今日は、南北朝時代の1367年(正平22/貞治6)に、室町幕府第2代将軍足利義詮の亡くなった日ですが、新暦では12月28日となります。
足利義詮(あしかが よしあきら)は、1330年(元徳2年6月18日)に、室松幕府初代将軍足利尊氏の三男(母は北条久時の娘赤橋登子)として生まれましたが、幼名は千寿王と言いました。1333年(正慶2/元弘3)の元弘の乱で父・尊氏が西上すると人質として母と共に鎌倉に抑留されましが、鎌倉を脱出し、新田義貞の軍勢に合流し鎌倉攻めに参加します。
1335年(建武2)に従五位下に叙され、1335年(建武2)に父・尊氏が建武政府にそむき、南北朝の動乱が始ると足利軍の関東における軍事統率者として鎌倉を守りました。1344年(興国5/康永3)に正五位下に昇叙、左馬頭に任官、1347年(正平2/貞和3)に従四位下に昇叙します。
1349年(正平4/貞和5)に父・尊氏、高師直と叔父足利直義との間に不和が生じて観応の擾乱が始まり、直義が失脚すると講和条件に従って入京し政務を執り、参議に補任され、左近衛中将を兼任しました。1351年(正平6/観応2)に父・尊氏が直義派に対抗するために父と共に南朝に降伏(正平一統)、翌年に南朝軍は約束を破って京都に侵入、1353年(正平8)には、異母兄の直冬や山名時氏らの攻勢により、一時的に京都を奪われ、神器と3上皇を伴って賀名生に逃げます。
畿内各地を転戦し、直義方、南朝軍と京都争奪戦を展開、1356年(正平11/延文元)に従三位に昇叙、1358年(正平13/延文3)に父・尊氏が亡くなると征夷大将軍に宣下され、第2第将軍となりました。1361年(正平16/延文6)に細川清氏・畠山国清と対立した仁木義長が南朝へ降り、さらに執事(管領)の清氏までもが佐々木道誉の讒言のために離反して南朝へ降りましたが、1362年(正平17/貞治元)の清氏の失脚以来空席となっていた管領職に斯波義将を任命、翌年には、大内氏、山名氏が幕府に帰参して政権は安定化しはじめます。
1363年(正平18/貞治2)に権大納言に転任、大内弘世、山名時氏を帰服させて中国地方を統一、従二位に昇叙しました。1365年(正平20/貞治4)に三条坊門万里小路の新邸に移り、翌年に斯波氏が一時失脚すると細川頼之を管領に任命(貞治の変)、1367年(正平22/貞治6)には、正二位に昇叙します。
しかし、1367年(正平22/貞治6)に幼少の嫡男・義満を細川頼之に託して、同年12月7日に、京都において、病によって数え年38歳で亡くなりました。
〇足利義詮関係略年表(日付は旧暦です)
・1330年(元徳2年6月18日) 室松幕府初代将軍足利尊氏の三男(母は北条久時の娘赤橋登子)として生まれる
・1333年(正慶2/元弘3年) 元弘の乱で父・尊氏が西上すると人質として母と共に鎌倉に抑留されるが、鎌倉を脱出し、新田義貞の軍勢に合流し鎌倉攻めに参加する
・1335年(建武2年 4月7日) 従五位下に叙される
・1335年(建武2年) 父・尊氏が建武政府にそむき、南北朝の動乱が始ると足利軍の関東における軍事統率者として鎌倉を守る
・1344年(興国5/康永3年3月16日) 正五位下に昇叙する
・1344年(興国5/康永3年3月18日) 左馬頭に任官する
・1347年(正平2/貞和3年12月3日) 従四位下に昇叙する
・1349年(正平4/貞和5年) 父・尊氏、高師直と叔父足利直義との間に不和が生じる
・1350年(正平5/観応元年) 観応の擾乱が始まり、執政の叔父足利直義が失脚すると講和条件に従って入京し政務を執る
・1350年(正平5/観応元年8月22日) 参議に補任され、左近衛中将を兼任する
・1351年(正平6/観応2年8月) 父・尊氏が直義派に対抗するために父と共に南朝に降伏する(正平一統)
・1352年(正平7年2月) 南朝軍は約束を破って京都に侵入する
・1353年(正平8年6月) 異母兄の直冬や山名時氏らの攻勢により、一時的に京都を奪われる
・1355年(正平10年1月) 再び、一時的に京都を奪われる
・1356年(正平11/延文元年8月23日) 従三位に昇叙。参議左近衛中将如元
・1358年(正平13/延文3年4月) 父・尊氏が亡くなる
・1358年(正平13/延文3年12月18日) 征夷大将軍に宣下され、室町幕府第2第将軍となる
・1359年(正平14/延文4年2月4日) 武蔵守を兼任する
・1361年(正平16/延文6年) 細川清氏・畠山国清と対立した仁木義長が南朝へ降り、さらに執事(管領)の清氏までもが佐々木道誉の讒言のために離反して南朝へ降る
・1362年(正平17/貞治元年7月) 清氏の失脚以来空席となっていた管領職に斯波義将を任命する
・1363年(正平18/貞治2年) 大内氏、山名氏が幕府に帰参して政権は安定化しはじめる
・1363年(正平18/貞治2年1月28日) 権大納言に転任する
・1363年(正平18/貞治2年) 大内弘世、山名時氏を帰服させて中国地方を統一する
・1363年(正平18/貞治2年7月29日) 従二位に昇叙、権大納言如元
・1365年(正平20/貞治4年2月) 三条坊門万里小路の新邸に移る
・1366年(正平22/貞治6年) 斯波氏が一時失脚すると細川頼之を管領に任命する(貞治の変)
・1367年(正平22/貞治6年1月5日) 正二位に昇叙する
・1367年(正平22/貞治6年11月) 側室の紀良子との間に生まれた幼少の嫡男・義満を細川頼之に託する
・1367年(正平22/貞治6年12月7日) 京都において、数え年38歳で亡くなる
・1367年(正平22/貞治6年12月20日) 従一位左大臣が追贈される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
721年(養老5) | 第43代の天皇とされる元明天皇の命日(新暦12月29日) | 詳細 |
1944年(昭和19) | 昭和東南海地震(M7.9)が起き、死者1,223人を出す | 詳細 |
1948年(昭和23) | 警視庁が昭和電工事件で、芦田均前首相を逮捕する | 詳細 |