今日は、1917年(大正6)に、大之浦炭鉱(福岡県)でガス爆発事故があり、死者・行方不明者369人(日本の炭鉱事故史上ワースト3)を出した日です。
大之浦炭鉱ガス爆発事故(おおのうらたんこうがすばくはつじこ)は、当時の筑豊炭田の一角、福岡県宮田村(現在の宮若市)にあった貝島鉱業株式会社所有、大之浦桐野炭鉱第二坑で夜半の21時5分に起きたガス爆発事故でした。この爆発で、約200㎡もある坑口の上屋が崩壊して吹き飛び、天井の崩落が各所で起こり、坑道の各部が閉鎖されて入坑者403人は逃げ場を失い坑底に取り残されます。
その中で、34人が生還したものの、それ以外の救出作業は難航し、わずか8遺体を収容したのみで、生存者のいる見込みがないとし、再びガス爆発が誘発されるおそれがあるという理由で、翌22日午後6時仮密閉に着手、続いて25日午後4時までにすべての断層はレンガ塀によって密閉されました。その後、遺体収容と爆発原因究明は順次行われましたが、坑内での残存毒ガスの噴出や小爆発が繰り返されたため、作業は困難を極め、結局遺体の収容は8年後の1925年(大正14)までかかり、計336人の遺体が収容されたものの、残る33人は行方不明のままとなっています。
この炭層には、爆発する危険な個所が散在していたとされますが、その後調査を重ねたものの、原因を特定するには至りませんでした。尚、この炭鉱では、8年前の1909年(明治42)11月24日にも炭塵ガス爆発を起こして243人の犠牲者を出し、この21年後の1939年(昭和14)1月21日にも東三坑でガス炭塵爆発事故が起き、92人が亡くなっています。
〇大之浦炭鉱とは?
筑豊御三家の一人で炭鉱王と呼ばれた貝島太助氏が、1885年(明治18)に福岡県鞍手郡上大隈村代ノ浦(現在の宮若市)に開坑(旧一坑)した炭鉱です。その後、次々と鉱区を拡大、1894年(明治27)の日清戦争による好況で更に事業を拡大し、1898年(明治31)には、貝島鉱業合名会社(後の貝島炭礦)を設立しました。
1908年(明治41)頃までの炭坑を大きく四つの鉱山(菅牟田・桐野・満之捕・大辻)とその他に統一、翌年には、株式会社に組織変更して石炭事業に専念しましたが、同年11月24日に大之浦桐野炭鉱第二坑で炭塵ガス爆発を起こして243人の犠牲者を出します。さらに、1917年(大正6)に再び、大之浦桐野炭鉱第二坑でガス爆発事故があり、死者・行方不明者369人(日本の炭鉱事故史上ワースト3)を出しました。
1924年(大正13)には、菅無代、桐野、満之浦の三鉱山を一括して大之浦炭鉱と称したものの、さらに、1939年(昭和14)1月21日にも東三坑でガス炭塵爆発事故が起き、92人が亡くなっています。太平洋戦争後の1949年(昭和24)には、二、三、東三、五、西五、六、七、八、毛勝坑の9坑となったものの、石炭から石油へとエネルギー転換が進展し、合理化が進められました。
1963年(昭和38)の第五次合理化で、二坑が第二大之浦炭砿、五坑が菅牟田炭砿、六坑が満之浦炭砿という第二会社へ移行、人員整理も進められ、大之浦炭砿は新菅牟四坑と露天掘のみとなります。1967年(昭和42)には、1月に第二会社であった菅牟田炭砿(旧五坑)、4月には満之浦炭鉱(旧六坑)が閉山、1971年(昭和46)には、第二大之浦炭砿(旧二坑)も閉山しました。
その後、1973年(昭和48)11月には、新菅牟田の竪坑も終結して坑内掘は姿を消し、1976年(昭和51)8月に露天掘も中止となり、貝島炭礦は会社更生法適用を申請して閉山、91年間の歴史に幕を閉じています。
☆日本の主な炭鉱事故一覧
<明治時代>
・1899年6月15日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者210人]
・1907年7月20日 豊国炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者365人] 明治期最悪の事故
・1909年11月24日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者243人]
・1912年4月29日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者276人]
<大正時代>
・1912年12月23日 北炭夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者216人]
・1913年2月6日 二瀬炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者101人]
・1914年11月28日 新夕張炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者423人]
・1914年12月15日 方城炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者687人] 日本の近代史上最悪の事故
・1915年4月12日 東見初炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者235人]
・1917年12月21日 大之浦炭鉱(福岡県)爆発事故[死者・行方不明者369人]
・1920年6月14日 北炭夕張炭鉱北上坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者209人]
<昭和時代>
・1927年3月27日 内郷炭鉱(福島県)坑内火災[死者・行方不明者136人]
・1935年5月6日 大倉鉱業茂尻炭鉱鉱慶三坑(北海道)爆発事故[死者95人]
・1938年10月6日 北炭夕張炭鉱天竜坑(北海道)爆発事故[死者・行方不明者161人]
・1939年1月21日 筑豊炭田貝島大之浦炭鉱東三坑(福岡県)爆発事故[死者92人]
・1941年3月18日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者177人]
・1943年2月3日 長生炭鉱(山口県)海水流入事故[死者・行方不明者183人]
・1944年5月16日 美唄炭鉱(北海道)爆発事故[死者・行方不明者109人]
・1958年9月25日 池本鉱業大昇炭鉱(福岡県山田市)ガス爆発[死者14人]
・1960年9月20日 豊州炭鉱(福岡県)落盤[死者・行方不明者67人]
・1960年2月1日 北炭夕張炭鉱(北海道夕張市)ガス爆発[死者42人]
・1961年3月9日 上清炭鉱(福岡県)坑内火災[死者71人]
・1961年3月16日 大辻炭鉱(福岡県)坑内火災[死者26人]
・1963年11月9日 三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)爆発事故[死者458人] 太平洋戦争後最悪の事故
・1965年2月22日 北海道炭砿汽船夕張鉱業所(北海道夕張市)爆発事故[死者・行方不明者61人]
・1965年6月1日 三井山野炭鉱(福岡県嘉穂郡稲築町)爆発事故[死者・行方不明者237人]
・1970年 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者5人・重軽傷者7人]
・1972年11月2日 石狩炭鉱石狩鉱業所(北海道空知郡奈井江町)ガス爆発事故[死者31人]
・1977年5月12日 三井芦別炭鉱(北海道芦別市)ガス爆発事故[死者25人・重傷者8人]
・1981年10月16日 北炭夕張新炭鉱(北海道夕張市)ガス突出・爆発事故[死者は93人]
・1984年1月18日 三井三池炭鉱有明抗(福岡県三池郡高田町)坑内火災[死者83人]
・1985年5月17日 三菱南大夕張炭鉱(北海道夕張市)爆発事故[死者62人]
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1854年(安政2) | 「日露和親条約」が締結される(新暦1855年2月7日) | 詳細 |
1943年(昭和18) | 東條内閣が「都市疎開実施要綱」を閣議決定する | 詳細 |
1946年(昭和21) | 昭和南海地震(M8.0)が起き、死者1,443人を出す | 詳細 |