今日は、大正時代の1912年(大正元)に、小説家大原富枝の生まれた日です。
大原富枝(おおはら とみえ)は、高知県長岡郡吉野村(現在の本山町)で、小学校校長だった父・大原亀次郎と母・米の次女として生まれましたが、10歳の時に母を亡くしました。1927年(昭和2)に高知県女子師範学校に入学したものの、18歳の時に学校で喀血して入院、退院後は自宅での10年近い療養生活を余儀なくされます。
療養中に文筆活動を始め、1932年(昭和7)に初めて投稿した『姉のプレゼント』が「令女界」に入選、1935年(昭和10)には、『氷雨』で文壇にデビューしました。1938年(昭和13)に『祝出征』を「文芸首都」に発表、芥川賞候補となり、1941年(昭和16)には、生家の没落を機に、創作に専念するため上京して「文芸首都」の同人となります。
1943年(昭和18)に『若い渓間』が「改造」の懸賞小説に当選、1957年(昭和32)に結核による長い闘病の体験を題材にした『ストマイつんぼ-第七感界の囚人』で第8回女流文学者会賞受賞、1960年(昭和35)には、40年の幽獄生活を耐えた野中婉の生涯をテーマにした『婉という女』を刊行し、第14回毎日出版文化賞、第13回野間文芸賞を受賞しました。1963年(昭和38)に日本文藝家協会代表として中国を訪問、1965年(昭和40)には、日ソ文学シンポジュウムにも参加出席します。
1970年(昭和45)に『於雪 土佐一條家の崩壊』で、第9回女流文学者賞を受賞、1973年(昭和48)に『婉という女』のロシア語訳が、ソビエト作家同盟で刊行され、1976年(昭和51)には、キリスト教(カトリック)に入信しました。1991年(平成3)に「大原富枝文学館」が故郷の高知県本山町に開館、本山町名誉町民賞を受賞、翌年に高知県の文学を振興するため、高知新聞社等の支援をうけて「大原富枝賞」を創設、1995年(平成7)から翌年にかけて「大原富枝全集(全8巻)」が小沢書店から刊行されています。
1998年(平成10)には、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となりましたが、2000年(平成12)1月27日に、『草を褥に 小説 牧野富太郎』執筆・連載中、東京において心不全のため、87歳で亡くなりました。
〇大原富枝の主要な著作
・『若い渓間』(1943年)「改造」懸賞小説当選
・『ストマイつんぼ』(1956年)第8回女流文学者会賞受賞
・『婉という女』(1960年)第14回毎日出版文化賞・第13回野間文芸賞受賞
・『正妻』(1961年)
・『於雪(おゆき)――土佐一条家の崩壊』(1970年)第9回女流文学賞受賞
・紀行小説『イェルザレムの夜』(1980年)
・『アブラハムの幕舎(ばくしゃ)』(1981年)
・『忍びてゆかな――小説津田治子』(1982年)
・『地上を旅する者』(1983年)
・伝記小説『今日ある命――小説・歌人三ヶ島葭子(みかじまよしこ)の生涯』(1994年)
・『原阿佐緒(あさお)』(1996年)
・『詩歌(うた)と出会う時』(1997年)
・自伝小説『眠る女』(1974年)
・『地籟(ちらい)』(1984年)
・『ハガルの荒野』(1986年)
・『彼もまた神の愛(め)でし子か――洲之内(すのうち)徹の生涯』(1989年)
・『草を褥(しとね)に――小説牧野富太郎』(2001年)
☆大原富枝関係略年表
・1912年(大正元)9月28日 高知県長岡郡吉野村(現在の本山町)で、小学校校長だった父・大原亀次郎と母・米の次女として生まれる
・1922年(大正11) 10歳の時、母が亡くなる
・1927年(昭和2) 15歳の時、高知県女子師範学校に入学する
・1930年(昭和5) 18歳の時、学校で喀血して入院、退院後、自宅で10年近い療養生活を送る
・1932年(昭和7) 20歳の時、初めて投稿。 「姉のプレゼント」令女界に入選する
・1935年(昭和10) 23歳の時、『氷雨』で文壇にデビューする
・1938年(昭和13) 26歳の時、『祝出征』を「文芸首都」に発表、芥川賞候補になる
・1941年(昭和16) 29歳の時、生家の没落を機に、創作に専念するため上京して「文芸首都」の同人となる
・1943年(昭和18) 31歳の時、『若い渓間』が「改造」懸賞小説に当選する
・1944年(昭和19) 32歳の時、帰郷し、「野中婉」の書簡を写すため県立図書館に通う
・1957年(昭和32) 45歳の時、『ストマイつんぼ-第七感界の囚人』で第8回女流文学者会賞受賞、父が急逝する
・1959年(昭和34) 47歳の時、『婉という女』260枚脱稿する
・1960年(昭和35) 48歳の時、『婉という女』を刊行し、第14回毎日出版文化賞、第13回野間文芸賞を受賞する
・1963年(昭和38) 51歳の時、日本文藝家協会代表として中国を訪問する
・1965年(昭和40) 53歳の時、日本文藝家協会代表として日ソ文学シンポジュウムに参加出席する
・1970年(昭和45) 58歳の時、『於雪 土佐一條家の崩壊』で、第9回女流文学者賞を受賞する
・1973年(昭和48) 61歳の時、『婉という女』のロシア語訳が、ソビエト作家同盟で刊行される
・1976年(昭和51) 64歳の時、キリスト教(カトリック)に入信。中目黒ミカエル修道院で洗礼を受ける
・1990年(平成2) 78歳の時、勲三等瑞宝章を受章する
・1991年(平成3) 79歳の時、「大原富枝文学館」が故郷の高知県本山町に開館、本山町名誉町民賞を受賞する
・1992年(平成4) 80歳の時、高知県の文学を振興するため、高知新聞社等の支援をうけて「大原富枝賞」を創設する
・1995年(平成7) 83歳の時、翌年にかけて「大原富枝全集(全8巻)」が小沢書店から刊行される
・1998年(平成10) 86歳の時、日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、日本芸術院会員となる
・2000年(平成12)1月27日 『草を褥に 小説 牧野富太郎』執筆・連載中、東京において心不全のため、87歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1500年(明応9) | 第103代の天皇とされる後土御門天皇の命日(新暦10月21日) | 詳細 |
1943年(昭和18) | 「官庁ノ地方疎開ニ関スル件」が閣議決定され、官庁の地方疎開が決められる | 詳細 |
1967年(昭和42) | 上越線の新清水トンネルが開通する | 詳細 |