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 今日は、明治時代前期の1887年(明治20)に、日本初の近代的上水道によって、横浜の市街地へ給水開始された日で、「上水道の日」ともされています。
 日本の近代的水道は、イギリスの工兵中佐ヘンリー・スペンサー・パーマーの設計指導により、相模川から野毛山の貯水地へ引水し、横浜の外国人居留地へ給水したのが最初でした。「日米修好通商条約」により、1859年(安政6)に、横浜が開港し、江戸幕府は横浜に運上所(税関の前身)を設置、その南を外国人居留地、北を日本人居住区と定め、横浜は急速に近代化、国際化、都市化が進展します。
 しかし、当時の外国人居留地では、井戸を掘っても塩水が混じり、飲用に適さず、1871年(明治4)に日本で初めて水道会社が発足し、多摩川から横浜へ水道を引きましたが、木の樋を通った水道であったため、漏水があったり、水に雑菌が入ったりして、1882年(明治15)には倒産してしまいました。そこで、当時の神奈川県知事沖守固は、1883年(明治16)に来日した英国陸軍工兵中佐の技師パーマーを顧問に招いて、立案させることとし、3ヶ月かけて実地測量を行って多摩川取水計画と相模川取水計画の2案の計画書を策定・提出、パーマーは一端帰国します。
 その後、1885年(明治18)に工兵大佐として再来日し、水道工事の全てを任されると、相模川の上流に水源を求めることに決め、資材も英国からの輸入に頼る形で、同年に近代水道の建設に着手しました。この工事では、水源を相模川支流の道志川とし野毛山配水池に至る総延長48kmの上水道となり、鋼管を使った日本初の近代式水道として、1887年(明治20)9月に竣工し、翌月17日に給水が開始されます。
 給水開始時は水道に関する法律もなく、水道事業は神奈川県によって運営されていましたが、1889年(明治22)4月に、市制施行により横浜市が誕生し、翌年には上水道事業を県から引継ぎ、これが横浜市営水道の始まりとなりました。尚、近代水道は、1890年(明治23)に水道の全国普及と水道事業の市町村による経営を内容とする「水道条例」が制定されたことにより、都市部で急速に実用化されることとなります。  

〇ヘンリー・スペンサー・パーマー(Henry Spencer Palmer)とは?

 いわゆるお雇い外国人の一人で、日本初の近代的水道である横浜水道を完成させたイギリス陸軍の工兵少将です。
 1838年4月30日に、イギリス領インド帝国のバンガロールで、英印軍参謀本部付大佐の父・ジョン・フレーク・パーマーと英国陸地測量部総監ジェームス卿の妹を母として、その三男として生まれました。イングランドで少年期を過ごし、1856年に王立陸軍士官学校に入学、卒業後は王立軍事工学専門学校で工兵将校として研修を受け、工兵中尉に任じられて、1858年には、カナダブリティッシュコロンビア州調査団の一員として派遣され、調査事業に加えて道路工事の監督に当たります。
 1863年に15歳の妻と結婚してイギリスへ帰国、その後はイギリス地形測量局に勤務、科学者としても知られるようになりました。1869年にシナイ半島調査隊、1874年からは金星観測のニュージーランド派遣隊長やバルバドスにも派遣され、1878年より1882年まで香港駐在主任技術官となり、天文・気象・磁気・潮流観測のための総合観象台を設計、広東水道と香港水道も設計し、成功を収めています。
 1883年(明治16)に工兵中佐として来日、水道対策に悩んでいた神奈川県知事沖守固に招かれ、上水道建設計画の依頼を受け、3ヶ月で実地測量から計画まで完成させて、多摩川取水計画と相模川取水計画の2案を県に提出して一端帰国しました。翌年に神奈川県から招聘され、1885年(明治18)に大佐として再来日、水道工事のいっさいを任され、水道器具等をイギリスより購入し、水源を現在の津久井郡三沢村三井を流れる相模川支流の道志川と決定し、野毛山貯水池に至る総延長48kmに及ぶ水道工事に着手します。
 この工事は、鋼管を使った日本初の近代式水道として、1887年(明治20)9月に竣工し、翌月17日に給水が開始されました。同年、少将に昇進、翌年の定年退職後は日本に落ち着き、内務省土木局名誉顧問技師として勅任官の待遇を受け、横浜港築港計画を工事監督として指揮しています。
 東京水道会社の計画や各地の港湾設計などにも関与、請われて兵庫県の淡河川疏水の計画にも参画したりしました。1890年(明治23)に日本人女性・斉藤うたと再婚、娘を設けたものの、1893年(明治26)に、東京麻布の自宅において、脳卒中のため、54歳で亡くなっています。
 尚、文筆家としても知られ、海外派遣の報告書、「シナイ半島調査報告書」「金星観測計画書」「香港観象台計画書」等が高く評価され、日本滞在中は「タイムズ」に、「日本における地震の研究」、「日本でおきた火山爆発」、「日本の温泉(伊香保)」、「濃尾大地震」、「磐梯山の爆発」などの日本通信を送りました。
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