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 今日は、昭和時代後期の1969年(昭和44)に、冶金学者・化学者村上武次郎の亡くなった日です。
 村上武次郎(むらかみ たけじろう)は、明治時代前期の1882年(明治15)11月10日に、京都府南桑田郡(現在の亀岡市)で生まれました。高等小学校を卒業して小学校の代用教員を務め、その後、京都府師範学校へ入学、卒業後小学校の教諭となります。
 その後上京し、東京高等師範学校へ入学、1907年(明治40)に同校数物化学科を卒業後、京都府立第一高等女学校(現在の京都府立鴨沂高等学校)の教師職に就きました。しかし再び学問を志し、29歳で京都帝国大学純正化学科へ入学、1914年(大正3)に卒業後も大学に残り講師を務めます。
 本多光太郎の懇請で、1916年(大正5)に東北帝国大学臨時理化学研究所へ入所、KS鋼・新KS鋼の研究に携わり、1919年(大正8)には、東北帝国大学講師、理学博士となりました。1923年(大正12)に同大学工学部金属工学科教授に就任、1927年(昭和2)には、『特殊鋼の物理冶金学的研究』で帝国学士院賞を受賞します。
 1936年(昭和11)に東北帝国大学教授となり、金属材料研究所の第3代所長を務め、1939年(昭和14)には、日本金属学会の設立発起人となりました。1942年(昭和17)に第4回日本金属学会賞を受賞、1944年(昭和19)には、東北帝国大学教授を定年退官し、名誉教授となります。
 1950年(昭和25)に日本金属学会の第4代会長となり、1956年(昭和31)に文化勲章受章、1958年(昭和33)に第1回本多記念賞受賞、1959年(昭和34)に仙台市名誉市民となるなど数々の栄誉にも輝きました。特に合金についての状態図、および特殊鋼の組織図などの研究者、顕微鏡組織を見るための村上試薬などで知られましたが、1969年(昭和44)7月29日に、86歳で亡くなっています。

〇村上武次郎関係略年表

・1882年(明治15)11月10日 京都府南桑田郡(現在の亀岡市)で生まれる
・1907年(明治40) 東京高師数物化学科を卒業する
・1914年(大正3) 京都帝国大学理学部純正化学科を卒業する
・1916年(大正5) 東北帝国大学臨時理化学研究所へ入所する
・1919年(大正8) 東北帝国大学講師、理学博士となる
・1923年(大正12) 東北帝国大学工学部金属工学科教授に就任する
・1927年(昭和2) 『特殊鋼の物理冶金学的研究』で帝国学士院賞を受賞する
・1936年(昭和11) 東北帝国大学教授となり、金属材料研究所の第3代所長を務める
・1939年(昭和14) 日本金属学会の設立発起人となる
・1942年(昭和17) 第4回日本金属学会賞を受賞する
・1944年(昭和19) 東北帝国大学教授を定年退官し、名誉教授となる
・1950年(昭和25) 日本金属学会の第4代会長となる
・1956年(昭和31) 文化勲章を受章する
・1958年(昭和33) 第1回本多記念賞を受賞する
・1959年(昭和34)6月10日 仙台市名誉市民となる
・1969年(昭和44)7月29日 86歳で亡くなる。妻ゆうとともに故郷亀岡市の保津町墓地に埋葬されている。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

1855年(安政2)矢田堀景蔵、勝海舟らが長崎海軍伝習所の一期生に選ばれる(新暦9月10日)詳細
1871年(明治4)日清修好条規」が調印される(新暦9月13日)詳細
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