今日は、江戸時代前期の1639年(寛永16)に、江戸幕府が「寛永十六年七月令」(第五次鎖国令)を布告し、ポルトガル船の入港禁止し、幕府による貿易管理が完成した日ですが、新暦では8月4日となります。
「寛永十六年七月令(かんえいじゅうろくねんしちがつれい)」は、江戸幕府によって発布された、鎖国政策の一環をなす法令の最後のもので、「第五次鎖国令」とも呼ばれ、内容は、ポルトガル船の入港禁止でした。それ以前、1633年(寛永10)に「第一次鎖国令」(奉書船以外の渡航禁止、海外に5年以上居留する日本人の帰国禁止など)、1634年(寛永11)に「第二次鎖国令」(第一次鎖国令の再通達、長崎に出島の建設を開始)、1635年(寛永12)に「第三次鎖国令」(東南アジア方面への日本人の渡航及び日本人の帰国を禁止)、1636年(寛永13)に「第四次鎖国令」(貿易に関係のないポルトガル人とその妻子287人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を出島に移す)が出され、その後、1641年(寛永18年)の平戸オランダ商館の出島移転によって鎖国が整います。
これにより、キリスト教国(スペインとポルトガル)の人の来航と日本人の東南アジア方面への出入国を禁止し、貿易を管理・統制・制限した対外政策が続けられることとなりました。この状態は、ペリーの来航による1854年(嘉永7)の「日米和親条約」締結まで続くこととなります。
以下に、「寛永十六年七月令」(第五次鎖国令)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「寛永十六年七月令」(第五次鎖国令) 1639年(寛永16年7月5日)発布
一 日本国被成御制禁候切支丹[1]宗門[2]之儀、乍存其趣弘彼宗之者、今ニ密々指渡[3]之事
一 宗門[2]之族結徒党企邪儀[4]、則御誅罰[5]之事
一 伴天連[6]同宗旨[7]之者、かくれ居所江彼国[8]よりつけ届物[9]送りあたふる事
右因茲自今以後[10]かれうた[11]渡海之儀、被停止之畢、此上若差渡ニおいては破却其船、并乗来者速可被処斬罪[12]之旨、所被仰出也、仍執達[13]如件
寛永十六年卯七月五日
対馬守(阿部重次) 豊後守(阿部忠秋)
伊豆守(松平信綱) 加賀守(堀田正盛)
讃岐守(酒井忠勝) 大炊頭(土井利勝)
掃部頭(井伊直孝)
『徳川禁令考 前集第六』による
【注釈】
[1]切支丹:きりしたん=日本に伝えられた、キリスト教ローマカトリックの信徒。また、そのキリスト教そのもの。
[2]宗門:しゅうもん=宗派。宗旨。
[3]密々指渡:みつみつさしわたる=密かに日本へやってくること。
[4]邪儀:じゃぎ=悪いこと。よからぬこと。ここでは、島原の乱を指す。
[5]誅罰:ちゅうばつ=処罰。
[6]伴天連:ばてれん=キリスト教が日本に伝来した当時のカトリックの宣教師。
[7]宗旨:しゅうし=ある宗教・宗派の教義の中心となる趣旨。
[8]彼国:かのくに=ポルトガルを指す。
[9]つけ届物:つけとどけもの=仕送りの物。
[10]自今以後:じこんいご=今後。
[11]かれうた=ガレオタ船のこと。ポルトガル船を指す。
[12]斬罪:ざんざい=死刑。打ち首。
[13]執達:しったつ=上位の者の意向・命令などを下位の者に伝えること。通達。
<現代語訳>
一、日本国が禁止しているキリスト教について、その趣旨を知りながら、キリスト教を布教する者が、今でもこっそり渡航してくること。
一、キリスト教徒が徒党を組んで(島原の乱のような)よからぬことを企てれば、直ちに処罰すること。
一 宣教師や信徒の者が、隠れているところへポルトガル国から仕送りの物が届けられること。
右の理由により、今後ポルトガル船の来航はこれを禁止する。この上もし渡航してくれば、その船を破却し、ならびに乗組員は速やかに打ち首とされる旨、命じられた。よってこのように通達する。
寛永十六年卯七月五日
対馬守(阿部重次) 豊後守(阿部忠秋)
伊豆守(松平信綱) 加賀守(堀田正盛)
讃岐守(酒井忠勝) 大炊頭(土井利勝)
掃部頭(井伊直孝)
☆「鎖国」完成までの略年表(日付は旧暦です)
・1612年(慶長17年3月) 幕領に禁教令を出す
・1616年(元和2年8月) 明朝以外の船の入港を長崎・平戸に限定する
・1620年(元和6年) 平山常陳事件で英蘭が協力してポルトガルの交易を妨害し、元和の大殉教に繋がる
・1623年(元和9年11月) イギリスが業績不振のため平戸商館を閉鎖する
・1624年(寛永元年3月) スペインとの国交を断絶、来航を禁止する
・1628年(寛永5年) タイオワン事件の影響で、オランダとの交易が4年間途絶える
・1631年(寛永8年6月) 奉書船制度の開始で朱印船に朱印状以外に老中の奉書が必要となる
・1633年(寛永10年2月28日) 「第1次鎖国令」(奉書船以外の渡航禁止、海外に5年以上居留する日本人の帰国を禁止)が出される
・1634年(寛永11年) 「第2次鎖国令」(第1次鎖国令の再通達。長崎に出島の建設を開始)が出される
・1635年(寛永12年5月) 「第3次鎖国令」(中国・オランダなど外国船の入港を長崎のみに限定、東南アジア方面への日本人の渡航及び日本人の帰国を禁止)が出される
・1636年(寛永13年5月19日) 「第4次鎖国令」(貿易に関係のないポルトガル人とその妻子287人をマカオへ追放、残りのポルトガル人を出島に移す)が出される
・1637年(寛永14年) 島原の乱が始まり、幕府に武器弾薬をオランダが援助する
・1639年(寛永16年7月5日) 「第5次鎖国令」(ポルトガル船の入港禁止)が出される
・1640年(寛永17年) マカオから通商再開依頼のためポルトガル船来航、徳川幕府が使者61名を処刑する
・1641年(寛永18年4月) オランダ商館を平戸から出島に移す
・1643年(寛永20年) ブレスケンス号事件でオランダ船は日本中どこに入港しても良いとの徳川家康の朱印状が否定される
・1644年(正保元年) 中国にて明が滅亡し、満州の清が李自成の順を撃破して中国本土に進出。明再興を目指す勢力が日本に支援を求める(日本乞師)が、徳川幕府は拒絶を続ける
・1647年(正保4年) ポルトガル船2隻、国交回復依頼に来航、徳川幕府は再びこれを拒否、以後、ポルトガル船の来航が絶える
・1673年(延宝元年1月) リターン号事件でイギリスとの交易の再開を拒否、以降100年以上、オランダ以外のヨーロッパ船の来航が途絶える
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1141年(建保3) | 僧侶・臨済宗の開祖栄西の命日(新暦8月1日) | 詳細 |
1590年(天正18) | 北條氏直が小田原城を開城して豊臣秀吉に降伏し、秀吉の天下統一が完成する | 詳細 |
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