今日は、昭和時代中期の1959年(昭和34)に、静岡県御殿場市に国立青年の家第1号として、「国立中央青年の家」が設置された日です。
国立青年の家(こくりつせいねんのいえ)は、1959年(昭和34)の皇太子(後の上皇明仁)成婚を記念する事業として、「文部省設置法」に定められて設置された、団体宿泊訓練を通じて健全な青少年の育成を図るための施設でした。当初は、主として勤労青年の利用する施設とされていましたが、1970年代に入るころから在学青年にも門戸が解放され、それからは高校生を中心とした在学青年の利用が大半を占めるようになります。
1976年(昭和51)までに、計13ヶ所の国立青年の家が文部省に附属した国の組織として設置されました。2001年(平成13)に、独立行政法人国立青年の家が設立され、同法人が設置し運営する施設として国の組織からは分離されます。
そして、2006年(平成18)には、独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター、独立行政法人国立少年自然の家と合併し、独立行政法人国立青少年教育振興機構が発足、13ヶ所の国立青年の家は国立青少年交流の家に改称されました。
〇国立青年の家関係略年表
・1959年(昭和34) 皇太子(後の上皇明仁)成婚を記念する事業として、静岡県御殿場市に国立中央青年の家が設置される
・1964年(昭和38) 2場目として、国立阿蘇青年の家が開所する
・1966年(昭和41)5月 3番目として、国立磐梯青年の家が開所する
・1966年(昭和41)10月16日 4番目として、国立大雪青年の家が開所する
・1968年(昭和43)7月22日 5番目として、国立江田島青年の家が開所する
・1969年(昭和44)7月 6番目として、国立淡路青年の家が開所する
・1971年(昭和46)4月 7番目として、国立赤城青年の家が開所する
・1972年(昭和47) 8番目として、国立能登青年の家が開所する
・1973年(昭和48)3月 9番目として、国立岩手山青年の家が開所する
・1973年(昭和48) 10番目として、国立沖縄青年の家が開所する
・1974年(昭和49)11月23日 11番目として、国立大洲青年の家が開所する
・1975年(昭和50)11月8日 12番目として、国立乗鞍青年の家が開所する
・1976年(昭和51)11月14日 13番目として、国立三瓶青年の家が開所(国立青年の家としては最後)する
・2001年(平成13)4月1日 独立行政法人国立青年の家が設立され、同法人が設置し運営する施設として国の組織からは分離する
・2006年(平成18)4月 独立行政法人国立オリンピック記念青少年総合センター、独立行政法人国立少年自然の家と合併し、独立行政法人国立青少年教育振興機構が発足、13ヶ所の国立青年の家は国立青少年交流の家に改称する
☆現在の国立青少年交流の家(13施設)一覧
・国立大雪青少年交流の家(北海道上川郡美瑛町)
・国立岩手山青少年交流の家(岩手県滝沢市)
・国立磐梯青少年交流の家(福島県耶麻郡猪苗代町)
・国立赤城青少年交流の家(群馬県前橋市)
・国立能登青少年交流の家(石川県羽咋市)
・国立乗鞍青少年交流の家(岐阜県高山市)
・国立中央青少年交流の家(静岡県御殿場市)
・国立淡路青少年交流の家(兵庫県南あわじ市)
・国立三瓶青少年交流の家(島根県大田市)
・国立江田島青少年交流の家(広島県江田島市)
・国立大洲青少年交流の家(愛媛県大洲市)
・国立阿蘇青少年交流の家(熊本県阿蘇市)
・国立沖縄青少年交流の家(沖縄県島尻郡渡嘉敷村)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1870年(明治3) | 「平民苗字許可令」により平民も苗字を名乗ることが許される(新暦10月13日) | 詳細 |
1945年(昭和20) | GHQが「日本に与うる新聞遵則(プレスコード)」(SCAPIN-33)を出し、言論統制検閲が始まる | 詳細 |
1978年(昭和53) | 埼玉古墳群の稲荷山古墳出土鉄剣の金錯銘を解読したと発表される | 詳細 |