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 今日は、昭和時代前期の1943年(昭和18)に、太平洋戦争下において、大政翼賛会が唱歌「みたみわれ」を発表し、この歌を中心に国民皆唱運動を展開し始めた日です。
 唱歌「みたみわれ」は、『万葉集』に掲載されている、734年(天平6)に海犬養岡麻呂が聖武天皇の詔に応へ奉つた和歌(「愛国百人一首」に選定)に、山本芳樹が曲を付け、日中戦争で右腕切断の負傷を負った東京音楽学校助教授伊藤武雄が独唱したものでした。この歌の解釈は、「天皇の民である私は生きている甲斐があることよ。天地が栄える時に生まれ合わせたと思うので。」という意味で、1943年(昭和18)に大政翼賛会により「国民の心を明るくのびのびとさせるような運動」として、国民皆唄運動が展開される中で、指定歌曲とされます。
 大政翼賛会は『海ゆかば』と並んで決戦下の国民が斉唱するにふさわしい国民歌を創ることとし、日本音楽文化協会と共催で、「愛国百人一首」の海太養岡麻呂作の「御民吾 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に 遇へらく念へば」の一首を選定して、作曲を募集することとしました。1943年(昭和18)2月20日締切で、国民の斉唱に適するピアノ伴奏つきの歌曲で、当選者一名に賞状および副賞として千円を出すとして応募します。
 その結果、山本芳樹の曲が採用されることになり、同年7月6日に発表されました。また、これにあわせた『皇民の舞(みたみのまい)』という、警視廳警察主事河田新吉が振り付けた体操も創作されます。
 この唱歌は、当時の国民学校(小学校)の教科書にも記載され、児童生徒が折節に唄わされました。
 参考までに、1943年4月刊行の軍歌集『楽譜 国民の歌』(大政翼賛会宣伝部選)に収載されている曲名の一覧を載せておきます。

〇軍歌集『楽譜 国民の歌』(大政翼賛会宣伝部選)1943年4月刊行の収載曲

・海ゆかば
・愛国行進曲
・大政翼賛の歌
・大詔奉戴日の歌
・靖国神社の歌
・産報青年隊歌
・大日本青少年団歌
・大日本婦人会会歌
・世紀の若人
・国民進軍歌
・少国民進軍歌
・軍艦行進曲
・敵は幾万
・来れや来れ
・雪の進軍
・太平洋行進曲
・興亜行進曲
・愛馬進軍歌
・この決意
・進め一億火の玉だ
・戦ひ抜かう大東亜戦
・必勝の歌
・アジヤの力
・アジヤの青雲
・大日本の歌
・大東亜決戦の歌
・大東亜戦争陸軍の歌
・大東亜戦争海軍の歌
・月月火水木金金
・英国東洋艦隊潰滅
・空の勇士
・燃ゆる大空
・荒鷲の歌
・空征く日本
・航空決死兵
・空襲なんぞ恐るべき
・露営の歌
・暁に祈る
・護れ太平洋
・南へ進む日の御旗
・南進男児の歌
・婦人従軍歌
・白百合
・忠霊塔の歌
・出征兵士を送る歌
・十億の進軍
・兵隊さんよ有難う
・さうだその意気
・めんこい仔馬
・進め少国民
・くろがねの力
・朝だ元気で
・今年の燕
・箱根千里
・胸を張つて
・愛国の花
・楽しい奉仕
・元気で皆勤
・子を頌ふ
・日本の母の歌
・有難うさん
・利鎌の光
・日本のあしおと
・僕等の団結
・村は土から
・朝
・椰子の実
・かどでの朝
・世界の果までも
・若い力
・われらをみなは
・日の出島
・娘田草船
・山は呼ぶ野は呼ぶ海は呼ぶ

〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)

723年(養老7)古事記』の編者太安万侶の命日(新暦8月11日)詳細
1858年(安政5)江戸幕府第13代将軍徳川家定の命日(新暦8月13日)詳細
1940年(昭和15)奢侈品等製造販売制限規則」(七・七禁令)が交布され、翌日施行される詳細