sakuramachitennou01

 今日は、江戸時代中期の1720年(享保5)に、第115代の天皇とされる桜町天皇の生まれた日ですが、新暦では2月8日となります。
 桜町天皇(さくらまちてんのう)は、京都において、父・中御門天皇と母・近衛尚子(新中和門院)の間に第一皇子として生まれましたが、名は昭仁(てるひと)と言いました。生後20日で、母・近衛尚子(新中和門院)が亡くなりましたが、同年に儲君に治定され、親王宣下されます。
 1728年(享保13)に立太子し、1735年(享保20)には、父・中御門天皇の譲位をうけて、第115代とされる天皇として即位しました。朝儀の振興と皇威の伸張に意を用い、1738年(元文3)に大嘗会を復興、新嘗祭や宇佐奉幣使発遣など多数の儀式公事の復旧に努めます。
 1747年(延享4)に、皇太子遐仁親王(桃園天皇)に譲位し、桜町上皇として院政を開始、また、和歌を能くし、『桜町院坊中御会和歌』 、『桜町院御集』、『桜町院御百首』などの歌集や御撰『桃蘂類題』、歌論『歌道御教訓書』等が伝えられ、書にも優れました。しかし、1750年(寛延3年4月23日)に、京都において、数え年31歳で亡くなり、陵墓は月輪陵(現在の京都市東山区今熊野泉山)とされています。

<代表的な歌>

・「思ふにはまかせぬ世にもいかでかはなべての民の心やすめむ」(桜町院御集)
・「煙たつ民のかまどのにぎはふと聞くは我が世のたのしみにして」
・「君も臣も身をあはせたる我が国の道に神代の春や立つらむ」

〇桜町天皇関係略年表(日付は旧暦です)

・1720年(享保5年1月1日) 京都において、父・中御門天皇と母・近衛尚子(新中和門院)の間に第一皇子として生まれる
・1720年(享保5年1月21日) 母・近衛尚子(新中和門院)が亡くなる
・1720年(享保5年10月) 儲君に治定される
・1720年(享保5年11月) 親王宣下される 
・1728年(享保13年6月) 立太子する
・1735年(享保20年3月21日) 父・中御門天皇の譲位をうけて、践祚する
・1735年(享保20年11月3日) 第115代とされる天皇として即位礼を挙げる
・1737年(元文2年4月11日) 父・中御門天皇が亡くなる
・1738年(元文3年11月19日) 大嘗会(だいじょうえ)を挙行する
・1747年(延享4年5月2日) 皇太子遐仁親王(桃園天皇)に譲位し、桜町上皇として院政を開始する
・1750年(寛延3年4月23日) 京都において、31歳で亡くなる

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

646年(大化2)改新の詔」が発布される(新暦1月22日)詳細
1041年(長久2)平安時代中期の公卿・歌人藤原公任の命日(新暦2月4日)詳細
1946年(昭和21)昭和天皇が「新日本建設に関する詔書」(人間宣言)で自己の神格を否定する詳細