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 今日は、昭和時代中期の1964年(昭和39)に、詩人・童謡作家・歌人・随筆家三木露風の亡くなった日です。
 三木露風(みき ろふう)は、明治時代前期の1889年(明治22)6月23日に、兵庫県揖西郡龍野町(現在のたつの市上霞城)に、父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれましたが、本名は 操(みさお)と言いました。1895年(明治28)の5歳の時、父母が離婚し、祖父の家に引き取られ、小学生時代から詩や俳句・短歌を新聞や雑誌に寄稿、1905年(明治38年)に17歳で処女詩集『夏姫』を刊行します。
 同年に上京し、「車前草社」(尾上柴舟主宰)に参加、「新声」誌上に短歌を掲載、北原白秋・若山牧水・前田夕暮らと交わりました。1907年(明治40)に相馬御風らと早稲田詩社を結成、同年に早稲田大学高等予科文科に入学、諸誌に詩を発表、1909年(明治42)には、詩集『廃園』を刊行します。
 1910年(明治43)に慶應義塾大学文学部に転入学したものの、翌年退学、1912年(明治45)に「朱欒」特別号『勿忘草』を刊行し、詩壇の地位を確立しました。1918年(大正7)頃から、鈴木三重吉の赤い鳥運動に参加し、童謡の作詞を手掛け、翌年創刊した「こども雑誌」の選者となり、1921年(大正10)には、童謡集『真珠島』(童謡「赤とんぼ」等収載)を出版します。
 一方で、1920年(大正9)に函館トラピスト修道院に講師として赴任、1922年(大正11)には、受洗して霊名パウロ、妻はモニカとなりました。1924年(大正13)に修道院を辞して上京、池袋近郊の戸塚に住み、1926年(大正15)に随筆『修道院生活』、『トラピスト歌集』を刊行しています。
 1928年(昭和3)に北多摩郡三鷹村(現三鷹市)に定住、自伝『我が歩める道』を刊行しました。1958年(昭和33)に龍野市名誉市民に推され、1963年(昭和38)には、紫綬褒章を受章しましたが、1964年(昭和39)12月21日に交通事故に遭い重体となり、同月29日に脳内出血により、75歳で亡くなっています。

〇三木露風の主要な著作

・詩歌集『夏姫』(1905年)
・詩集『廃園』(1909年)
・詩集『寂しき曙(あけぼの)』(1910年)
・詩集『独歩詩集』(1912年)
・詩集『白き手の猟人(かりゅうど)』(1913年)
・『露風話』(1915年)
・詩集『幻の田園』(1915年)
・詩集『良心』(1915年)
・詩集『信仰の曙(あけぼの)』(1922年)
・詩集『神と人間』(1926年)
・童謡集『真珠島』(1921年)
・詩集『象徴詩集』(1922年)
・随筆『修道院生活』(1926年)
・歌集『トラピスト歌集』(1926年)
・宗教書『日本カトリック教史』(1929年)

☆三木露風関係略年表

・1889年(明治22)6月23日 兵庫県揖西郡龍野町8番屋敷(現在のたつの市上霞城)に、父・三木節次郎、母・かたの長男として生まれる
・1893年(明治26)4月 町立龍野幼稚園に入園する
・1895年(明治28)2月 父母が離婚し、祖父の家に引き取られる
・1895年(明治28)6月 龍野尋常小学校入学、母が東京帝国大学(現在の東京大学)病院付属看護婦養成所に入所する
・1899年(明治32)4月 伊水高等小学校へ入学する
・1902年(明治35) 『少国民』4月1日号に「朝めし前」(散文)が掲載され、以後常連になる
・1903年(明治36)4月 県立龍野中学校首席で合格する
・1903年(明治36)11月 『文庫』にはじめて短歌2首が採られる
・1904年(明治37)11月 私立閑谷黌へ転校、寄宿舎に入舎、『文庫』掲載の詩「書写山」が河井酔茗の目にとまる
・1905年(明治38) 岡山の文芸誌『白虹』の同人となる
・1905年(明治38)7月 私立閑谷黌を退学、『夏姫』を刊行する
・1905年(明治38)8月 上京し、『車前草社』(尾上柴舟主宰)に参加、『新声』誌上に短歌を掲載。北原白秋・若山牧水・前田夕暮らと交わる
・1907年(明治40)2月 『芸苑』に「高麗琴」5編を発表する
・1907年(明治40)4月 相馬御風らと早稲田詩社を結成する
・1907年(明治40)9月 早稲田大学高等予科文科に入学、諸誌に詩を発表する
・1909年(明治42)9月 『廃園』刊行、祖父に献じる
・1910年(明治43)9月 慶應義塾大学文学部に転入学(翌年退学)、『寂しき曙』を刊行する
・1911年(明治44)1月 祖父・制が亡くなる
・1912年(明治45)1月 『朱欒』特別号『勿忘草』を刊行、詩壇の地位を確立する
・1913年(大正2)9月 『白き手の猟人』を刊行する
・1914年(大正3)1月 栗山なかと結婚。東京池袋に寓居する
・1914年(大正3)2月 季刊『未来』を発行する
・1915年(大正4)7月 『幻の田園』を刊行する
・1915年(大正4)9月 『露風詩話』を刊行する
・1915年(大正4)11月 『良心』を刊行する
・1918年(大正7)11月 雑司ヶ谷亀原に転居する
・1919年(大正8)7月 創刊した『こども雑誌』の選者となる
・1920年(大正9)5月 函館トラピスト修道院に講師として赴任する
・1921年(大正10)12月 童謡集『真珠島』を刊行する
・1922年(大正11) 受洗し、霊名パウロ、妻はモニカとなる
・1924年(大正13)6月 修道院を辞して上京、池袋近郊の戸塚に住む
・1926年(大正15)1月 『修道院生活』を刊行する
・1926年(大正15)6月 『トラピスト歌集』を刊行する
・1928年(昭和3)7月 北多摩郡三鷹村(現三鷹市)に定住する
・1928年(昭和3)8月 自伝『我が歩める道』を刊行する
・1940年(昭和15) 郷里池畔に「ふるさと」の詩碑が建立される
・1958年(昭和33)12月 龍野市名誉市民に推される
・1962年(昭和37)1月 母かたが亡くなる
・1963年(昭和38)11月 紫綬褒章を受章する
・1964年(昭和39)11月 「小説新潮」に詩「紅葉」を発表する
・1964年(昭和39)12月21日 交通事故に遭う
・1964年(昭和39)12月29日 交通事故による脳内出血のため亡くなる
・1965年(昭和40)1月 勲四等瑞宝章が追贈される

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1941年(昭和16)民俗学者・植物学者南方熊楠の命日詳細
1965年(昭和40)作曲家・指揮者山田耕筰の命日(山田耕筰忌)詳細
1993年(平成5)「生物の多様性に関する条約」が発効する詳細