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 今日は、昭和時代前期の1941年(昭和16)に、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」(宣戦詔勅)が発せられて、太平洋戦争が開戦された日です。
 「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」(べいこくおよびえいこくにたいするせんせんのしょうしょ)は、太平洋戦争開戦に際し、昭和天皇の名により、アメリカ・イギリスと戦争状態に突入したことを述べる詔書でした。略称としては、「宣戦詔勅」とも呼ばれ、日中戦争が解決しない理由をアメリカとイギリスの対中華民国援助に求め、アメリカ・イギリスの対日圧迫に対抗して開戦するという動機が述べられています。また、日清戦争や日露戦争開戦時の詔書と比較して、国際法尊重の文言がなく、既存の国際秩序の破壊を宣言し、国家総力戦であることが強調されているのが特徴とされてきました。
 この日の攻撃は、まず、日本時間午前2時15分(現地時間午前1時30分)にイギリス領マレー半島東北端のコタ・バルに上陸し、海岸線で英印軍と交戦、続いて、日本時間午前3時19分(ハワイ時間午前7時49分)に日本海軍航空隊による真珠湾攻撃が開始されます。しかし、事前にアメリカとイギリスに対して、この詔勅を発しようとしたものの、英文に翻訳しタイプするのに手間取り、その日のマレー半島攻撃や真珠湾攻撃開始後の手交となったため、不意打ちを行う形となり、アメリカ・イギリス国民の怒りを買い、アメリカ軍は「リメンバー・パールハーバー」を戦争遂行の合言葉とするようになりました。
 開戦当初は日本軍に有利に戦況が展開しましたが、翌年6月5日~7日にかけてのミッドウェー海戦の敗北により戦局が転換します。徐々に反撃が強化され、南方の島々を次々に奪取され、それを拠点とした本土空襲も激化、1945年(昭和45)6月23日の沖縄戦敗北、8月6日広島・8月9日長崎の原爆投下を経て、「ポツダム宣言」受諾を決定、8月15日正午に玉音放送によって、国民に知らせされ、敗戦へと至りました。
 以下に、「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」(宣戦詔勅)の全文を現代語訳・注釈付で掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」(宣戦詔勅) (全文) 1941年(昭和16)12月8日公布

米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書  

天佑[1]ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル[2]大日本帝國天皇ハ昭ニ[3]忠誠勇武ナル汝有衆[4]ニ示ス
朕茲ニ米國及英國ニ對シテ戰ヲ宣ス朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ朕カ百僚有司[5]ハ勵精[6]職務ヲ奉行[7]シ朕カ衆庶[8]ハ各々其ノ本分ヲ盡シ億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ逹成スルニ遺算[9]ナカラムコトヲ期セヨ
抑々東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スルハ丕顯[10]ナル皇祖考[11]丕承[12]ナル皇考[13]ノ作述[14]セル遠猷[15]ニシテ朕カ拳々措カサル[16]所而シテ[17]列國トノ交誼[18]ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開ク[19]ニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈[20]朕カ志ナラムヤ中華民國政府曩ニ[21]帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ遂ニ帝國ヲシテ干戈[22]ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有餘ヲ經タリ幸ニ國民政府更新スルアリ帝國ハ之ト善隣ノ誼ヲ結ヒ相提攜スルニ至レルモ重慶ニ殘存スル政權[23]ハ米英ノ庇蔭[24]ヲ恃ミテ兄弟尚未タ牆ニ相鬩ク[25]ヲ悛メス米英兩國ハ殘存政權ヲ支援シテ東亞ノ禍亂[26]ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿レテ東洋制覇ノ非望[27]ヲ逞ウセムトス剩ヘ[28]與國[29]ヲ誘ヒ帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ增強シテ我ニ挑戰シ更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡ニ囘復セシメムトシ隱忍久シキニ彌リタルモ彼ハ毫モ[30]交讓[31]ノ精神ナク徒ニ[32]時局[33]ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ增大シ以テ我ヲ屈從セシメムトス斯ノ如クニシテ推移セムカ[34]東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ[35]事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然[36]起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ
皇祖皇宗[37]ノ神靈上ニ在リ朕ハ汝有衆[4]ノ忠誠勇武ニ信倚[38]シ祖宗[39]ノ遺業ヲ恢弘[40]シ速ニ禍根ヲ芟除[41]シテ東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス

御名(裕仁)御璽
昭和十六年十二月八日 各國務大臣副署

      『官報』号外(昭和16年12月8日)より
 
【注釈】

[1]天祐:てんゆう=天の助け。天助。
[2]皇祚ヲ践メル:こうそをふめる=天皇の位につく。皇位を継承する。
[3]昭ニ:あきらかに=はっきりと。明確に。明らかに。
[4]有衆:ゆうしゅう=国民。庶民。臣民。
[5]百僚有司:ひゃくりょうゆうし=もろもろの役人。百官。
[6]勵精:れいせい=精を出してはげむこと。精励。
[7]奉行:ほうこう=命令を受けて行う。
[8]衆庶:しゅうしょ=もろもろの人。
[9]遺算:いさん=見込みちがい。誤算。手落ち。
[10]丕顕:ひけん=大いにあきらかなこと。立派なこと。また、そのさま。
[11]皇祖考:こうそこう=天皇の亡祖父。ここでは明治天皇。
[12]丕承:ひしょう=大いに受け継ぐこと。
[13]皇考:こうこう=天皇の亡父。ここでは大正天皇。
[14]作述:さくじゅつ=新たに創作したり、先人の業績を受け継いだりすること。
[15]遠猷:えんゆう=遠い将来までのはかりごと。
[16]拳々措カサル:きょきょおかざる=常に心にもち続ける。
[17]而シテ:しこうして=そうであるから。
[18]交誼:こうぎ=交際。
[19]釁端ヲ開ク:きんたんをひらく=争いを始める。戦端を開く。
[20]豈:あに=どうして。
[21]曩ニ:さきに=先に。かつて。以前に。
[22]干戈:かんか=盾と鉾。武器。
[23]重慶ニ殘存スル政權:じゅうけいにざんぞんするせいけん=蒋介石の国民政府のこと。
[24]庇蔭:ひいん=ひさしのかげ。かばい助けること。庇護すること。
[25]牆ニ相鬩ク:かきにあいせめく=仲間内で争う。
[26]禍亂:からん=世の中が乱れること。騒動。
[27]非望:ひぼう=身分不相応のことを望むこと。また、そのような望み。野望。
[28]剰ヘ:あまつさえ=それだけでなく。
[29]與國:よこく=同盟国。味方の国。
[30]毫モ:ごうも=いささかも。
[31]交譲:こうじょう=互いに譲りあうこと。
[32]徒ニ:いたづらに=むだに。意味もなく。
[33]時局:じきょく=その時の社会の状態。社会情勢。
[34]推移セムカ:すいいせんか=推移したならば。
[35]危殆ニ瀕セリ:きたいにひんせり=危険な状態に陥ること。危ない状態となること。
[36]蹶然:けつぜん=決然。覚悟を決めて。
[37]皇祖皇宗:こうそこうそう=天照大神に始まる天皇歴代の祖先。
[38]信倚:しんい=信頼。
[39]祖宗:そそう=先祖代々の君主。
[40]恢弘:かいこう=事業などを大きくしておしひろめること。
[41]芟除:せんじょ=除き去ること。除去。 

<現代語訳>

米国及び英国に対する宣戰の詔書

 天の助けの下で、万世一系の皇位を継承し、現に大日本帝国天皇たる私は、明らかに忠誠の念が厚く、武勇に秀でた国民諸君に知らしめる。
 私は米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の統帥する陸軍・海軍の将兵は全力を奮って戦闘に従事し、また私の諸官吏は一層その職務命令に従って精勤し、もろもろの人はそれぞれの務めを果たし、一億の民が心を統一して、国家の総力を挙げての戦争目的達成のために手落ちが生ぜぬように万全を期せ。
 そもそも、東アジアの安定を確保して、もって世界の平和に寄与するとの考えは、大いなる明治天皇と、それを受け継がれた大正天皇の御計画であって、私もまたこれを常に心にもち続けるものである。そうであるから、各国との交際を篤くし、あらゆる国の共栄の喜びをともにすることは、これもまた常に帝国外交の要点としてきたところである。今や不幸にして、米英両国と戦端を開くに至った。まことにやむをえない事態であって、これは決して私の本意とするところではない。中華民国は以前より、帝国の真意を理解せずに、みだりに挑発を繰り返して東アジアの平和を乱し、ついに帝国をして武器をとって立ち上がせる事態に至らしめ、すでに四年余りの歳月を経過したのである。幸いにして、国民政府は新たに変わり(汪兆銘の南京政府となる)、日本はこれと友好関係を結び、ともに提携するようになったのだが、重慶に残っている(蒋介石)政権は、米英の庇護を受けて、兄弟である南京政府といまだに相互に争う姿勢を改めていない。米英両国は残存する(蒋介石)政権を支援して、ことさらに東アジアで騒動を起こすことを助長し、平和の美名に隠れて東洋制覇の野望をほしいままにしている。それだけでなく、同盟国を誘って帝国の周辺において軍備を増強し、我が国に挑戦し、さらに帝国の平和的通商にまであらゆる妨害を与え、ついには経済断交さえ敢えて行い、帝国の生存に重大な脅威を加えている。私は政府の手によって、この事態を平和裏に回復させようとして、長い間耐え忍んできたのであるが、彼等はいささかも交渉において互いに譲りあうことがなく、意味もなく情勢の解決を長引かせて、この間にかえってますます経済上・軍事上の脅威を増大し、それでもって我国を屈服させようとしている。そのように推移したならば、東アジアの安定に関する帝国の積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存立もまた重大な危機に瀕している。事態がすでにここに至った以上、帝国は今や自存自衛のために覚悟を決めて立ち上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
 天照大神に始まる天皇歴代の祖先の神霊をいただき、私は、おまえたち臣民の忠誠と武勇を信頼し、先祖代々の天皇の御遺業を更に大きく発展させて、速やかに禍根を除去し、東アジアに永遠の平和を確立し、それによって帝国の光栄を保とうとするものである。

御名(裕仁)御璽
1941年(昭和16)12月8日 各国務大臣副署

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