今日は、明治時代中頃の1890年(明治23)に、和歌山県串本沖でオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号遭難事件が起きた日です。
エルトゥールル号遭難事件】(えるとぅーるるごうそうなんじけん)は、親善訪日使節団として来ていたオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」が帰途、台風により熊野灘で暴風雨にあい、9月16日夜に和歌山県串本沖の樫野埼灯台下の岩礁で座礁沈没した海難事故でした。その結果、乗組員650人の内、死者・行方不明者587人を出すという、明治・大正時代に日本近海で起きた最大の海難事故となります。
この時、大島の島民は、生存者の救出に尽力し、63名の命を救うと共に、遺体の捜索もし260体を収容して、樫野埼の丘に埋葬しました。島民らの献身的な救助活動は、トルコ本国の人々にも深い感動を与えます。
それがきっかけとなって、樫野埼灯台近くに、遭難記念碑が立ち、トルコ記念館が開館し、遭難したエルトゥールル号の模型や遺品、写真等が展示されました。また、串本町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が5年ごとに行われるようになります。
尚、2015年(平成27)には、この遭難事件をテーマにした日本・トルコ合作の映画『海難1890』が公開され、前後して小説や絵本、漫画なども出されて話題となりました。
〇エルトゥールル号遭難事件を扱った近年の作品
<小説>
・『海の翼』秋月達郎(2010年3月 新人物往来社新人物文庫 / 2014年7月 PHP文芸文庫)
・『トルコ軍艦エルトゥールル号の海難』オメル・エルトゥール著、山本雅男・植月惠一郎・久保陽子訳(2015年11月 彩流社)
・『ブルーアウト』鈴木光司(2015年12月 小学館)
<絵本>
・『エルトゥールル号の遭難 トルコと日本を結ぶ心の物語』寮美千子文、磯良一絵(2013年6月 小学館)
・『タイヨウのくにとツキのふね』やまぐちさゆり(2018年4月 株式会社KCR)
<漫画>
・『Teşekkür ederim』石川雅之(講談社『モーニング』2014年21・22合併号掲載読切作品)
<映画>
・『海難1890』田中光敏監督、小松江里子脚本(2015年12月公開 日本・トルコ合作)
<音楽>
・『エルトゥールル号の記憶~太陽と新月の絆』清水大輔(2015年12月 ロケットミュージック)
☆明治・大正時代に日本近海で起きた重大海難事故一覧(死者・行方不明者100人以上)
・1878年(明治11)12月24日 - 和歌山県太地村でセミクジラを捕獲するため19隻・総勢184名で出漁、荒天による集団遭難事故(大背美流れ)<死者・行方不明者100余人>
・1890年(明治23)9月16日 - 和歌山県樫野埼灯台付近で荒天下、トルコ海軍艦「エルトゥールル号」が座礁沈没(エルトゥールル号遭難事件)<乗員約600人中、死者・行方不明者587人>
・1891年(明治24)7月11日 - 白神岬沖2.8kmの津軽海峡で「瓊江丸」と「三吉丸」が衝突し「瓊江丸」が沈没<死者・行方不明者261人>
・1905年(明治38)8月22日 - 瀬戸内海姫島灯台付近でイギリス船「バラロング」と軍用船「金城丸」が衝突し「金城丸」が沈没<死者・行方不明者165人>
・1908年(明治41)3月23日 - 北海道恵山岬灯台北東沖で客船「陸奥丸」と「秀吉丸」が衝突し「陸奥丸」が沈没<死者・行方不明者212人>
・1922年(大正11)8月26日 - カムチャツカ半島で漁業保護任務中の巡洋艦「新高」がオジョールナヤ基地沖で停泊中に暴風に遭遇し走錨。海岸に座礁、転覆<死者・行方不明者327人>
・1926年(大正15)4月26日 - 幌筵島沖を航行中の蟹工船「秩父丸」が座礁沈没<死者・行方不明者182人>
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1086年(応徳3) | 藤原通俊が『後拾遺和歌集』を完成し、奏上する(新暦10月26日) | 詳細 |
1789年(寛政元) | 江戸幕府が旗本・御家人救済の為の「棄捐令」を発布する(新暦11月3日) | 詳細 |
1793年(寛政5) | 武士・画家渡辺崋山の誕生日(新暦10月20日) | 詳細 |