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 今日は、明治時代後期の1912年(明治45)に、生理学者・東京慈恵会医科大学長名取礼二が生まれた日です。
 名取礼二(なとり れいじ)は、東京府の生まれで、日本独逸学協会中学校を経て、1929年(昭和4)に東京慈恵会医科大学予科へ入学しました。1936年(昭和11)に同大学医学部卒業後、助手として残り、筋繊維の研究にたずさわり、1941年(昭和16)に、「筋短縮機構についての研究」で医学博士を授与されます。
 1949年(昭和24)に京慈恵会医科大学教授となり、カエルの骨格筋を使って単一の筋細胞から筋原繊維標本 (スキムド・ファイバー) を油中分離に成功(名取の線維)し、筋収縮の機構解明貢献、1957年(昭和32)に日本で初めて開かれた筋収縮の国際シンポジウムで注目されました。1968年(昭和43)に、『現代スポーツ生理学』を刊行、スポーツ医学の権威としても知られます。
 1975年(昭和50)に東京慈恵会医科大学の学長、理事長となり、1977年(昭和52)に「名取の筋繊維の創出と研究」で朝日賞を受賞、1978年(昭和53)には、日本学術会議副会長ともなりました。1981年(昭和56)に「スキンドファイバー法による筋収縮機構の研究」で日本学士院賞を受賞、文化功労者となり、1982年(昭和57)に東京慈恵会医科大学の学長を辞めたものの、翌年には、日本私立医科大学協会会長となります。
 1986年(昭和61)に文化勲章を受章しましたが、2006年(平成18)11月20日に、東京都港区において、94歳で亡くなっています。

〇名取礼二の主要な著作

・『運動の生理学 筋の動きを中心として』(1944年)
・『筋生理学』(1951年)
・『現代スポーツ生理学』(1968年)
・共著『最新体力測定法』

☆名取礼二関係略年表

・1912年(明治45)1月2日 東京府で生まれる
・1929年(昭和4) 東京慈恵会医科大学予科へ入学する
・1936年(昭和11) 東京慈恵会医科大学を卒業する
・1941年(昭和16) 「筋短縮機構についての研究」で東京慈恵会医科大学から医学博士を受ける
・1949年(昭和24) 京慈恵会医科大学教授となる
・1951年(昭和26) 『筋生理学』を刊行する
・1954年(昭和29) 筋細胞内弾性構造を予言する
・1957年(昭和32) 日本で初めて開かれた筋収縮の国際シンポジウムで筋繊維の研究が注目される
・1968年(昭和43) 『現代スポーツ生理学』を刊行する
・1970年(昭和45) 日本体力医学会理事長となる
・1973年(昭和48) 紫綬褒章を受章する
・1975年(昭和50) 東京慈恵会医科大学の学長、理事長となる
・1977年(昭和52) 「名取の筋繊維の創出と研究」で朝日賞を受賞する
・1978年(昭和53) 日本学術会議副会長となる
・1979年(昭和54) 日本体力医学会理事長を辞する
・1981年(昭和56) 「スキンドファイバー法による筋収縮機構の研究」で日本学士院賞を受賞、文化功労者となる
・1982年(昭和57) 東京慈恵会医科大学の学長を辞める
・1983年(昭和58) 日本私立医科大学協会会長となる
・1986年(昭和61) 文化勲章を受章する
・2006年(平成18)11月20日 東京都港区において、94歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1942年(昭和17)興亜奉公日」に代えて毎月8日を「大詔奉戴日」とすることが閣議決定される詳細
1976年(昭和51)小説家・作詞家檀一雄の命日詳細
1991年(平成3)詩人・小説家野間宏の命日詳細