今日は、明治時代後期の1894年(明治27)に、庄内地震(マグニチュード7.0)が起こり、死者726人、負傷者8,403人を出した日です。
庄内地震(しょうないじしん)は、午後5時35分35秒に発生したマグニチュード7.0の大地震で、震源は山形県庄内平野北部(北緯38.9度、東経139.9度)で、深さはごく浅いとされました。東北地方の内陸部が震源の地震としては最大規模の内陸直下型地震で、震源地付近で震度6、一部では震度7の揺れがあったのではないかと推定され、庄内平野を中心に東北地方で中心に揺れを感じ、庄内平野東縁断層帯が活動した可能性が指摘されています。
この結果、土地の亀裂や陥没、土砂の噴出などが多く生じ、酒田では大火災が発生(酒田地震大火)して総戸数の8割が焼失するなど、庄内地方中心に、死者726人、負傷者8,403人、全壊家屋:3,858戸(山形県内)、半壊家屋:2,397戸(山形県内)、焼失家屋:2,148戸(山形県内)、破損家屋:7,863戸(山形県内)の被害が出ました。この地震を契機に 和式木造建物の耐震性がとりあげられて詳しい調査が行われ、震災予防調査会が「木造建築改良仕様書」を発表するなど、その対策が提言されています。
〇日本付近で明治時代に起きたマグニチュード7.0以上の大地震一覧
・1872年3月14日(明治5年2月6日) 浜田地震(島根県沖) M7.1
・1881年(明治14)10月25日 国後島 M7.0
・1891年(明治24)10月28日 濃尾地震(岐阜県) M8.0
・1983年(明治26)6月4日 色丹島沖地震 M7.7
・1894年(明治27)3月22日 根室半島沖地震 M7.9
・1894年(明治27)6月20日 明治東京地震 M7.0
・1894年(明治27)10月22日 庄内地震 M7.0
・1895年(明治28)1月18日 霞ヶ浦 M7.2
・1896年(明治29)1月9日 茨城県沖 M7.3
・1896年(明治29)6月15日 明治三陸地震 M8.2
・1896年(明治29)6月16日 三陸沖 M7.5
・1896年(明治29)8月31日 陸羽地震 M7.2
・1897年(明治30)2月20日 宮城県沖 M7.4
・1897年(明治30)8月5日 三陸沖 M7.7
・1898年(明治31)4月23日 宮城県沖 M7.2
・1898年(明治31)9月1日 石垣島東方沖 M7.0
・1899年(明治32)3月7日 紀伊大和地震(奈良・三重) M7.0
・1900年(明治33)5月12日 宮城県北部 M7.0
・1901年(明治34)8月9日 青森県東方沖 M7.2
・1901年(明治34)8月10日 青森県東方沖 M7.4
・1902年(明治35)1月30日 青森県三八上北地方地震 M7.0
・1905年(明治38)6月2日 芸予地震(瀬戸内海) M7.2
・1905年(明治38)7月7日 福島県沖 M7.1
・1911年(明治44)6月15日 喜界島地震 M8.0
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
794年(延暦13) | 桓武天皇が長岡京から山背国の新京に入京する「平安遷都の日」(新暦11月22日) | 詳細 |
1937年(昭和12) | 詩人中原中也の命日 | 詳細 |
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