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 今日は、南北朝時代の1352年(観応3)に、室町幕府が「観応の半済令」を発布した日ですが、新暦では9月3日となります。
 「観応の半済令(かんおうのはんぜいれい)」は、室町幕府が近江・美濃・尾張三ヶ国において、一年に限って、荘園・公領の年貢半分の徴収権を守護に認めたものでした。当時は、観応の擾乱と呼ばれる全国的な争乱が続いており、軍費・兵糧の調達のために、主戦場となっていた近江・美濃・尾張三ヶ国の一年分に限って発令されたものでしたが、同年8月には和泉なども加えた八ヶ国に拡大します。
 さらに全国的・永年的に拡大していき、1368年(応安元)6月17日の「応安の半済令」を発布して、皇族・寺社・摂関領などを例外として、全ての荘園年貢について、本所側と守護側武士との間で均分することを永続的に認めるものとなりました。その結果、守護の権益が拡大していくこととなり、守護領国制、守護大名形成へと向かっていくこととなります。
 以下に、「観応の半済令」の全文を現代語訳・注釈付きで掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「観応の半済令」 観応3年(1352年)7月24日発布

一 寺社本所領の事、観応三年七月廿四日の御沙汰
 諸国擾乱[1]に依り、寺社の荒廃、本所の牢籠[2]、近年倍増せり。而してたまたま静謐[3]の国々も、武士の濫吹[4]未だ休まずと云云。仍って守護人に仰せ、国の遠近に依り日限を差し[5]、施行[6]すべし。承引[7]せざる輩に於ては、所領の三分一を分ち召す可し。所帯無くば、流刑に処すべし。若し遵行[8]の後立帰り、違乱[9]致さば、上裁[10]を経ず国中の地頭御家人を相催し、不日[11]に在所に馳せ向ひ、治罰を加へ、元の如く沙汰[12]し雑掌[13]を下地[14]に居え、子細[15]を注申す可し。将又[16]守護人緩怠[17]の儀有らば、其の職を改易[18]す可し。次に近江・美濃・尾張三箇国、本所領半分[19]の事、兵粮料所[20]として、当年一作[21]、軍勢に預け置く可きの由、守護人等に相触れおはんぬ[22]。半分に於ては、宜しく本所に分渡すべし。若し預人[23]事を左右に寄せ[24]、去渡さざれば、一円[25]本所に返付す可す。

    『建武以来追加』より

【注釈】

[1]擾乱:じょうらん=乱すこと。騒乱。
[2]牢籠:ろうろう=苦しみこまること。困窮すること。
[3]静謐:せいひつ=世の中が穏やかに治まっていること。また、そのさま。
[4]濫吹:らんすい=秩序を乱すこと。狼藉。不法行為。
[5]日限を差し:にちげんをさし=あらかじめ期限を定めること。
[6]施行:せぎょう=命令を実施すること。
[7]承引:しょういん=受け入れる。承認する。
[8]遵行:じゅんぎょう=将軍の命を守護が下達すること。
[9]違乱:いらん=法に違反し秩序を乱すこと。
[10]上裁:じょうさい=上奏されたものに対する将軍の裁可。
[11]不日:ふじつ=多くの日を経ないこと。すぐ。ただちに。
[12]沙汰:さた=命令・指示。下知。
[13]雑掌:ざっしょう=本所・領家のもとで荘園に関する訴訟や年貢・公事の徴収などの任にあたった荘官。
[14]下地:したじ=年貢、雑税など、領主の収益の対象となる荘園、所領をいう。田畑だけでなく、山林、塩浜なども含めたもの。
[15]子細:しさい=詳しい事情。一部始終。
[16]将又:はたまた=もしくは。また。
[17]緩怠:かんたい=なまけ怠る。
[18]改易:かいえき=罪科などによって所領・所職・役職を取り上げること。
[19]本所領半分:ほんじょりょうはんぶん=近江・美濃・尾張三ヶ国にある荘園の半分の意味だが、実際は年貢の半分のこと。
[20]兵粮料所:ひょうりょうりょうしょ=兵糧米にあてる所領。
[21]当年一作:とうねんいっさく=今年一年の収穫(実際は年貢)。
[22]相触れおはんぬ:あいふれおはんぬ=通知する。
[23]預人:あずかりにん=本所領半分を預けられた足利尊氏方の武士。
[24]事を左右に寄せ:ことをそうによせ=あれこれ言い逃れをして。
[25]一円:いちえん=ことごとく。すべて。

<現代語訳>

一 寺院・神社。公家などの荘園領主の所領について、観応3年(1352年)7月24日の御命令
 諸国が騒乱により、寺社の荒廃、本所の困窮は、近年倍増してきた。そしてたまたま穏やかに治まっている国々も、武士の狼藉がいまだなくならないという。よって守護人に命じて、任国の都からの遠近によりあらかじめ期限を定めて、命令を実施せよ。承認しない連中については、その者の所領の三分一を割譲させて召し上げよ。所領のない者は、流刑に処せよ。もし将軍の命を守護が下達した後に立帰り、法に違反し秩序を乱したならば、将軍の裁可を経るまでもく国中の地頭・御家人を動員し、すぐに現地に駆けつけ、処罰を加え、元のように命令し荘官に荘園を委ね、一部始終を報告せよ。また、守護人がなまけ怠るようなことが有れば、その職を取り上げること。次に近江・美濃・尾張の三ヶ国、荘園領の年貢の半分については、兵糧米にあてる所領として、今年一年の収穫(実際は年貢)に限り、(足利尊氏方の)軍勢に与えるべきこと、守護人等に通知する。残りの半分については、必ず本所に渡すこと。もし預けられた足利尊氏方の武士があれこれ言い逃れをして、渡さない場合には、すべて本所に返還させることとする。

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