今日は、明治時代後期の1905年(明治38)に、日露戦争の講和条約「ポーツマス条約」を巡って、東京で日比谷焼打事件の起きた日です。
日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)は、講和問題同志連合会(対外強硬派の政治団体の連絡機関)が計画した東京・日比谷公園のポーツマス講和条約反対国民大会に集まった民衆が、内相官邸・国民新聞社・警察署・交番・市街電車などを焼き打ちした暴動事件でした。1905年(明治38)8月末に、日露講和会議の内容について、「万朝報」、「大阪朝日新聞」をはじめ各紙は、多くの犠牲者や膨大な戦費を要したにも関わらず、直接的な賠償金が得られなかったことなどから、条約破棄の論調に終始し、都市部を中心に全国的に日露戦争講和反対運動が起こります。
東京では対露同志会、黒竜会を中心とする対外硬派9団体による講和問題同志連合会主催により、日比谷公園で講和条約反対国民大会(座長は憲政本党河野広中)が計画されますが、政府は事前に大会を禁止、実行委員を検束、公園を封鎖しました。しかし、日比谷公園に集まった数万人の民衆は警官隊を突破して、公園内になだれ込んで大会を強行、終了後、街頭に出た民衆は投石を行い警官隊と衝突します。
さらに自然発生的に桂太郎内閣の御用新聞国民新聞社、内相官邸、警察署、交番・派出所の7割、キリスト教会13ヶ所、市街電車15台などを焼打ちしました。このため政府は、翌6日深夜に東京市および府下4郡に戒厳令を敷き軍隊が出動、新聞・雑誌の発売禁止・発行停止を行なったものの、負傷者2,000人、死者17人、被検束者2,000人を数える大暴動事件となります。
尚、全国各地でも講和反対の大会や演説会が20日頃まで開かれて決議や宣言を発し、神戸(9月7日)、横浜(9月12日)でも暴動が起こりました。
〇日比谷焼打事件の被害にあった建物一覧
・内務大臣官邸
・外務省
・国民新聞社
・駒形町福音伝道館
・三軒町美以教会
・黒船町聖約翰教会
・森下町救世軍分営
・芝崎町浅草美以教会・牧師館(現・日本基督教団浅草教会)
・横川町天主教会・付属小学校
・吉田町天主教信者鈴木房次郎宅
・松倉町同盟教会講義所(現・日本同盟基督教団)
・向島小梅町同盟教会(現・日本同盟基督教団)
・両国矢ノ倉町日本基督教会(現・日本基督教団永福町教会)
・御士町日本基督教会(現・日本基督教団豊島岡教会)
・日本基督明星教会(現・日本基督教団小石川明星教会)
・車坂町美以教会(現・日本基督教団下谷教会)
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1905年(明治38) | 「日露講和条約(ポーツマス条約)」が調印され、日露戦争が終結する | 詳細 |
1966年(昭和41) | 第2宮古島台風により宮古島で日本最高の最大瞬間風速(85.3m/s)を観測 | 詳細 |
1975年(昭和50) | 日本画家堂本印象の命日 | 詳細 |