲ尽シ、小ニシテハ一身一家ヲ保全シ、大ニシテハ天下国家を維持スルノ道ヨリ、終ニ以テ天皇陛下ノ尊栄福祉ヲ増シ、我帝国ヲシテ欧米諸国ト対峙屹立セシメント欲ス。
(以下略)
※縦書きの原文を横書きに改め、旧字を新字に直し、句読点を付してあります。
☆自由民権運動関係略年表
<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが「愛国公党」を結成する
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平が佐賀で乱を起こす(佐賀の乱)
・4月10日 板垣退助らが「立志社」を結成する
<1875年(明治8)>
・2月22日 板垣退助が大阪で自由民権運動の政治団体「愛国社」を結成する
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される
<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)
<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
・9月14日 大阪で愛国社再興大会が始まる
・9月20日 「愛国社再興合議書」を採択する
<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする
<1880年(明治13)>
・3月15日 「国会期成同盟」が結成される
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
このころから、自由民権運動が高揚しはじめる
<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月 板垣退助らが自由党を結成する
このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる
<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・3月 大隈重信が立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる
<1883年(明治16)>
・3月 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する
<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月 自由党が解党する
・10月 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる
<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる
<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
622年(推古天皇30) | 政治家・宗教的思想家聖徳太子が亡くなったとされる日(新暦4月8日) | 詳細 |
1239年(延応元) | 第82代の天皇後鳥羽天皇の命日(新暦3月28日) | 詳細 |
1989年(平成元) | 佐賀県吉野ヶ里遺跡で弥生時代後期の国内最大規模の環濠集落発見と報道される | 詳細 |