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 今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、「義勇兵役法」(昭和20年法律第39号)が公布・施行された日です。
 「義勇兵役法(ぎゆうへいえきほう」は、それまでの「兵役法」の徴兵対象を拡大して新たな兵役義務を課すした法律(昭和20年法律第39号)でした。太平洋戦争の末期に戦局が悪化し、本土決戦に備えるため、防空、警防、空襲被害の復旧などに全国民を動員するために、1945年(昭和20)3月23日に、小磯国昭内閣が「国民義勇隊組織ニ関スル件」として閣議決定し、まず国民義勇隊が組織されることとなり、同年6月には、既存の「大政翼賛会」、「大日本婦人会」、「大日本翼賛壮年団」、「大日本青少年団」などを解散のうえ統合します。地域では、町内会・部落会を単位小隊とする市町村国民義勇隊となり、職場では、官公署・工場・会社などを単位小隊とする職域国民義勇隊とされました。
 さらに6月23日には、この法律を公布・施行、「大東亞戰爭ニ際シ帝國臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」(第1条)とされ、16~61歳の男子、17~41歳の女子をもって「国民義勇戦闘隊」が編成され、「義勇召集ヲ免ルル爲逃亡シ若ハ潛匿シ又ハ身體ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作爲シ其ノ他詐僞ノ行爲ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス」(第7条)されます。そして、軍との協力、施設防護、情報通信連絡、軍道路補修等の支援に当たらされました。
 しかし、敗戦後の8月21日に閣議で義勇隊の廃止が決定され、9月2日に解散することになり、10月24日には、「軍事特別措置法廃止等ニ関スル件」(昭和20年勅令第604号)により、法律も廃止されています。
 以下に、「義勇兵役法」(昭和20年法律第39号)の全文を掲載しておきますので、ご参照下さい。

〇「義勇兵役法」(昭和20年法律第39号)1945年(昭和20)6月23日公布・施行

第一條 大東亞戰爭ニ際シ帝國臣民ハ兵役法ノ定ムル所ニ依ルノ外本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス

 本法ニ依ル兵役ハ之ヲ義勇兵役ト稱ス

 本法ハ兵役法ノ適用ヲ妨グルコトナシ

第二條 義勇兵役ハ男子ニ在リテハ年齡十五年ニ達スル年ノ一月一日ヨリ年齡六十年ニ達スル年ノ十二月三十一日迄ノ者(敕令ヲ以テ定ムル者ヲ除ク)、女子ニ在リテハ年齡十七年ニ達スル年ノ一月一日ヨリ年齡四十年ニ達スル年ノ十二月三十一日迄ノ者之ニ服ス

 前項ニ規定スル服役ノ期閒ハ敕令ノ定ムル所ニ依リ必要ニ應ジ之ヲ變更スルコトヲ得

第三條 前條ニ揭グル者ヲ除クノ外義勇兵役ニ服スルコトヲ志願スル者ハ敕令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ義勇兵ニ採用スルコトヲ得

 前項ノ規定ニ係ル義勇兵ノ服役ニ關シテハ敕令ノ定ムル所ニ依ル

第四條 六年ノ懲役又ハ禁錮以上ノ刑ニ處セラレタル者ハ義勇兵役ニ服スルコトヲ得ズ但シ刑ノ執行ヲ終リ又ハ執行ヲ受クルコトナキニ至リタル者ニシテ敕令ヲ以テ定ムルモノハ此ノ限ニ在ラズ

第五條 義勇兵ハ必要ニ應ジ敕令ノ定ムル所ニ依リ之ヲ召集シ國民義勇戰闘隊ニ編入ス

 本法ニ依ル召集ハ之ヲ義勇召集ト稱ス

第六條 義勇兵役ニ關シ必要ナル調査及屆出ニ付テハ命令ノ定ムル所ニ依ル

第七條 義勇召集ヲ免ルル爲逃亡シ若ハ潛匿シ又ハ身體ヲ毀傷シ若ハ疾病ヲ作爲シ其ノ他詐僞ノ行爲ヲ爲シタル者ハ二年以下ノ懲役ニ處ス

 故ナク義勇召集ノ期限ニ後レタル者ハ一年以下ノ禁錮ニ處ス

第八條 前條ノ規定ハ何人ヲ問ハズ帝國外ニ於テ其ノ罪ヲ犯シタル者ニモ亦之ヲ適用ス

第九條 國家總動員法第四條但書中兵役法トアルハ義勇兵役法ヲ含ムモノトス

附則

本法ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

       「ウィキソース」より

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