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 今日は、安土桃山時代の1596年(文禄5)に、慶長伏見地震が起き、伏見城天守が倒壊するなど死者1,000人以上を出した日ですが、新暦では9月5日となります。
 慶長伏見地震(けいちょうふしみじしん)は、子の刻(23時~1時)に起きた、現在の京都・伏見付近を震源とした直下型地震(マグニチュード7.0程度)でした。最大深度は7と推定され、近畿地方で多くの建物が倒壊するなどしましたが、特に京都と伏見の間は被害が大きかったとされます。これによって、完成したばかりの伏見城の天守や二の丸御殿が倒壊、石垣・櫓等も損壊し、城内だけで600人が圧死したとされ、京都では東寺・天龍寺・二尊院・大覚寺等が倒壊、方広寺の大仏などが崩れ、大坂・堺・兵庫で家々が倒壊、淡路島でも洲本城が崩壊するなどして、死者は1,000人以上とされてきました。
 著名な死者としては加賀爪政尚、横浜一庵などがいて、豊臣秀吉は木幡山へ避難、後陽成天皇から一般の民衆まで 多くが屋外で生活せざるを得なくなったとされます。この7日前に慶長伊予地震(M7.0)、4日前に慶長豊後地震(M7.0)が起きていて、これらの天変地異が影響して、同年10月27日に文禄から慶長へと改元が行われ、その後、1605年(慶長9年12月16日)に慶長地震(M7.9)、1611年(慶長16年8月21日)に慶長会津地震(M6.9)、1611年(慶長16年10月28日)に慶長三陸地震(M8.1)と大地震が続き、これらの地震をまとめて、「慶長の大地震」とも呼ばれてきました。

〇慶長の大地震一覧

・1596年(文禄5年閏7月6日)慶長伊予地震[伊予地域]M7.0
・1596年(文禄5年閏7月9日)慶長豊後地震[豊後地域]M7.0 大津波が来襲し別府湾沿岸で家屋がほとんど流失、死者708人。
・1596年(文禄5年閏7月13日)慶長伏見地震[畿内地域]M7.5 伏見城天守閣が大破、石垣が崩れ500余人圧死、堺で死者600余人。
・1605年(慶長9年12月16日)慶長地震[東海・南海・西海諸道地域]M7.9 津波が犬吠埼から九州まで太平洋岸に来襲、死者多数。
・1611年(慶長16年8月21日)慶長会津地震[会津地域]M6.9 若松城下などで寺社・家屋が倒壊し死者3,700余人。
・1611年(慶長16年10月28日)慶長三陸地震[三陸沿岸・北海道東岸地域]M8.1 沿岸で家屋が多数流出、伊達領内で死者1,783人、北海道東部でも溺死者多数。

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

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