今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、正午のラジオ放送の「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)によって、国民に太平洋戦争敗戦が伝えられた日(終戦記念日)です。
「大東亜戦争終結ノ詔書(だいとうあせんそうしゅうけつのしょうしょ)」は、昭和時代前期の1945年(昭和20)8月14日に開催された御前会議で、太平洋戦争を終結させるためポツダム宣言受諾による無条件降伏が決定され、それを国民に公表するために作成された詔書でした。だいたいの内容は内閣書記官長の迫水久常が作成、8月9日以降に漢学者・川田瑞穂(内閣嘱託)が起草、更に8月14日に安岡正篤(大東亜省顧問)が加筆して完成し、同日の内に天皇の裁可があり、大臣副署は当時の内閣総理大臣・鈴木貫太郎以下16名がしています。
同日の深夜に当時の宮内省庁舎で昭和天皇の肉声でレコード盤に録音され、社団法人日本放送協会(現在のNHKラジオ第1放送)によって、翌日正午のラジオ放送(玉音放送)で、この録音が流されました。この放送を巡って、日本の降伏に反対し終戦阻止を企てた近衛師団の反乱軍が詔書放送の録音盤を奪取しようと宮内省に乱入した事件、また日本放送協会の会館の反乱軍による一時的占拠などの妨害があったものの、放送は予定どおり行われています。
この放送で、多くの国民が日本の敗戦を知りましたが、正式に日本が降伏したのは、半月後の9月2日に降伏文書に調印されることによってでした。尚、玉音放送に続いて「終戦の詔書をうけての内閣告諭」などの補足的文書のアナウンスが行われています。
以下に、「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)の全文(現代語訳・注釈付)と「内閣告諭」を掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「大東亜戦争終結ノ詔書」(玉音放送)
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現狀トニ鑑ミ[1]非常ノ措置ヲ以テ時局[2]ヲ收拾セムト欲シ茲ニ[3]忠良[4]ナル爾[5]臣民[6]ニ告ク
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇[7]四國ニ對シ其ノ共同宣言[8]ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑ゝ[9]帝國臣民[6]ノ康寧[10]ヲ圖リ萬邦[11]共榮ノ樂ヲ偕ニスル[12]ハ皇祖皇宗[13]ノ遺範[14]ニシテ朕ノ拳々措カサル所[15]
曩ニ[16]米英二國ニ宣戰セル所以[17]モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庻幾[18]スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ[19]朕カ志ニアラス
然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ[20]朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司[21]ノ勵精[22]朕カ一億衆庻[23]ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス
世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之[24]敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈[25]ヲ使用シテ頻ニ無辜[26]ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ[27]我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ[28]人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯ノ如クムハ[29]朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子[30]ヲ保シ皇祖皇宗[13]ノ神靈ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言[8]ニ應セシムルニ至レル所以[17]ナリ
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦[31]ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝國臣民[6]ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命[32]ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内[33]爲ニ裂ク
且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念[34]スル所ナリ
惟フニ[35]今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾[5]臣民[6]ノ衷情[36]モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世[37]ノ爲ニ太平[38]ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ[3]國體[39]ヲ護持シ得テ忠良[4]ナル爾[5]臣民[6]ノ赤誠[40]ニ信倚[41]シ常ニ爾[5]臣民[6]ト共ニ在リ
若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端[42]ヲ滋クシ或ハ同胞[43]排擠[44]互ニ時局[2]ヲ亂リ爲ニ大道[45]ヲ誤リ信義[46]ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州[47]ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義[48]ヲ篤クシ志操[49]ヲ鞏クシ誓テ國體[39]ノ精華[50]ヲ發揚[51]シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾[5]臣民[6]其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
御名御璽
昭和二十年八月十四日
內閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郞
海 軍 大 臣 米內光政
司 法 大 臣 松阪廣政
陸 軍 大 臣 阿南惟幾
軍 需 大 臣 豊田貞次郞
厚 生 大 臣 岡田忠彥
國 務 大 臣 櫻井兵五郞
國 務 大 臣 左近司政三
國 務 大 臣 下村宏
大 藏 大 臣 廣瀨豐作
文 部 大 臣 太田耕造
農 商 大 臣 石黑忠篤
內 務 大 臣 安倍源基
外務大臣兼
大東亞大臣 東鄕茂德
國 務 大 臣 安井藤治
運 輸 大 臣 小日山直登
「ウィキソース」より
【注釈】
[1]鑑ミ:かんがみ=考え。
[2]時局:じきょく=国家・社会などの、その時の情勢。世の中の成り行き。
[3]茲ニ:ここに=それで。このように。
[4]忠良:ちゅうりょう=忠義で善良な・こと(さま)。そういう人をもいう。
[5]爾:なんじ=おまえたち。あなた方。
[6]臣民:しんみん=君主国において、君主に支配されるものとしての人民。旧憲法下において、天皇および皇族を除いた国民。臣。
[7]米英支蘇:べいえいしそ=アメリカ・イギリス・中国・ソ連。
[8]共同宣言:きょうどうせんげん=「ポツダム宣言」のこと。
[9]抑ゝ:そもそも=いったい。だいたい。
[10]康寧:こうねい=やすらかなこと。平穏無事であること。また、そのさま。安寧。
[11]萬邦:ばんぽう=あらゆる国。すべての国。万国。
[12]樂ヲ偕ニスル:たのしみをともにする=喜びを分かち合う。喜びを共有する
[13]皇祖皇宗:こうそこうそう=天皇の始祖と、当代天皇にいたるまでの歴代の天皇。
[14]遺範:いはん=前人ののこした手本。
[15]拳々措カサル所:けんけんおかざるところ=心中強く抱き続けているもの。最も強く戒めるところ。
[16]曩ニ:さきに=以前に。前に。かつて。さきごろ。
[17]所以:ゆえん=わけ。いわれ。理由。
[18]庶幾:しょき=こいねがうこと。望みねがうこと。
[19]固ヨリ:もとより=元来。もともと。
[20]已ニ四歳ヲ閲シ:すでにしさいをけみし=すでに4年を経過し。
[21]百僚有司:ひゃくりょうゆうし=多くの官吏。百官。全官僚。
[22]勵精:れいせい=精神を奮い起こして努めること。精励。
[23]衆庻:しゅうしょ=一般の人々。庶民。
[24]加之:しかのみならず=そればかりでなく。それに加えて。
[25]殘虐ナル爆彈:ざんぎゃくなるばくだん=広島と長崎に投下された原子爆弾のこと。
[26]無辜:むこ=罪のないこと。また、その人。
[27]終ニ:ついに=とうとう。しまいに。
[28]延テ:ひいて=それが原因となって、その結果。
[29]斯ノ如クムハ:かくのごとくんば=そのようなことになれば。そんなことになったら。
[30]赤子:せきし=国民。人民。たみぐさ。
[31]盟邦:めいほう=同盟を結んだ国。同盟国。
[32]非命:ひめい=天の命ずるところでないこと。特に、病死、老死に対して、災害、事故、戦いなどで不慮の死をとげること。横死。
[33]五内:ごない=からだ。全身。五体。
[34]軫念:しんねん=天子の御心。また、天子が深く御心を痛めること。
[35]惟フニ:おもうに=考えてみると。考えてみた ところでは。
[36]衷情:ちゅうじょう=うそやいつわりのない、ほんとうの心。衷心。
[37]萬世:ばんせい=よろずよ。万代。永久。永世。ばんせ。永遠。
[38]太平:たいへい=世の中が平和に治まり穏やかなこと。また、そのさま。
[39]國體:こくたい=国のあり方。国家の根本体制。
[40]赤誠:せきせい=少しもうそや偽りのない心。ひたすら真心をもって接する心。
[41]信倚:しんい=信じてたよること。信頼。
[42]事端:じたん=事柄のいとぐち。事件のはじまり。争いのもと。ことのはし。
[43]同胞:どうほう=同じ国土に生まれた者。同一の国民。また、同一の民族。
[44]排擠:はいさい=他を押しのけたりおとしいれたりすること。
[45]大道:だいどう=人のふみ行なうべき、正しい道。根本の道理。
[46]信義:しんぎ=約束を守り相手に対する道義的な務めを果たすこと。
[47]神州:しんしゅう=神の国。神国。日本で自国の美称として用いた。
[48]道義:どうぎ=人としてふみ行うべき道。道徳。道理。
[49]志操:しそう=主義や考えなどを固く守る意志。志節。
[50]精華:せいか=そのものの本質をなす、最もすぐれている点。真髄。
[51]發揚:はつよう=精神や気分を高めること。勢威などを輝きあらわすこと。
[52]進運:しんうん=進歩・発達する機運。向上する傾向。
[53]意ヲ體セヨ:いをたいせよ=人の考えや気持ちを理解し、それに従え。
<現代語訳>
私は、深く世界の情勢と大日本帝国の現狀について考え、非常処置によってこの情勢を收拾しようと欲し、それで忠義で善良なおまえたち国民に告げる。
私は、大日本帝国政府によってアメリカ・イギリス・中国・ソ連の4ヶ国に対して、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させた。
そもそも大日本帝国国民の安寧を図り、あらゆる国との共栄の喜びを分かち合うことは、天皇の始祖と歴代の天皇の残した手本であって私の心中強く抱き続けているものである。
以前にアメリカ・イギリスの2ヶ国に宣戦した理由もまた実に大日本帝国が自分の力で生存することと東アジアの安定とを望み願ってしたことで、他国の主権を排除し、領土を侵略するようなことは、初めから私の本意ではない。
しかし、戦争はすでに4年経過し、私の陸海軍将兵の勇猛な戦い、私の多くの官吏の精励、私の一億の庶民の奉公、おのおの最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していない。
世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。
そればかりでなく、敵は新たに殘虐な爆弾(原子爆弾)を使用して、しきりに罪のない人々を殺傷し、いたましい被害の及ぶ所はまったく計り知れないぐらいに至っている。
それでもなお戦争を継続していけば、しまいには我が民族の滅亡を招来するだけでなく、その結果人類の文明をも破却させるに違いない。
そのようなことになれば、私はどのようにして 限りなく多い国民を守り、天皇の始祖と歴代の天皇の御霊に謝罪することができようか。
これが、私の大日本帝国政府をして共同宣言(ポツダム宣言)を受諾するに至った理由である。
私は、大日本帝国と共に終始東アジアの解放に協力してきた同盟諸国に対し、遺憾の意を表さざるを得ない。
大日本帝国国民で戦場で亡くなったり、職域で殉職して、不慮の死をとげた者及びその遺族に思いを馳せれば、身が引き裂かれる思いである。
かつ戦傷を負い、災禍を被り、家業を失ってしまった者の厚生に至っては、私も深く心を痛めている。
考えてみると、今後大日本帝国の受けるべき苦難はもともと並大抵なものではない。
おまえたち国民のうそやいつわりのない、ほんとうの心も私はよく知っている。
しかし、私は時のめぐり合わせに従って、耐え難いのを耐え、我慢し難いのを我慢して、もって永世のために世の中が平和に治まり穏やかな道を開こうと欲する。
私は、それで国のあり方を大切に守り保って、忠義で善良なおまえたち国民のひたすら真心をもって接する心に信頼し、常におまえたち国民と共にある。
もし、その感情の激高するまま、みだりに争いのもとを起こしたり、あるいは同一の国民を押しのけたりおとしいれたり、互いにその時の情勢を混乱させ、そのために人のふみ行なうべき、正しい道を誤り、約束を守り相手に対する道義的な務めを果たすことを世界の信用を失墜させるようなことは、私が最も戒めるところである。
よろしく国を挙げて一家として、子孫へ皆で伝え、固く神国日本の不滅を信じ、任務は重く、道が遠いことを思い、総力を未来の建設に傾け、人としてふみ行うべき道を大切にし、主義や考えなどを固く守る意志を固め、必ず国のあり方の真髄を高めて世界の進歩・発達する機運に後れないよう心がけなければならない。
おまえたち国民は、これが私の意志だとよく理解して行動せよ。
昭和天皇の署名及び印
昭和20年8月14日
內閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郞
海 軍 大 臣 米內光政
司 法 大 臣 松阪廣政
陸 軍 大 臣 阿南惟幾
軍 需 大 臣 豊田貞次郞
厚 生 大 臣 岡田忠彥
国 務 大 臣 櫻井兵五郞
国 務 大 臣 左近司政三
国 務 大 臣 下村宏
大 藏 大 臣 廣瀨豐作
文 部 大 臣 太田耕造
農 商 大 臣 石黑忠篤
內 務 大 臣 安倍源基
外務大臣兼
大東亞大臣 東鄕茂德
国 務 大 臣 安井藤治
運 輸 大 臣 小日山直登
〇内閣告諭
本日畏クモ大詔ヲ拜ス帝國ハ大東亞戰爭ニ從フコト實ニ四年ニ近ク而モ遂ニ 聖慮ヲ以テ非常ノ措置ニ依リ其ノ局ヲ結ブノ他途ナキニ至ル臣子トシテ恐懼謂フベキ所ヲ知ラザルナリ
顧ルニ開戰以降遠ク骨ヲ異域ニ暴セルノ將兵其ノ數ヲ知ラズ本土ノ被害無辜ノ犧牲亦玆ニ極マル思フテ此ニ至レバ痛憤限リナシ然ルニ戰爭ノ目的ヲ實現スルニ由ナク戰勢亦必ズシモ利アラズ遂ニ科學史上未曾有ノ破壞力ヲ有スル新爆彈ノ用ヒラルルニ至リテ戰爭ノ仕法ヲ一變セシメ次イデ「ソ」聯邦ハ去ル九日帝國ニ宣戰ヲ布告シ帝國ハ正ニ未曾有ノ難關ニ逢著シタリ 聖德ノ宏大無邊ナル世界ノ和平ト臣民ノ康寧トヲ冀ハセ給ヒ玆ニ畏クモ大詔ヲ渙發セラル 聖斷旣ニ下ル赤子ノ率由スベキ方途ハ自ラ明カナリ
固ヨリ帝國ノ前途ハ之ニ依リ一層ノ困難ヲ加ヘ更ニ國民ノ忍苦ヲ求ムルニ至ルベシ然レドモ帝國ハ此ノ忍苦ノ結實ニ依リテ國家ノ運命ヲ將來ニ開拓セザルベカラズ本大臣ハ玆ニ萬斛ノ淚ヲ呑ミ敢テ此ノ難キヲ同胞ニ求メムト欲ス
今ヤ國民ノ齊シク嚮フベキ所ハ國體ノ護持ニアリ而シテ苟モ旣往ニ拘泥シテ同胞相猜シ內爭以テ他ノ乗ズル所トナリ或ハ情ニ激シテ輕擧妄動シ信義ヲ世界ニ失フガ如キコトアルベカラズ又特ニ戰死者戰災者ノ遺族及傷痍軍人ノ援護ニ付テハ國民悉ク力ヲ效スベシ
政府ハ國民ト共ニ承詔必謹刻苦奮勵常ニ大御心ニ歸一シ奉リ必ズ國威ヲ恢弘シ父祖ノ遺託ニ應ヘムコトヲ期ス
尙此ノ際特ニ一言スベキハ此ノ難局ニ處スベキ官吏ノ任務ナリ畏クモ至尊ハ爾臣民ノ衷情ハ朕善ク之ヲ知ルト宣ハセ給フ官吏ハ宜シク 陛下ノ有司トシテ此ノ御仁慈ノ 聖旨ヲ奉行シ以テ堅確ナル復興精神喚起ノ先達トナラムコトヲ期スベシ
昭和二十年八月十四日
內閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郎
「ウィキソース」より
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1716年(享保元) | 俳人山口素堂の命日(新暦9月30日) | 詳細 |
1808年(文化5) | フェートン号事件が起きる(新暦10月4日) | 詳細 |
1940年(昭和15) | 立憲民政党が解党して、戦前の日本で全政党が解散に至る(大政翼賛会へ合流) | 詳細 |