今日は、大正時代の1922年(大正11)に、応用化学者・企業家高峰譲吉の亡くなった日です。
高峰譲吉(たかみね じょうきち)は、江戸時代後期の1854年(嘉永7年11月3日)に、越中国高岡(現在の富山県高岡市)で、加賀藩典医高峰元陸(げんろく)の長男として生まれました。翌年に父の学問所「壮猶館」勤務のため加賀国金沢城下へ移住し、藩校明倫堂で学んだ後、12歳で選抜されて長崎に留学し、オランダ語や英語などを学びます。
引き続き京都の安達兵学塾、大坂の適塾、七尾語学所、大坂医学校で学び、1872年(明治5)に上京して、工学寮(のち工部大学校)に入学しました。1879年(明治12)に工部大学校(現在の東京大学工学部)応用化学科をを首席で卒業、翌年からイギリスのグラスゴー大学へ3年間留学します。
1883年(明治16)に帰国し、農商務省に入省、御用係として和紙、製藍、清酒醸造の研究に従事、翌年にはアメリカ合衆国ニューオリンズで開かれた万国工業博覧会に事務官として派遣されました。1886年(明治19)に専売特許局局長代理となり、特許制度の整備に尽力するとともに、東京人造肥料会社(後の日産化学)を設立、翌年には、米国人キャロライン・ヒッチと結婚します。
1890年(明治23)に渡米しアメリカへ永住することとし、パークデヴィス社顧問となり、1892年(明治25)には、強力消化剤“タカジアスターゼ”の創製に成功、1894年(明治27)にその特許を取得しました。1899年(明治32)に東京帝国大学から名誉工学博士号を授与され、1900年(明治33)に“アドレナリン”の結晶抽出に成功、1902年(明治35)には、ニューヨークに高峰研究所を開設、これらの業績により、1912年(大正元)に帝国学士院賞を受賞します。
1913年(大正2)に一時帰国し、「国民科学研究所」を創立を説き(後に理化学研究所の創立となる)、また三共製薬を創設、帝国学士院会員ともなりました。日本初のアルミニウム製造事業の推進にも取り組み、1919年(大正8)に東洋アルミナムを設立、黒部川電源開発のため、その資材輸送手段として黒部鉄道を設立、1921年(大正10)には、鉄道免許状が下付されます。
世界的名声を得て、巨万の財を成しましたが、1922年(大正11)7月22日に、アメリカのニューヨークで、腎臓炎のため69歳で亡くなりました。
〇高峰譲吉関係略年表(明治5年以前の日付は旧暦です)
・1854年(嘉永7年11月3日) 越中国高岡(現在の富山県高岡市)で、加賀藩典医高峰元陸(げんろく)の長男として生まれる
・1855年(嘉永8年) 父の学問所「壮猶館」の勤務のため加賀国金沢城下の梅本町(現:石川県金沢市大手町)へ移住する
・1865年(慶応元年) 12歳の時、選抜されて長崎に留学する
・1868年(明治元年) 京都の兵学塾、大阪の緒方塾(適塾)に入学する
・1869年(明治2年) 16歳の時、大阪医学校、大阪舎密(せいみ)学校に学ぶ
・1872年(明治5年) 工学寮(のち工部大学校)に入学する
・1879年(明治12年) 工部大学校(現在の東京大学工学部)応用化学科を卒業する
・1880年(明治13年) イギリスのグラスゴー大学への3年間の留学へ出発する
・1883年(明治16年) 帰国し、農商務省に入省、御用係として和紙、製藍、清酒醸造の研究に従事する
・1884年(明治17年) アメリカ合衆国ニューオリンズで開かれた万国工業博覧会に事務官として派遣される
・1886年(明治19年) 専売特許局局長代理となり、特許制度の整備に尽力する
・1886年(明治19年) 東京人造肥料会社(後の日産化学)を設立する
・1887年(明治20年) キャロライン・ヒッチと結婚する
・1890年(明治23年) 渡米しアメリカへ永住することとし、パークデヴィス社顧問となる
・1892年(明治25年) 強力消化剤“タカジアスターゼ”の創製に成功する
・1894年(明治27年) デンプンを分解する酵素を植物から抽出した“タカジアスターゼ”の特許を取る
・1899年(明治32年) 東京帝国大学から名誉工学博士号を授与される
・1900年(明治33年) “アドレナリン”の結晶抽出に成功する
・1902年(明治35年) ニューヨークに高峰研究所を開設する
・1912年(大正元年) 帝国学士院賞を受賞する
・1913年(大正2年) 帰国し、「国民科学研究所」を創立を説き、後に理化学研究所の創立となって実現する
・1913年(大正2年) 三共製薬を創設する
・1913年(大正2年)6月26日 帝国学士院会員となる
・1919年(大正8年) 高峰譲吉らによって 東洋アルミナムが設立される
・1921年(大正10年) 黒部鉄道に鉄道免許状が下付される
・1922年(大正11年)7月22日 アメリカのニューヨークで、腎臓炎のため69歳で亡くなる
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1549年(天文18) | イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸する(新暦8月15日) | 詳細 |
1924年(大正13) | 「小作調停法」が公布(施行は同年12月1日)される | 詳細 |
1953年(昭和28) | 「離島振興法」が公布・施行される | 詳細 |