今日は、明治時代前期の1884年(明治17)に、自由民権運動の激化事件の一つ加波山事件が起きた日です。
加波山事件(かばさんじけん)は、福島県令三島通庸(みしまみちつね)と政府高官の暗殺を計画して、自由党急進派が茨城県加波山に蜂起した事件でした。1882年(明治15)以来のいわゆる松方デフレ政策よによる米価の暴落と増税による、中・貧農層の急激な没落を背景に、福島県令三島通庸の自由民権運動弾圧を契機としています。
1882年(明治15)の福島事件で弾圧された後、翌年4月に釈放された河野広体(こうのひろみ)、小針重雄(こばりしげお)、三浦文治(みうらぶんじ)ら若き福島自由党員は、宿敵の福島県令三島通庸を暗殺しようと計画して上京、政府転覆を企てていた栃木県自由党員鯉沼九八郎らと結び大臣顕官の暗殺を計画しました。9月に栃木県庁落成時に集まる予定となっていた、三島通庸県令や太政大臣三条実美らを爆殺する計画でしたが、鯉沼九八郎が爆弾を製造中に誤爆して、計画が明らかになります。
そこで、茨城県の加波山山頂付近に立てこもり、9月23日に「圧制政府転覆」「自由の魁」等の旗を掲げて16名が決起、下山して警察署を襲撃、次いで宇都宮の県庁を襲う途中警官と交戦、多数が検挙され、数日で鎮圧されました。その後の裁判の結果、小針、三浦ら7名が死刑、河野ら7名が無期徒役(他に戦死1名、公判前死去1名)となっています。
〇自由民権運動とは?
明治時代前期、1874年(明治7)の板垣退助等による「民撰議院設立の建白書」の提出を契機に自由民権運動が始まりました。それ以降、薩長藩閥政府による政治に対して、憲法の制定、議会の開設、地租の軽減、不平等条約改正の阻止、言論の自由や集会の自由の保障などの要求を掲げて運動が行われました。しかし、政府の「集会条例」や「保安条例」による徹底弾圧と自由党への懐柔策によって、運動は沈滞していきます。その中で、農民等が主役となった、福島事件や秩父事件などの自由民権運動の激化事件がおきることになりました。
☆自由民権運動関係略年表
<1874年(明治7)>
・1月12日 板垣退助らが愛国公党を結成する
・1月17日 板垣退助らが「民撰議院設立の建白書」を提出する
・2月1日 江藤新平・島義勇らが佐賀の乱を起こす
・4月 板垣退助らが立志社を設立する
<1875年(明治8)>
・5月7日 「樺太・千島交換条約」が結ばれる
・6月28日 「讒謗律」・「新聞紙条例」が制定される
<1876年(明治9)>
・2月26日 「日朝修好条規」が締結される
・10月 神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が起こる
<1877年(明治10)>
・2月15日 西南戦争が起きる
・6月9日 「立志社建白」を京都の行在所に提出する
・8月18日 立志社の片岡健吉らが逮捕される(高知の獄)
<1878年(明治11)>
・5月14日 大久保利通が暗殺される
<1879年(明治12)>
・3月27日 琉球処分が行われ、琉球藩を沖縄県とする
<1880年(明治13)>
・3月17日 国会期成同盟が発足する
・4月5日 「集会条例」を定めて、言論や集会を取りしまる
このころから、自由民権運動が高揚しはじめる
<1881年(明治14)>
・7月 「北海道開拓使官有物払下げ事件」が起こる
・9月 立志社が「日本憲法見込案」を出す
・10月11日 明治十四年の政変で、大隈重信らが罷免される
・10月12日 「国会開設の勅諭」が出される
・10月18日 板垣退助らが自由党を結成する
このころ、憲法制定論議が活発化し、各種の私擬憲法がつくられる
<1882年(明治15)>
・3月 伊藤博文ら、憲法調査のためヨーロッパへ行く
・4月16日 大隈重信らが立憲改進党を結成する
・11月28日 福島事件(福島県)が起こる
<1883年(明治16)
・3月20日 高田事件(新潟県)が起こる
・3月20日 立志社が解散する
<1884年(明治17)>
・5月 群馬事件(群馬県)が起こる
・9月23日 加波山事件(栃木・茨城県)が起こる
・10月29日 自由党が解党する
・10月31日 秩父事件(埼玉県)が起こる
・12月 名古屋事件(愛知県)が起こる
・12月 飯田事件(長野県)が起こる
<1885年(明治18)>
・11月 大阪事件(大阪府)が起こる
<1886年(明治19)>
・6月 静岡事件(静岡県)が起こる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1790年(寛政2) | 前句付点者柄井川柳の命日(新暦10月30日) | 詳細 |
1832年(天保3) | 儒学者・詩人頼山陽の命日 | 詳細 |
1871年(明治4) | 思想家・社会運動家幸徳秋水の誕生日(新暦11月5日) | 詳細 |