今日は、明治時代初期の1869年(明治2)に、明治新政府により東京・築地に海軍操練所(海軍兵学校の前身)が設立された日ですが、新暦では10月22日となります。
海軍操練所(かいぐんそうれんじょ)は、海軍士官の養成機関で、海軍兵学校の前身となったものでした。兵部省により、東京・築地の広島藩邸跡に創設され、各藩から志望者を選抜させ、イギリス式の初級幹部教育を行い、乗組み実習なども実施しています。
教官として近藤真琴(芳隣)、田中大助(義廉)、本山漸吉らがあたり、生徒は各藩からの貢進生で18歳から20歳の者となりました。1870年(明治3)に海軍兵学寮と改称、兵部大丞(ひょうぶだいじょう)川村純義が兵学頭を兼ねます。
さらに1876年(明治9)に海軍兵学校と改称され、1888年(明治21)には、広島県の安芸郡江田島町(現在の江田島市)に移転しました。その後、昭和時代になって大幅に拡張され、太平洋戦争下では、1943年(昭和18)に岩国分校、1944年(昭和19)に大原、舞鶴分校、1945年(昭和20)には、針尾分校が開校しています。
しかし、太平洋戦争後の1945年(昭和20)12月1日までに全校が廃校となり、消滅しました。
尚、幕末にも、江渡幕府により、1864年(元治元年5月)に神戸で開設された同名の海軍教育機関がありましたが、翌年廃止されています。
〇海軍操練所(海軍兵学校)関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)
・1869年(明治2年9月18日) 前身の海軍操練所が東京・築地の元芸州屋敷内に創立開設される
・1870年(明治3年) 海軍兵学寮と改称する
・1876年(明治9年) 改称されて海軍兵学校として開校する
・1888年(明治21年) 広島県の安芸郡江田島町(現在の江田島市)に移転する
・1923年(大正12年) 関東大震災で海軍機関学校の校舎が全焼したため、一時期江田島の海軍兵学校の校舎を借りて教育が行われる
・1936年(昭和11年) 採用生徒数(300人)となる
・1939年(昭和14年) 71期採用生徒数は600人となる
・1941年(昭和16年) 73期採用生徒数は900人となる
・1943年(昭和18年)11月15日 岩国分校が開校する
・1944年(昭和19年)10月1日 大原、舞鶴分校が開校する
・1945年(昭和20年)3月1日 針尾分校が開校する
・1945年(昭和20年)7月 針尾分校は防府の通信学校に疎開して閉校となる
・1945年(昭和20年)12月1日 全校が廃校となり、消滅する
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
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