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 今日は、昭和時代中期の1951年(昭和26)に、戦後最初の国内民間航空会社として設立された日本航空が、一番機の「もく星号」で東京~大阪~福岡間の運航を開始した日で、「民間航空記念日」ともされています。
 太平洋戦争後の占領下において、1945年(昭和20)9月に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により、直ちに官民を問わず全ての日本国籍の航空機の運航が停止されていましたが、1950年(昭和25)6月に、GHQにより日本の航空会社による運航禁止期間が解除されました。そこで、翌年1月17日に日本航空創立準備事務所が開設され、3月に国内航空運送事業の免許を申請、5月22日に国内定期航空運送事業の営業免許を取得します。
 8月1日に「日本航空株式会社」が設立され、8月27日~29日にフィリピン航空からチャーターしたダグラス DC-3型機(金星号)で、運航関係者や報道関係者を対象にした試験招待飛行を実施、9月には、羽田空港や大阪、福岡、札幌などの当初の就航予定地に支所や出張所を開設しました。そして、10月21日にアメリカのノースウエスト航空と運行契約を締結、10月25日には、戦後初の国内民間航空定期便としてアメリカのノースウエスト航空から乗員とともにリースしたマーチン2-0-2型機「もく星号」で羽田空港~伊丹空港~板付空港間の定期旅客運航を開始、この日が「民間航空記念日」とされています。
 また、11月1日には、正規ダイヤの運航に移り、羽田空港~千歳空港間の運航も開始されました。尚、一番機の「もく星号」は、1952年(昭和27)4月9日に、伊豆大島で墜落事故(もく星号墜落事故)を起こし、乗客乗員全員37名が死亡する大惨事を起こしています。

〇マーチン2-0-2型機とは?

 太平洋戦争後の連合国による占領下、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により軍民問わず航空機を運用することを禁止されていましたが、1950年(昭和25)6月に、GHQにより日本の航空会社による運航禁止期間が解除ます。翌年8月1日に日本航空株式会社が設立され、10月21日にアメリカのノースウエスト航空と運行契約が締結され、民間旅客機による定期路線が就航することになりました。しかし、実際にはアメリカのノースウエスト航空から乗員とともにリースした飛行機による羽田空港-伊丹空港-板付空港間の運航となります。このときに使用されたのがマーチン2-0-2型機5機で、それぞれの機体に太陽系の惑星に由来する愛称、「きん星」(機体記号:N93041)、「もく星」(機体記号:N93043)、「すい星」(機体記号:N93049)、「ど星」(機体記号N93060)、「か星」(機体記号N93061) が付けられました。その機体は、全幅:28.4m、全長:22.8m、高さ:8.70m、操縦乗員:3名、乗客:40名(最大)、エンジン:プラット・アンド・ホイットニー R-2800-CB16双発、総重量:30,367kg、最大巡航速度:450km/h、航続距離:4,184kmとなっています。しかし、1952年(昭和27)4月9日に、ノースウエスト航空の乗務員が運航していた「もく星号」が伊豆大島で墜落事故(もく星号墜落事故)を起こし、乗客乗員全員37名が死亡する大惨事となります。その後、1953年(昭和28)10月1日の日本航空株式会社(特殊会社)設立に伴う自主運航開始と共に、全てノースウエスト航空に返却され、日本の空から姿を消しました。

☆太平洋戦争後民間航空機運行の歩み

<1945年(昭和20)>
・9月 戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により、直ちに官民を問わず全ての日本国籍の航空機の運航が停止される

<1950年(昭和25)>
・6月 GHQにより日本の航空会社による運航禁止期間が解除される

<1951年(昭和26)>
・1月17日 日本航空創立準備事務所が開設される
・3月 国内航空運送事業の免許を申請
・5月22日 国内定期航空運送事業の営業免許を取得する
・8月1日 「日本航空株式会社」として設立される
・8月27日~29日 フィリピン航空からチャーターしたダグラス DC-3型機(金星号)で、運航関係者や報道関係者を対象にした試験招待飛行を実施する
・9月 羽田空港や大阪、福岡、札幌などの当初の就航予定地に支所や出張所を開設する
・10月21日 アメリカのノースウエスト航空と運行契約を締結する
・10月25日 戦後初の国内民間航空定期便としてアメリカのノースウエスト航空から乗員とともにリースしたマーチン2-0-2型機「もく星号」で羽田空港-伊丹空港-板付空港間の定期旅客運航を開始する
・11月1日 正規ダイヤの運航に移り、羽田空港-千歳空港間の運航も開始する

<1952年(昭和27)>
・4月9日 ノースウエスト航空の乗務員が運航していた「もく星号」が伊豆大島で墜落事故を起こす
・6月 国内ローカル線用にイギリス製の近距離向けプロペラ機のデ・ハビランド製DH.114 ヘロン型機を発注する
・7月 本格的な国際線運航に向けて、イギリス製の最新鋭ジェット旅客機であるDH.106 コメット型機の最新型であるコメットIIを2機発注する
・9月 ダグラスDC-4B型機に代わる国際線主力機として、DC-4Bを大型化しエンジンも改良、更に客室を与圧化し快適性を増した[6]ダグラスDC-6B型機も相次いで発注する
・10月 ノースウエスト航空との運航委託契約が切れ、新たに購入したダグラスDC-4B型機「高千穂号」によって自主運航を開始する

<1953年(昭和28)>
・8月 「日本航空株式会社法」(昭和28年法律第154号)が公布・施行される
・10月1日 特殊会社である新しい「日本航空株式会社」が誕生する

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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1907年(明治40)第1回文部省美術展覧会(通称:文展)が東京上野で開催される詳細
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