今日は、昭和時代中期の1965年(昭和40)に、日本科学者会議が結成された日です。
日本科学者会議(にほんかがくしゃかいぎ)は、日本の科学の自主的・総合的な発展と科学者としての社会的責任の遂行を目的とした学術研究団体で、略称は「JSA」、「日科」とも呼ばれてきました。1965年(昭和40)に、江口朴郎ら東京の科学者14人が呼びかけ人となり、12月4日に創立発起人総会が開催され、18都道府県471人が参加、1,186人の発起人によって結成されています。
1966年(昭和41)に、機関誌「日本の科学者」が創刊され、1971年(昭和46)には、世界科学者連盟(World Federation of Scientific Workers)に加盟しました。1976年(昭和51)から隔年で総合学術研究集会を開催、1991年(平成3)には、ベルリンで開かれた科学と平和に関する会議で「地球的責任のための技術者・科学者国際ネットワーク」(INES)が設立され、それにも参加するようになっています。
現在は、4,000人以上の会員を擁し、各都道府県に支部があり、専門委員会として、公害環境問題研究委員会、エネルギー・原子力問題研究委員会、災害問題研究委員会、平和問題研究委員会、食糧問題研究委員会、保健医療福祉問題研究委員会、生命倫理研究委員会、21世紀社会論研究委員会、科学・技術政策委員会、科学者の権利問題委員会などの他に、女性研究者技術者委員会、若手研究者問題委員会が設けられてきました。公害環境問題、食糧問題、思想・文化などの分野で活発に活動に取り組み、研究費の削減、大学研究機関の国家統制や軍事研究などに反対する運動、原水爆禁止の運動、憲法改悪に反対する運動、「公害」に反対する運動、科学者の自主的国際交流のための運動などにも取り組んでいます。
以下に、「日本科学者会議創立宣言」を掲載しておきましたので、ご参照下さい。
〇日本科学者会議創立宣言
自然と社会の真理を追求し、人類の進歩と人民の生活に科学を役立てることは、科学研究にたずさわるものの心からの願いである。
しかし、今日の世界情勢と日本の現実は、このような科学者の願いに全く逆行している。
ベトナムにおいては、アメリカの手によって近代科学が非道な殺りくと侵略のために利用されている。また科学のすばらしい成果である原子力の解放は、帝国主義の核脅迫の手段となっている。
日本においても、「日韓条約」の強行採決に見られるような民主主義を破壊する反動攻勢のもとで、軍国主義思想、アメリカ追随の思想が科学の装いをもって広められ、研究にたいする直接統制と莫大な資金「援助」によって、科学の自主的・民主的発展はいちじるしくさまたげられている。
日本の多くの良心的科学者は、劣悪な研究条件のもとで、科学の正しい発展をねじまげる内外の反動勢力とたたかい、科学者の本来の使命を果たすために奮闘してきた。
われわれは、困難な状況にもかかわらず、アメリカの対日文化工作や教育の反動化、研究費の削減、大学研究機関の国家統制や軍事研究などに反対する運動、原水爆禁止の運動、アメリカ原子力潜水艦「寄港」、アメリカのベトナム侵略・毒ガス使用や「日韓条約」、憲法改悪に反対する運動北京科学シンポジウムのような民主的科学者の自主的国際交流のための運動をおしすすめ、また、健康を守り、「公害」に反対する運動、などにとりくみ、数多くの成果をあげてきた。
また、それらの運動むすびついて、科学上の研究成果をあげ、人民の要望にこたえる努力をしてきた。そしていくつかの分野では、民主的な科学者の組織もしだいに強化されてきた。
いま、これらの運動をいっそう発展させるために、日本の民主的科学者が、専門別、地方別、学校別などのわくをこえ、世界観や研究方法のちがいをこえて、全国的にその力をあわせることは、緊急にしてかつ重大な使命といわなければならない。 われわれは、ここに日本科学者会議に結集する。
日本科学者会議は、規存の民主的科学者の諸組織と心から協力・提携し、世界の民主的科学者運動と連帯をつよめ、日本人民のたたかいのなかで、科学の発展を妨害するものとたたかい、科学を正しく発展させ、科学者の責任を果たすため、ただちに全面的な活動を開始する。
われわれは統一と団結をかたく守り、慎重に着実に力強く前進するであろう。
ここに日本科学者会議の創立を厳しゅくに宣言する。
1965年12月4日
日本科学者会議創立発起人総会
☆日本科学者会議関係略年表
・1965年(昭和40)7月 江口朴郎ら東京の科学者14人が呼びかけ人となり、科学者の全国組織の結成の機運が高まる
・1965年(昭和40)10月 「科学者の全国組織をめざす東京準備会」が発足
・1965年(昭和40)12月4日 創立発起人総会開催、18都道府県471人が参加し、1,186人の発起人によって結成、代表幹事には林要らが就任、初代事務局長は神山恵三
・1966年(昭和41)3月 機関誌「日本の科学者」が創刊される
・1971年(昭和46) 世界科学者連盟(World Federation of Scientific Workers)に加盟する
・1976年(昭和51) 隔年で総合学術研究集会を開催するようになる
・1991年(平成3) ベルリンで開かれた科学と平和に関する会議で「地球的責任のための技術者・科学者国際ネットワーク」(INES)が設立され、それに参加する
・1995年(平成7)12月 創立30周年記念国際シンポジウムを開催する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1027年(万寿4) | 公卿藤原道長の命日(新暦1028年1月3日) | 詳細 |
1942年(昭和17) | 小説家中島敦の命日 | 詳細 |
1961年(昭和36) | 歴史学者・思想史家津田左右吉の命日 | 詳細 |