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 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、文部省が「新日本建設ノ教育方針」を公表した日です。
 「新日本建設ノ教育方針(しんにほんけんせつのきょういくほうしん)」は、太平洋戦争後初めて、文部省が戦後教育の基本方針を明らかにしたものでした。太平洋戦争末期の学校教育は、ほぼ停止されるか、実質的機能を喪失していて、学生・生徒は軍需生産、食糧増産、防空防衛等、ほとんど戦争に必要な労務と教育訓練に動員され、都市の子供達は、空襲による校舎の焼失、戦災から逃れるため「学童疎開」をさせられます。
 このような状態で敗戦を迎え、連合軍による占領が開始されますが、占領教育政策の具体的な方針や指令が示される以前に示された日本政府の教育方針でした。文部省はまず、8月16日に学徒動員の解除について通達、28日にはおそくも9月中旬から授業を再開するよう指示、9月15日に「新日本建設ノ教育方針」を公表、9月26日には疎開学童のすみやかな復帰について通達、10月15・16日に教員養成諸学校長および地方視学官を中央に招き、続いて各都道府県ごとに国民学校長、青年学校長を対象とする講習会を開催して新教育方針の普及徹底に努めるなどしています。
 その内容は、戦争を遂行してきた国体の護持をかかげつつ、世界平和と人類の福祉に貢献する新日本建設のための教育方針を示したもので、学校から軍国的思想や軍事教育を一掃し、科学的思考力や平和愛好の精神を育てることとしていました。具体的には、学校における軍事教育の全廃および戦争直結の研究所等を平和的なものに改変、教科書はさしあたり訂正削除す尺き部分を指示(墨ぬり教科書)、教職員の再教育計画を策定、学生の学力不足を補うための措置、科学的思考や科学常識を基盤とした科学教育の振興、成人教育、勤労者教育、家庭教育等社会教育の全般について振興、郷土を中心とする青少年の自発的な団体として新たに青少年団体を育成、国民の宗教的情操と信仰心を養い新日本建設に資する、勤労と教育の調整に重点をおく食糧増産や戦災地復旧等の作業実施、明朗な運動競技を奨励し純正なスポーツの復活などとされています。
 当時の文部省は、中央・地方の講習を通じ、新教育は個性の完成を目標とすべきものであり、そのために自由を尊重し、画一的な教育方法を打破し、各学校および教師の自主的・自発的な創意くふうによるべきこと、さらに科学的教養の深い、道義心の強い、品格ある個性の完成を強調していました。しかし、これらの措置においても「益々国体ノ護持ニ努ムル」という旧態依然とした教育理念が問題視されます。
 そこで、連合国軍最高司令部(GHQ)は同年10月22日に、「日本教育制度に対する管理政策」(SCAPIN-178)を出し、学校の教育内容から軍国主義、超国家主義を廃し、代りに基本的人権の思想に合致する諸概念の教授および実践の確立を奨励しました。具体的には、A、第一は軍国主義、国家主義の禁止で、第二は言論、思想、集会、信教の自由の確立。B、教師や教育関係の関係者は、できるだけ早く、公的機関で軍国主義者だったかの調査を受け、そうだったものは追放される。C、現在の教科書などから軍国主義的な一面を削除し、平和的公民養成の新教科目、新教科書を準備し、初等教育の教員養成を急げと指示します。
 この指令を厳格に実施させるため、10月30日に「教員及び教育関係者の調査、除外、認可に関する件」(教育関係者の資格についての指令)、12月15日に「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」(宗教指令)、12月31日に「修身、日本歴史及び地理停止に関する件」(修身科・国史科・地理科の中止についての指令)が出されました。これらは、その後の軍国主義者の教職追放、教科書の編集、教科の編成、学校制度、教育行政に影響を与え、民主教育が目指されることとなります。
 以下に、「新日本建設ノ教育方針」を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「新日本建設ノ教育方針」(昭和20年9月15日)

 文部省デハ戦争終結ニ関スル大詔ノ御趣旨ヲ奉体シテ世界平和ト人類ノ福祉ニ貢献スベキ新日本ノ建設ニ資スルガ為メ従来ノ戦争遂行ノ要請ニ基ク教育施策ヲ一掃シテ文化国家、道義国家建設ノ根基ニ培フ文教諸施策ノ実行ニ努メテヰル

一 新教育ノ方針

 大詔奉体ト同時二従来ノ教育方針ニ検討ヲ加へ新事態ニ即応スル教育方針ノ確立ニツキ鋭意努力中デ近ク成案ヲ得ル見込デアルガ今後ノ教育ハ益々国体ノ護持ニ努ムルト共ニ軍国的思想及施策ヲ払拭シ平和国家ノ建設ヲ目途トシテ謙虚反省只管国民ノ教養ヲ深メ科学的思考力ヲ養ヒ平和愛好ノ念ヲ篤クシ智徳ノ一般水準ヲ昂メテ世界ノ進運ニ貢献スルモノタラシメソトシテ居ル

二 教育ノ体勢

 決戦教育ノ体勢タル学徒隊ノ組織ヲ廃シ戦時的教育訓練ヲ一掃シテ平常ノ教科教授ニ復帰スルト共ニ学校ニ於ケル軍事教育ハ之ヲ全廃シ尚戦争ニ直結シタル学科研究所等モ平和的ナモノニ改変シツツアル

三 教科書

 教科書ハ新教育方針ニ即応シテ根本的改訂ヲ断行シナケレバナラナイガ差当リ訂正削除スベキ部分ヲ指示シテ教授上遺憾ナキヲ期スルコトトナツタ

四 教職員二対スル措置

 教育者若ハ新事態ニ即応スル教育方針ヲ把握シテ学徒ノ教導ニ適進スルコトガ肝要デアル、之ガ為メ文部省ニ於テハ教職員ノ再教育ノ如キ計画ヲ策定中デアル、尚復員者並ニ産業界軍部等ヨリノ転入者ニ対シテモ同様ナ措置ヲ計画シテヰル

五 学徒ニ対スル措置

 勤労動員、軍動員ニヨル学力不足ヲ補フ為メ適当ナル時期ニ特別教育ヲ施ス方針デアル、又転学、転科等モ一部認メルコトトシテ目下具体案ヲ考究中デアル、尚陸海軍諸学校ノ在学者及卒業者ニ対シテハ前項ノ再教育ヲ施シタル上文部省所管ノ各学校ニ夫々ノ程度ト本人ノ志望トニヨリ入学セシメ之ヲ教育スルコトニ決定シタ

六 科学教育

 科学教育ノ振興ヲ期スルコトハ勿論デアルガ然シソノ期スル所ノ科学ハ単ナル功利的打算ヨリ出ヅルモノデナク悠遠ノ真理探求ニ根ザス純正ナ科学的思考力ヤ科学常識ヲ基盤トスルモノタラシメントシテヰル

 尚学術研究会議ノ運営ニ付テモ平和日本ノ建設ト世界ノ進運ニ貢献スルガ如ク其ノ研究ノ促進ニ努メテヰル

七 社会教育

 国民道義ノ昂揚ト国民教養ノ向上ハ新日本建設ノ根底ヲナスモノデアルノデ成人教育、勤労者教育、家庭教育、図書館、博物館等杜会教育ノ全般ニ亘リ之ガ振作ヲ図ルト共ニ美術、音楽、映画、演劇、出版等国民文化ノ興隆ニ付具体案ヲ計画中デアルガ差当リ最近ノ機会ニ於テ美術展覧会等ヲ盛ニ開催シタキ意嚮デアル

八 青少年団体

 学徒隊ノ解散ニ伴ヒ青少年ノ共励組織ヲ欠クニ到ツクノデ新ニ青少年団体ヲ育成スルコトトシタ、新青少年団体ハ従来ノ如キ強権ニ依ル中央ノ統制ニ基ク団体クラシメズ原則トシテ郷土ヲ中心トスル青少年ノ自発能動、共励切磋ノ団体タラシムルモノデアツテ曩ニ学徒隊ノ結成ニ伴ヒ解散セル大日本青少年団ノ如キモノヲ復活スルノデハナイ

九 宗教

 国民ノ宗教的情操ヲ涵養シ敬虔ナル信仰心ヲ啓培シ神仏ヲ崇メ独リヲ慎ムノ精神ヲ体得セシメテ道義新日本ノ建設ニ資スルト共ニ宗教ニ依ル国際的親善ヲ促進シテ世界ノ平和ニ寄与セシメンガ為メ各教宗派教団ヲシテ夫々其ノ特色ヲ活カシツツ互ニ連絡提携シテ我国宗教ノ真面目ヲ一段ト発揮セシムルヤウ努メテヰル、尚近ク管長教団統理者協議会及宗務長会議ヲ開催シ其ノ趣旨ノ徹底ヲ図ルコトトシタ

十 体育

 戦時中勤労動員ヤ疎開ニ依リ身心共ニ疲労シテヰル学徒モ相当多イノデ衛生養護ニ力ヲ注ギ体位ノ回復向上ヲ図ルト共ニ勤労ト教育ノ調整ニ重点ヲ置キ食糧増産、戦災地復旧等国民生活ニ関係深キ作業ヲ教育的ニ実施スル外明朗潤達ナル精神ヲ涵養スル為メ大イニ運動競技ヲ奨励シ純正ナスポーツノ復活ニ努メ之カ学徒ノ日常生活化ヲ図り以テ公明正大ノ風尚ヲ作興シ将来国際競技ニモ参加スルノ機会ニ備へ運動競技ヲ通ジテ世界各国ノ青年間ニ友好ヲ深メ理解増進ニモ資セシメントシテヰル

十一 文部省機構ノ改革

 叙上ノ諸方策ヲ実施スルが為文部省機構ヲ改革スルノ要ヲ認メ既ニ学徒動員局ヲ廃止シ体育局、科学教育局ヲ新設シタノデアルガ更ニ第二次改革ガ考慮サレテヰル

   「文部科学省ホームページ」より

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