今日は、明治時代後期の1904年(明治37)に、「屯田兵条例」が廃止され、屯田兵制度が終わった日です。
「屯田兵条例(とんでんへいじょうれい)」は、1885年(明治18)5月5日に制定された太政官布告(明治18年太政官布告第18号)で、それまでの「屯田兵例則」による屯田兵制度の新たなる増植計画を実施するため、屯田兵の組織を変更し、機能を拡大して受入れるために設けられました。これに基づき、最大時7,337名の屯田兵が37の兵村を形成し、農業や自治の面で北海道発展の礎を築いたとされるものの、人口増加を背景にした北海道における徴兵制の実施や第七師団の創設によって、1904年(明治37)9月8日に「屯田兵条例」が廃止され、制度として終了することとなります。
以下に、「屯田兵条例」(明治18年太政官布告第18号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇屯田兵とは?
明治時代に北海道に設置された警察権をもつ憲兵で、士族を資格とする世襲制の軍隊とし、農業開拓を進めるために家族を伴ない、戸主は軍事訓練を受けて非常の変に備えることになっていました。1874年(明治7)に制度(屯田兵例則)が設けられ、翌年から実施、1885年(明治18)には「屯田兵条例」(明治18年太政官布告第18号)が制定され、拡充されます。
これに基づき、最大時7,337名の屯田兵が37の兵村を形成し、農業や自治の面で北海道発展の礎を築いたとされますが、一方で日清戦争や日露戦争にも従軍しました。しかし、人口増加を背景にした北海道における徴兵制の実施や第七師団の創設によって、1904年(明治37)9月8日に「屯田兵条例」が廃止され、制度として終了することとなります。
現在でも、北海道各地に屯田兵に関わる遺跡が残されていますが、札幌市北区には、1988年(昭和63)に屯田兵による開拓100年の歴史を記念して「屯田郷土資料館」が開設されました。実物大の屯田兵の家屋が再現され、内部の土間やいろりなどによって、入植当時の屯田兵の生活をうかがい知ることが出来ます。
また、新琴似神社境内には、「新琴似屯田兵中隊本部」の建物が保存されていて、内部には、屯田兵ゆかりの従軍記章や屯田兵手帳はじめ、さまざまな農具、生活用品などが展示されてきました。
〇「屯田兵条例」(明治十八年五月五日、太政官第十八号達)
第一章 総則
第一条 屯田兵ハ陸軍兵ノ一部ニシテ北海道枢要ノ地ニ配置シ本道ノ警備ニ充ツ但第七軍管管下請県ニ全ク徴兵令ヲ施行スルニ至レハ之 ヲ廃スルモノトス
其本部ハ之ヲ札幌ニ置ク
第二条 屯田兵ノ建制ハ概ネ歩兵隊ニ基クト雖モ兵ヲ農ニ寓スルノ主旨ニ依リ平常ハ給与ノ家屋ニ居住シ開墾耕稼ノ事ニ従ハシメ有事ノ日ニ方リテ戦列隊ニ編成シ敵衝ニ当ラシム
第三条 屯田志願者(函館県札幌県根室県及沖縄県ノ在籍者ヲ除ク)中身体強壮且ツ年齢十七歳以上三十歳以下ノ者ヨリ撰用ス
第四条 屯田兵タル者ハ其家族ト共ニ北海道ニ移住シ兵役ニ服スルモノトス
其服役期限ハ予メ之ヲ定メス故ニ服役者死亡スルカ其他事故アリテ免除セサルヲ得サル時又ハ年齢四十歳ニ至レハ其子弟ヲシテ兵役ヲ相続セレム但幼弱ニシテ未タ服役ニ堪ヘサル者ハ其成長ヲ待テ服役セシム
第五条 屯田兵ノ将校下土及ヒ兵卒ハ第六条ヨリ第十三条迄ニ依リ其進級ヲ為スモノトス
但進級法ハ其最下限ヲ示ス者ナルヲ以テ之ヲ超ユル者ト雖モ必シモ直チニ進級セレムルノ例ニアラス
第六条 屯田兵卒ハ入隊後六ヶ月ノ後生兵学卒業ノ上二等卒ヲ命ス
第七条 一等卒ハ屯田兵二等卒ノ服役六ヶ月ヲ経タル者ヨリ撰抜シテ之ヲ命ス
第八条 上等兵ハ屯田兵一等卒中ヨリ撰抜シテ之ヲ命ス
第九条 二等軍曹ハ屯田兵上等兵ノ服役六ヶ月(一等卒ヲ命スル日ヨリ起算ス)ヲ経タル者ヨリ撰任ス
第十条 一等軍曹ハ屯田兵二等軍曹ノ服役六ヶ月ヲ経タル者ヨリ撰任ス
第十一条 曹長ハ屯田兵一等軍曹ノ服役一ヶ年ヲ経タル者ヨリ撰任ス
第十二条 下副官ハ屯田兵曹長中ヨリ適任ノ者ヲ撰ミ之ニ任ス
第十三条 士官以上ハ屯田兵曹長以上ノ者ニテ左ノ停年最下限ヲ超エタル者ヨリ抜擢シテ順次進級セシムルモノトス
一 曹長ヨリ少尉ニ少尉ヨリ中尉ニ中尉ヨリ大尉ニ 満二年
一 大尉ヨリ少佐ニ 満四年
一 少佐ヨリ中佐ニ 満三年
一 中佐ヨリ大佐ニ 満二年
但少尉ニ限リ試補ヲ置キ少尉ニ欠員アル毎ニ曹長停年ノ最下限ヲ超エタル者ヲ撰ミ少尉試補ニ陛セ其才能ヲ試ミ然ル後本官ニ任ス
第十四条 士官以上ノ欠員ハ前条ニ示ス如ク順次進級セシメ又ハ各兵科士官以上ノ者若クハ文官ヨリ適任ノ者ヲ採用シ補填スルモノトス
第二章 職制
第十五条 屯田兵本部長ハ少将若クハ屯田兵大佐一名ヲ以テ之ニ任シ直ニ陸軍郷ニ隷シ部下ノ屯田兵ヲ統轄シ其勤惰能否ヲ監視シ屯田兵本部ノ事務ヲ総理ス
第十六条 本部長ハ有事ノ日ニ方リテハ屯田兵ヲ指揮シ方面ノ敵衝ニ当ルヲ以テ任トス
第十七条 屯田兵本部次長ハ屯田兵中少佐ノ内一名ヲ以テ之ニ任シ長ヲ補佐シテ部事ヲ整理シ長事故アル時ハ其代理ヲ為スコトヲ得
第十八条 本部副官ハ屯田兵大尉一名ヲ以テ之ニ任シ本部長ノ命ヲ奉シ部事ヲ整理シ課僚書記ノ勤惰ヲ監ス
第十九条 大隊長ハ屯田兵少佐之ニ任シ部下ノ指揮ヲ掌リ勤惰能否ヲ監視シ又開墾授産等隊中百般ノ事務ヲ総理ス
第二十条 大隊副官ハ屯田兵中尉之ニ任シ其隊中ノ庶務ヲ掌リ下副官以下大隊附下士ノ勤惰ヲ監視ス
第二十一条 大隊下副官ハ屯田兵曹長之ニ任シ大隊副官ノ命ヲ受ケ大隊中ノ庶務ヲ掌リ其細務ニ服セシム
第二十二条 中隊長ハ屯田兵大尉之ニ任シ部下ノ指揮ヲ掌リ勤惰能否ヲ監視シ又開墾等隊中ノ事務ヲ総理ス
第二十三条 小隊長ハ屯田兵中少尉之ニ任シ部下ノ指揮ヲ掌リ勤惰能否ヲ監視シ又中隊長ノ命ヲ受ケ開墾耕嫁等ノ事務ヲ分掌ス
☆屯田兵制度関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)
・1869年(明治2年7月) 開拓使が設置される
・1869年(明治2年8月) 蝦夷地を北海道と改称する
・1871年(明治4年5月) 札幌に開拓使庁が設置される
・1871年(明治4年7月) 廃藩置県、桐野利秋が札幌鎮台設置を上申する
・1873年(明治6年)1月 徴兵令が施行されるが北海道は除外される
・1873年(明治6年)6月 開拓使東京出張所に屯田課を設置する
・1873年(明治6年)11月 黒田清隆開拓次官が屯田兵制度を建議する
・1874年(明治7年)10月 屯田兵例則が制定される
・1875年(明治8年)3月 開拓使に屯田事務局が設置される
・1875年(明治8年)5月17日 最初の屯田兵が北海道の琴似(現在の札幌市西区)に入植する
・1877年(明治10年)4月 西南戦争に屯田兵の第一大隊が出動する
・1877年(明治10年)12月 「屯田兵予備兵条例」が制定される
・1878年(明治11年)2月 「土地給与規則」が制定され、1戸5千坪が1万坪になる
・1881年(明治14年)2月 「屯田兵予備兵条例」が廃止される
・1881年(明治14年)11月 山鼻屯田兵による警察襲撃事件が起きる
・1882年(明治15年)1月 陸軍省に移管され、屯田事務係が開設される
・1882年(明治15年)2月 北海道開拓使が廃止される
・1884年(明治17年)8月 「屯田兵起居定則」、「日課勤務及検査定則」が制定される
・1885年(明治18年)5月5日 「屯田兵条例」(明治18年太政官布告第18号)が制定される
・1885年(明治18年)10月 「屯田兵本部概則」、「服務規則」が制定される
・1886年(明治19年)1月 北海道庁が設置される
・1887年(明治20年)6月 「兵員寄託積立金出納、各隊会計事務取扱、金櫃規則」が制定される
・1888年(明治21年)10月 「兵村会規則」が制定される
・1889年(明治22年)2月 屯田兵増員5か年計画が発表される
・1889年(明治22年)7月 「屯田兵条例」が改正、屯田兵司令部に改称される
・1889年(明治22年)11月 「屯田兵服務規則」が改正される
・1890年(明治23年)5月 「屯田兵移住給与規則」が公布される
・1890年(明治23年)8月 「屯田兵条例」が改正され、歩・騎・砲・工兵で編成、服役期間が改定される
・1890年(明治23年)9月 「屯田兵土地給与規則」が公布され、給与地が1万5千坪に改定される
・1890年(明治23年)10月 屯田兵募集に関する陸軍省告示により、士族中心から平民に拡大される
・1891年(明治24年)6月 屯田銀行が開業する
・1894年(明治27年)7月 「屯田兵条例」が改正され、予備役廃止、現役を3から8年に延長される
・1895年(明治28年)3月 日清戦争へ出動、臨時第七師団を編成する
・1895年(明治28年)6月 日清戦争の講和により臨時第七師団を解散する
・1895年(明治28年)11月 「屯田兵給与地取扱規則」が制定される
・1896年(明治29年)5月 第七師団正式設置され、屯田司令部が廃止される
・1897年(明治31年)5月 全道に「徴兵令」が施行される
・1901年(明治34年)10月 「屯田兵条例」が改正され、現役期限が5年となる
・1904年(明治37年)8月 日露戦争への動員が発令され、野戦第七師団を編成する
・1904年(明治37年)9月8日 「屯田兵条例」が廃止され、屯田兵制度がなくなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1775年(安永4) | 俳人加賀千代女(千代尼)の命日(新暦10月2日) | 詳細 |
1951年(昭和26) | 「サンフランシスコ平和条約」が調印される | 詳細 |
「日米安全保障条約」(旧)が調印される | 詳細 |