今日は、明治時代後期の1902年(明治35)に、小学校教科書の採定をめぐる府県担当官と教科書会社の贈収賄事件(教科書疑獄事件)が発覚、金港堂・普及舎・集英堂・文学社など20余ヶ所を一斉に捜索、金港堂社長の原亮一郎、休職中の三重県視学官、群馬県郡視学の3名を検挙した日です。
教科書疑獄事件(きょうかしょぎごくじけん)は、明治時代後期の小学校の検定教科書の採択をめぐって発生した贈収賄事件でした。1886年(明治19)に「教科用図書検定条例」が制定されてからは、小学校用教科書は文部省の検定認可を経た後、府県ごとの審査委員会による審査を受けて、正式に採用されることになります。
このため、教科書会社による売り込み競争が激化し、当局も罰則を強化してこれに対応することとなりました。しかし、1902年(明治35)12月17日に金港堂、集英堂などの教科書会社20余ヶ所が家宅捜査をうけ、金港堂社長の原亮一郎、休職中の三重県視学官、群馬県郡視学の3名が拘引されたのに始まり、翌年3月までに、この事件の範囲は1道3府36県におよび、召喚・検挙者は宮城・栃木・新潟県の現職知事をはじめ、島根県と宮城県の前知事、群馬県元知事、文部省視学官・図書審査官、府県書記官・視学官、郡視学、高等師範学校教諭、師範学校校長・教諭、中学校長、高等女学校長、小学校長、さらには県会議長、県参事会員、弁護士、教科書会社関係者など200余人が取調べを受けます。
その内、152人が予審に付され、116人が有罪になるという、教育界空前の不祥事となりました。また、これに関係した金港堂・集英堂・普及舎・冨山房・国光社などが発行する教科書は採択禁止となり、当時の主要な教科書約2,000万冊以上が文部省令の失効罰則の適用をうけて採択できなくなります。
この結果、菊池大麓文部大臣が引責辞任し、1903年(明治36)4月13日に、「小学校令」が改正され、小学校用の国定教科書が誕生するに至りました。
〇国定教科書とは?
執筆・編集を政府機関がおこない、政府により全国の学校で一律に使用を強制される教科書です。小学校用の教科書は、1872年(明治5)の「学制」発布時は自由発行・自由採択制となっていました。しかし、1880年(明治13)に教科書の使用禁止書目が発表され、1881年(明治14)の「小学校教則綱領」では開申制(採択教科書を監督官庁に報告すればよい)となり、1883年(明治16)に認可制(採択してよいかどうかの許可を受けることが必要となる)に、そして、1886年(明治19)の「小学校令」公布で、「教科用図書検定条例」が定められ、徐々に政府による統制が強化されてきます。
さらに、1890年(明治23)の「教育勅語」発布以後は、この勅語の精神にのっとる教育の実現のため、修身などの教科書の国費による編纂を求める建議が衆議院や貴族院で出されるようになりました。1902年(明治35)に「教科書疑獄事件」(教科書会社と採択側の教育関係者との間で、贈収賄が行われているとして、200余人が取調べを受け、うち152人が予審に付され、116人が有罪となった事件)が起きると、それを口実に翌年4月13日に「小学校令」が改正され、「小学校ノ教科用図書ハ文部省ニ於テ著作権ヲ有スルモノタルヘシ」と規定し、修身・日本歴史・地理の教科書および国語読本は必ず国定教科書を用いることが定められ、さらに同施行規則において、書き方手本・算術・図画の教科書も国定とすることを定められます。
すぐにこれらの教科書の編集が開始され、1904年(明治37)から国語読本・書き方手本・修身・日本歴史・地理の国定教科書が使用され始めました。1905年(明治38)には算術・図画の教科書が使用開始され、1910年(明治43)には理科教科書も国定教科書に追加され、小学校教科書の内容はすべて文部省がこれを統一して全国一様なものとなります。
以後 1918年(大正7)、1933年(昭和8)、1941年(昭和16)に全面的な修正が行われ、1943年(昭和18)からは、師範学校、中等学校でも国定教科書が使用されるようになりました。この結果、教科書が画一化し、軍国主義的記述などその内容に国家権力の意図するものが多くなり、軍国主義教育に導いたとされ、太平洋戦争後の教育改革により、国定教科書は廃止され、小・中・高等学校ともに、1950年(昭和25)から検定教科書を使用することとなります。
☆小学校教科書関連略年表
・1872年(明治5) 「学制」発布 「小学教則」(教科書自由発行・自由採択制)
・1879年(明治12) 「教育令」公布 教学聖旨
・1880年(明治13) 教科書の使用禁止書目の発表
・1881年(明治14) 小学校教則綱領(開申制・採択教科書を監督官庁に報告すればよい)
・1883年(明治16) 認可制となり、採択してよいかどうかの許可を受けることが必要となる
・1886年(明治19) 「小学校令」公布で、「教科用図書検定条例」が制定される
・1887年(明治20) 「教科用図書検定規則」が定められ、教科書検定制度が始まる
・1890年(明治23) 「教育勅語」発布
・1891年(明治24) 「小学校教則大綱」
・1900年(明治33) 「小学校令」改正
・1902年(明治35) 教科書疑獄事件が起きる
・1903年(明治36) 「小学校令」改正で教科書国定制となる
・1904年(明治37) 国定教科書使用開始(国語読本・書き方手本・修身・日本歴史・地理)
・1905年(明治38) 算術・図画も国定教科書の使用開始
・1910年(明治43) 理科も国定教科書の使用開始
・1907年(明治40) 義務教育4年制 ⇒6年制
・1918年(大正7) 国定教科書の全面的な修正
・1933年(昭和8) 国定教科書の全面的な修正
・1941年(昭和16) 国定教科書の全面的な修正
・1941年(昭和16) 国民学校発足
・1945年(昭和20) 敗戦 文部省通達:軍事教材など不適切分の削除と墨塗り教科書
・1950年(昭和25) 検定教科書使用開始
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1709年(宝永6) | 第113代の天皇とされる東山天皇の命日(新暦1710年1月16日) | 詳細 |
1938年(昭和13) | 日本画家小川芋銭の命日 | 詳細 |
1957年(昭和32) | 恩賜上野動物園内に常設では日本初のモノレールが開業する | 詳細 |