今日は、江戸時代後期の1855年(安政2)に、安政江戸地震が起きた日ですが、新暦では11月11日となります。
安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、この日の午後10時頃、関東地方南部(震源は東京湾北部,北緯35.65°、東経139.08°)で発生した内陸直下型の大地震(マグニチュード6.9~7.4と推定)でした。これによって、江戸城周辺や本所、深川などでは震度6以上と推定され、震度4以上の領域は東北地方南部から東海地方まで及んだと考えられています。
その結果、江戸を中心に多くの家屋が倒壊・焼失し、死者・行方不明者はおよそ1万人になると言われ、農畜産物、道路・橋梁などへも甚大な被害が出ました。江戸では、大名屋敷266家のうち116家で死者が発生、旗本・御家人らの屋敷の約8割が焼失、全潰、半潰または破損の被害を受けています。
また、町人地の家屋は1万4000余軒が倒壊したとされ、地震時の数10ヶ所の火災発生により1.5平方キロほど焼失、江戸城の石垣が崩れ、多くの城門・橋などが被害を受けました。尚、小石川の水戸藩藩邸が倒壊して、水戸藩主の戸田忠太夫、藤田東湖らが死亡、盛岡藩藩主南部利剛も負傷しています。江戸幕府では、地震後に市中取締り(巡視)の実施、死者の無料埋葬、米の配給、物価抑制のための公定上限価格の設定、義捐金の報奨などの対策を実施しました。
約1年前の1854年(嘉永7年11月4日)に安政東海地震(マグニチュード8.4)、翌日に安政南海地震(マグニチュード8.4)が起きていて、それを機に年号が安政と改められ、同年11月7日の豊予海峡地震(マグニチュード7.4)、翌年2月1日の飛騨地震(マグニチュード6.8)と続き、この安政江戸地震へと至り、その後も安政3年7月23日の安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)、安政4年8月25日の伊予大震(マグニチュード7.3)、安政5年2月26日の飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)などの大きな地震が続き、これらを含めて「安政の大地震」とも呼ばれています。
〇一連の「安政の大地震」(日付は旧暦です)
・1854年(嘉永7)6月15日- 伊賀上野地震(マグニチュード7.0)
・1854年(嘉永7)11月4日- 安政東海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月5日- 安政南海地震(マグニチュード8.4)
・1854年(嘉永7)11月7日- 豊予海峡地震(マグニチュード7.4)
・1855年(安政2)2月1日- 飛騨地震(マグニチュード6.8)
・1855年(安政2)8月3日- 陸前で地震
・1855年(安政2)9月28日- 遠州灘で地震(安政東海地震の最大余震)
・1855年(安政2)10月2日- 安政江戸地震(マグニチュード6.9~7.4)
・1856年(安政3)7月23日- 安政八戸沖地震(マグニチュード7.8~8.0)
・1856年(安政3)10月7日- 江戸で地震
・1857年(安政4)閏5月23日- 駿河で地震
・1857年(安政4)8月25日- 伊予大震(マグニチュード7.3)
・1858年(安政5)2月26日- 飛越地震(マグニチュード7.0~7.1)
・1858年(安政5)5月28日- 八戸沖で地震
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1554年(天文23) | 禅僧・連歌師・俳人山崎宗鑑の命日(新暦10月28日) | 詳細 |
1943年(昭和18) | 勅令「在学徴集延期臨時特例」公布で、理工科系以外の学生の徴兵猶予を撤廃する | 詳細 |
1985年(昭和60) | 関越トンネルの開通により、関越自動車道(練馬~長岡)がつながる | 詳細 |