boshinsyouayo01

 今日は、明治時代後期の1908年(明治41)に、明治天皇により「戊申詔書」が発布(翌日の官報掲載)された日です。
 戊申詔書(ぼしんしょうしょ)は、明治天皇により発せられた詔書で、同年が戊申(つちのえさる)の年のためこの通称で呼ばれてきました。日露戦争後の社会的混乱のなかにあって、華美を戒め、勤倹をすすめ、天皇制国家における国民道徳の方向を示したものです。
 その内容は、第一段落では西洋列強との関係を緊密にして共に発展していくべきとし、第二段落では、国運の発展のためには国家の方針に国民が一致協力して臨み、勤労に励むことを勧め、第三段落では、国民に対して五箇条の御誓文の理想が国運発展の基であるとし、その理想の完成のため尽すよう求めていました。第2次桂太郎内閣の内相平田東助の要請によるものとされ、発布後各地の役場、小学校などで捧読会が開かれたほか、翌年7月から地方改良運動(日露戦争で疲弊した地方社会や市町村の改良や再建を目指す国の運動)が始まり、町村財政を立て直すために納税組合の設置、農事改良、青年教育、普通教育などの講義が行なわれ、①奉公の精神、②協同の精神、③自助の精神が強調されます。
 地方を天皇中心国家へと統一することを目指すために、1890年(明治23)に出された「教育勅語」と共に、天皇制の精神的、道徳的な柱とされました。太平洋戦争敗戦後の1948年(昭和23)には、「教育勅語」と共に、国会で失効が確認されています。

〇「戊申詔書」1908年(明治41)10月13日発布(翌日の官報掲載)

 朕惟フニ方今[1]人文[2]日ニ就リ月ニ將ミ、東西相倚リ彼此相濟シ以テ其ノ福利ヲ共ニス。朕ハ爰ニ益〻國交ヲ修メ友義ヲ惇シ、列國[3]ト與ニ永ク其ノ慶ニ賴ラムコトヲ期ス。顧ミルニ日進[4]ノ大勢ニ伴ヒ、文明ノ惠澤[5]ヲ共ニセムトスル。固ヨリ內國運ノ發展ニ須ツ。戰後[6]日尚淺ク庶政[7]益〻更張[8]ヲ要ス。宜ク上下心ヲ一ニシ忠實業ニ服シ勤儉[9]產ヲ治メ、惟レ信惟レ義、醇厚[10]俗ヲ成シ華ヲ去リ實ニ就キ[11]荒怠[12]相誡メ自彊[13]息マサルヘシ。

 抑〻我カ神聖ナル祖宗[14]ノ遺訓ト我カ光輝アル國史ノ成跡[15]トハ炳[16]トシテ日星ノ如シ。寔ニ克ク恪守[17]シ淬礪[18]ノ誠ヲ輸サハ國運發展ノ本近ク斯ニ在リ。朕ハ方今[1]ノ世局ニ處シ我カ忠良ナル臣民ノ協翼[19]ニ倚藉[20]シテ維新ノ皇猷[21]ヲ恢弘[22]シ、祖宗[14]ノ威德ヲ對揚[23]セムコトヲ庶幾フ。爾臣民其レ克ク朕カ旨ヲ體セヨ。

御名御璽

明治四十一年十月十三日

   「官報」より

 *縦書きの原文を横書きに改め、句読点を付してあります。

【注釈】

[1]方今:ほうこん=現在。
[2]人文:じんぶん=人間の創り出した文物・文明。人類の文化。
[3]列國:れっこく=多くの国々。諸国。
[4]日進:にっしん=日々に進歩すること。
[5]惠澤:けいたく=恩恵を受けること。また、その恩恵。めぐみ。恩沢。
[6]戦後:せんご=日露戦争後のこと。
[7]庶政:しょせい=各方面の政治。
[8]更張:こうちょう=琴の糸などのゆるんだのを張りなおすこと。転じて、物事のゆるんでいたのを引き締めて盛んにすること。
[9]勤儉:きんけん=勤勉で倹約なこと。仕事にはげみ、むだな出費を少なくすること。また、そのさま。
[10]醇厚:じゅんこう=風俗や人柄などが素朴で人情に厚いこと。また、そのさま。
[11]華ヲ去リ實ニ就キ:かをさりじつにつき=虚飾を去り質実な態度をとる。
[12]荒怠:こうたい=生活や気持、行動などがなげやりになること。遊楽にふけり、仕事を怠ること。
[13]自彊:じきょう=みずから努め励むこと。
[14]祖宗:そそう=君主の始祖と中興の祖。また、ひろく歴代の君主やある系統を伝える人の称。
[15]成跡:せいせき=事の成り行きや結果。また、過去の実績。
[16]炳:へい=明らかなさま。また、光り輝くさま。
[17]恪守:かくしゅ=つつしんで守ること。まじめに守り従うこと。遵守。
[18]淬礪:さいれい=とぎみがくこと。
[19]協翼:きょうよく=力をそえて助けること。協力翼賛。
[20]倚藉:きせき=たよること。たのむこと。
[21]皇猷:こうゆう=天皇の国を治める計画。天子の治世の道。皇謨。帝猷。
[22]恢弘:かいこう=事業や制度などを押し広めること。
[23]對揚:たいよう=能力、勢力、地位などがつりあって対応していること。匹敵すること。また、その物事や人、あるいはそのさま。対等。

<現代語訳>

 私が思うに、現在人類の文明は、月日が進むに連れ、世界が互いに依存しあい、国々が助け合い、それによって福利を共有するようになってきている。私はここにますます国交を深め、友誼をあつくし、諸国と共に永くその恩恵に浴していきたいと思う。振り返ってみれば、日々に進歩する流れに沿って、文明の恵みを享受することは、もとより国運の発展のためにも不可欠のことだ。日露戦争後なお日が浅く、各方面の政治において、ますます物事のゆるんでいたのを引き締めて盛んにする必要がある。地位の高い者も低い者も心を一つにして忠実に仕事に励み、勤勉で倹約に努め、信と義を重んじ、風俗や人柄などが素朴で人情に厚い習慣をつくり、虚飾を去り質実な態度をとり、遊楽にふけり、仕事を怠ることのないように戒め、みずから努め励んでやまないようにしなければならない。
 そもそも神聖である代々の天皇の遺訓と光輝く日本歴史の実績は、太陽や星のごとく光り輝いている。それゆえに、よくまじめに守り従い、とぎみがくよう誠を示すならば、国運発展の根本はこの点にあるであろう。私は、現在の世のなりゆきに対処し、忠義の心を持つ善良な臣民の協力翼賛にたより、明治維新以来の天皇の治世の道を押し広め、代々の天皇の威徳と匹敵するようになることを切望する。おまえたち臣民はそれよく私の趣旨を謹んで賜れ。
御名御璽
明治41年(1908年)10月13日

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1282年(弘安5)鎌倉時代の僧侶・日蓮宗の開祖日蓮の命日(新暦11月14日)詳細
1707年(宝永4)俳人・蕉門十哲の一人服部嵐雪の命日(新暦11月6日)詳細
1804年(文化元)華岡青洲が世界初の麻酔薬を使った手術に成功(新暦11月14日)詳細