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 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、小磯国昭内閣で、「藷類増産対策要綱」が閣議決定された日です。
 「藷類増産対策要綱(いもるいぞうさんたいさくようこう)」は、太平洋戦争末期に戦況が悪化し、食糧不足が深刻となる中で、甘藷27億貫(101.25億kg)、馬鈴薯8億5千貫(31.875億kg)を目標とする増産を促す閣議決定でした。同年1月25日に、「決戦非常措置要綱」が同内閣で閣議決定されましたが、その第三条の七(食糧)で、1「内地ニ於ケル食糧ノ増産及管理ノ徹底的強化ヲ図ル」とされ、「(イ)米麦ノ外此ノ際補填食糧並アルコール原料トシテ藷類ノ画期的増産ヲ図ル、(ロ)麦類及藷類ノ集荷確保並処理加工ニ付特段ノ措置ヲ講ス」とされ、藷類増産が強調され、それに伴って、出された藷類増産対策の数値目標です。
 その内容は、①昭和20年度に於て、甘藷27億貫(101.25億kg)、馬鈴薯8億5千貫(31.875億kg)を生産目標とする、②作付面積に付ては既耕地に付これを優先確保すると共に未耕地と軍用地等の開墾利用によりこれを確保する、③種苗の確保又種苗の育成に付格段の措置を講ずる、④甘藷の腐敗防止ならびに処理加工の増強を図る、⑤藷類の増産ならびに処理加工等に要する資材又労力に付ては優先的確保を図る、⑥昭和20年度産藷類の価格に付適正なる改訂を加えると共に藷類の供出確保に関し買入方法等に有効適切な措置を講ずる、⑦生藷又種苗の輸送に関してはその特殊性を考えて適期優先輸送の実施を図る、⑧本計画の完遂を期するため戦時食糧増産推進中央本部に藷類緊急増産部を設置し全国的増産運動を強力に推進すると共に急速に指導組織を強化シ諸施策の末端への徹底を期すると、されました。
 しかし、戦況の悪化とともに満洲雑穀の輸入も輸送船の沈没や船舶不足によって次第に難しくなり、7月11日には、主食の配給が1割減の1日1人2合1勺(約301g)となり、遅配や欠配もあって、栄養不足が深刻となります。これは、太平洋戦争敗戦後もしばらく続き、国民の食糧不足は深刻で、餓死者も出る状況となりました。
 以下に、「藷類増産対策要綱」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「藷類増産対策要綱」1945年(昭和20)1月30日閣議決定

一 方針

 主要食糧及液体燃料確保ニ関スル甘藷、馬鈴薯ノ緊急性ニ鑑ミ昭和二十年度ニ於テ之ガ飛躍的増産ヲ図ル為左ノ施策ヲ強力ニ推進スルモノトス

二 要領

 (一)昭和二十年度ニ於テ甘藷約二七億貫、馬鈴薯八億五、〇〇〇万貫ノ生産目標ヲ樹立シ其ノ完遂ニ邁進スルモノトス
 (二)作付面積ニ付テハ既耕地ニ付之ヲ優先確保スルト共ニ未耕地及軍用地等ノ開墾利用ニ依リ之ヲ確保スルモノトス、之ガ為要スレバ臨時農地等管理令第八条又第九条ノ規定ノ適用ヲ図ルモノトス
 (三)種苗ノ確保又種苗ノ育成ニ付格段ノ措置ヲ講ズルコトトシ甘藷特設育苗圃馬鈴薯採種保護地並ニ貯蔵設備ノ拡充ヲ図ルモノトス
 (四)甘藷ノ腐敗防止並ニ処理加工ノ増強ヲ図ル為切干機械乾繰設備等ノ拡充又燃料用摺込澱粉工場ノ増設ヲ行フト共ニ地方ノ事情ニ即シ甘藷ノ早掘又貯蔵ヲ計画的ニ実施スルモノトス
 (五)藷類ノ増産並ニ処理加工等ニ要スル資材又労力ニ付テハ優先的確保ヲ図ルモノトス
 (六)昭和二十年度産藷類ノ価格ニ付適正ナル改訂ヲ加フルト共ニ藷類ノ供出確保ニ関シ買入方法等ニ付有効適切ナル措置ヲ講ズルモノトス
 (七)生藷又種苗ノ輸送ニ関シテハ其ノ特殊性ニ鑑ミ適期優先輸送ノ実施ヲ図ルモノトス
 (八)本計画ノ完遂ヲ期スル為戦時食糧増産推進中央本部ニ藷類緊急増産部ヲ設置シ中央及地方ニ於ケル関係官庁又団体協力ノ下ニ全国的増産運動ヲ強力ニ推進スルト共ニ急速ニ指導組織ヲ強化シ諸施策ノ末端ヘノ徹底ヲ期スルモノトス

  備考

   本計画遂行ノ為資材、労力、輸送等ニツイテハ陸海軍省、軍需省、運輸省、厚生省、文部省等各省ノ協カヲ期スルモノトス

     「農林行政史 第6巻」農林大臣官房総務課編より

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