今日は、明治時代前期の1887年(明治20)に、「保安条例」が公布・施行された日です。
「保安条例(ほあんじょうれい)」は、自由民権運動の弾圧を意図した治安維持のための勅令(明治20年勅令第67号)でした。第一次伊藤博文内閣の井上馨外相の下で進められた条約改正交渉は、外国人犯罪裁判に外国人裁判官を採用するなどの条件で1887年(明治20)にいちおうの妥結をみましたが、日本の法権を侵害する屈辱的なものとして、自由民権派の政府攻撃が高まります。
その中で、大同団結運動(自由民権運動各派による統一運動)がおこり、三大事件建白(言論集会の自由、地租軽減、外交挽回)運動が展開され、倒閣運動へと激化するのを恐れた山県有朋内相、三島通庸警視総監の下で突如、この勅令が制定されました。全7条からなり、 (1) 秘密結社や秘密集会の禁止、(2) 屋外での集会に対する警察官の集会禁止権、(3) 内乱陰謀、治安妨害に供される文書・図書の出版用機器の全般的没収、(4) 内乱を陰謀、教唆し、または治安を妨害するおそれのある者の皇居ないしは行在所外3里 (11.8km) の地への退去、(5) 一定地域での全般的な集会禁止、旅行、移動の自由を制限する権限を警察官に与えることなどを規定しています。
これが公布・施行された日から数日間に、星亨、尾崎行雄、片岡健吉、中江兆民、林有造ら自由民権派の論客570名に退去命令が出て、片岡ら抵抗者は投獄されました。これらのことから、「治安警察法」や「治安維持法」と共に、戦前日本における弾圧法の一つとされています。
その後も発動されましたが、1898年(明治31)6月25日の「保安条例廃止法律」(明治31年法律第16号)により廃止となりました。
以下に、「保安条例」全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「保安条例」 (全文) 1887年(明治20)12月25日裁可、翌日公布・施行 全7条
朕惟フニ今ノ時ニ当リ大政ノ進路ヲ開通シ臣民ノ幸福ヲ保護スル為ニ妨害ヲ除去シ安寧ヲ維持スルノ必要ヲ認メ茲ニ左ノ条例ヲ裁可シテ之ヲ公布セシム
第一条 凡ソ秘密ノ結社又ハ集会ハ之ヲ禁ス犯ス者ハ一月以上二年以下ノ軽禁錮ニ処シ十円以上百円以下ノ罰金ヲ附加ス其首魁及教唆者ハ二等ヲ加フ
2 内務大臣ハ前項ノ秘密結社又ハ集会又ハ集会条例第八条ニ載スル結社集会ノ聯結通信ヲ阻遏スル為ニ必要ナル予防処分ヲ施スコトヲ得其処分ニ対シ其命令ニ違犯スル者罰前項ニ同シ
第二条 屋外ノ集会又ハ群集ハ予メ許可ヲ経タルト否トヲ問ハス警察官ニ於テ必要ト認ムルトキハ之ヲ禁スルコトヲ得其命令ニ違フ者首魁教唆者及情ヲ知リテ参会シ勢ヲ助ケタル者ハ三月以上三年以下ノ軽禁錮ニ処シ十円以上百円以下ノ罰金ヲ附加ス其附和随行シタル者ハ二円以上二十円以下ノ罰金ニ処ス
2 集会者ニ兵器ヲ携帯セシメタル者又ハ各自ニ携帯シタル者ハ各本刑ニ二等ヲ加フ
第三条 内乱ヲ陰謀シ又ハ教唆シ又ハ治安ヲ妨害スルノ目的ヲ以テ文書又ハ図書ヲ印刷又ハ板刻シタル者ハ刑法又ハ出版条例ニ依リ処分スルノ外仍其犯罪ノ用ニ供シタル一切ノ器械ヲ没収スヘシ
2 印刷者ハ其情ヲ知ラサルノ故ヲ以テ前項ノ処分ヲ免ルルコトヲ得ス
第四条 皇居又ハ行在所ヲ距ル三里以内ノ地ニ住居又ハ寄宿スル者ニシテ内乱ヲ陰謀シ又ハ教唆シ又ハ治安ヲ妨害スルノ虞アリト認ムルトキハ警視総監又ハ地方長官ハ内務大臣ノ認可ヲ経期日又ハ時間ヲ限リ退去ヲ命シ三年以内同一ノ距離内ニ出入寄宿又ハ住居ヲ禁スルコトヲ得
2 退去ノ命ヲ受ケテ期日又ハ時間内ニ退去セサル者又ハ退去シタルノ後更ニ禁ヲ犯ス者ハ一年以上三年以下ノ軽禁錮ニ処シ仍五年以下ノ監視ニ付ス
3 監視ハ本籍ノ地ニ於テ之ヲ執行ス
第五条 人心ノ動乱ニ由リ又ハ内乱ノ予備又ハ陰謀ヲ為ス者アルニ由リ治安ヲ妨害スルノ虞アル地方ニ対シ内閣ハ臨時必要ナリト認ムル場合ニ於テ其一地方ニ限リ期限ヲ定メ左ノ各項ノ全部又ハ一部ヲ命令スルコトヲ得
一 凡ソ公衆ノ集会ハ屋内屋外ヲ問ハス及何等ノ名義ヲ以テスルニ拘ラス予メ警察官ノ許可ヲ経サルモノハ総テ之ヲ禁スル事
二 新聞紙及其他ノ印刷物ハ予メ警察官ノ検閲ヲ経スシテ発行スルヲ禁スル事
三 特別ノ理由ニ因リ官庁ノ許可ヲ得タル者ヲ除ク外銃器短銃火薬刀剣仕込杖ノ類総テ携帯運搬販売ヲ禁スル事
四 旅人ノ出入ヲ検査シ旅券ノ制ヲ設クル事
第六条 前条ノ命令ニ対スル違犯者ハ一月以上二年以下ノ軽禁錮又ハ五円以上二百円以下ノ罰金ニ処ス其刑法又ハ其他特別ノ法律ヲ併セ犯シタルノ場合ニ於テハ各本法ニ照シ重キニ従ヒ処断ス
第七条 本条例ハ発布ノ日ヨリ施行ス
「法令全書」より
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