今日は、明治時代中頃の1890年(明治23)に、俳人杉田久女の生まれた日です。
杉田久女(すぎた ひさじょ)は、鹿児島県鹿児島市で、大蔵省書記官の父・赤堀廉蔵と妻・さよの三女として生まれましたが、本名は久(ひさ)と言いました。12歳になるまで、父の転勤に伴って、沖縄県那覇市、台湾嘉義県、台北市と移住して過ごしますが、俳人赤堀月蟾の妹として幼くして句作になじみます。
1908年(明治41)に、東京女子高等師範学校附属高等女学校(現在のお茶の水女子大学附属高等学校)を卒業、翌年には、旧制小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)の美術教師で画家の杉田宇内と結婚し、九州の小倉へ移住しました。1911年(明治44)に長女の昌子が誕生、1916年(大正5)に次女の光子が誕生した頃から、小説家志望をあきらめ、投句を始めます。
1917年(大正6)に「ホトトギス」1月号に初めて出句、同年5月に飯島みさ子邸での句会で初めて高浜虚子に出会い、師事するようになりました。1920年(大正9)に腎臓病を患い離婚話が持ち上がったものの、1922年(大正11)には、夫婦揃って洗礼を受けクリスチャンとなります。
1931年(昭和6)に「谺して山ほととぎすほしいまま」で、帝国風景院賞金賞20句に入選、翌年には、女性だけの俳誌「花衣」を創刊し主宰しましたが、5号で廃刊となりました。同年10月に中村汀女・竹下しづの女などとともに「ホトトギス」同人となったものの、1936年(昭和11)には、理由不明のまま、日野草城、吉岡禅寺洞とともに「ホトトギス」同人を除名されています。
その後も投句を続けましたが、1939年(昭和14)に「俳句研究」7月号掲載の「プラタナスと苺」42句以降発表作が途絶えました。晩年は神経を病み、太平洋戦争後の1945年(昭和20)10月、食料難により栄養障害を起こし福岡県立筑紫保養院に入院、翌年1月21日に腎臓病の悪化により、同院において、55歳で亡くなっています。
尚、長女の石昌子によって、1952年(昭和27)に『久女句集』、1968年(昭和43)に『久女文集』が出版されました。
<代表的な句>
・「谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまゝ」帝国風景院賞金賞受賞
・「足袋つぐや ノラともならず 教師妻」(杉田久女句集)
・「花衣ぬぐや まつはる紐 いろ/\」
・「紫陽花に 秋冷いたる 信濃かな」
・「朝顔や 濁り初めたる 市の空」
〇主要な著作
・『久女句集』(1952年 角川書店)
・『久女文集』石昌子編(1968年 私家版)
・『杉田久女句集』石昌子編 角川書店 1969
・『杉田久女遺墨』石昌子編(1980年、東門書屋)
・『杉田久女全集』全2巻(1989年、立風書房)
・『続・杉田久女遺墨』(1992年、立風書房)
・『杉田久女随筆集』(2003年 講談社文芸文庫)
☆杉田久女関係略年表
・1890年(明治23)5月30日 鹿児島県鹿児島市で、大蔵省書記官の父・赤堀廉蔵と妻・さよの三女として生まれる
・1902年(明治35) 東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属高等女学校に入学する
・1908年(明治41) 東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)附属高等女学校を卒業する
・1909年(明治42)8月 旧制小倉中学(現・福岡県立小倉高等学校)の美術教師で画家の杉田宇内と結婚し、小倉に移住する
・1911年(明治44) 長女の昌子が誕生する
・1916年(大正5) 次女の光子が誕生する、投句を始める
・1917年(大正6) 「ホトトギス」1月号に初めて「鯛を料るに俎板せまき師走かな」を出句する
・1917年(大正6)5月 飯島みさ子邸での句会で初めて高浜虚子に出会う
・1920年(大正9) 腎臓病を患い離婚話が持ち上がる
・1922年(大正11) 夫婦揃って洗礼を受けクリスチャンとなる
・1931年(昭和6) 大阪毎日新聞社、東京日日新聞社共催の「日本新名勝俳句」に応募し、「谺して山ほととぎすほしいまゝ」が帝国風景院賞金賞20句に入選する
・1932年(昭和7)3月 女性だけの俳誌「花衣」を創刊し主宰する
・1932年(昭和7)9月 俳誌「花衣」を5号で廃刊とする
・1932年(昭和7)10月 中村汀女・竹下しづの女などとともに「ホトトギス」同人となる
・1936年(昭和11)10月 理由不明のまま、日野草城、吉岡禅寺洞とともに「ホトトギス」同人を除名される
・1939年(昭和14) 全句を書き出して自選を行い俳人としての人生を総括する
・1939年(昭和14) 「俳句研究」7月号掲載の「プラタナスと苺」四二句以降発表作が途絶える
・1945年(昭和20)10月 太平洋戦争後の食料難により栄養障害を起こし福岡県立筑紫保養院に入院する
・1946年(昭和21)1月21日 腎臓病の悪化により、福岡県立筑紫保養院において、55歳で亡くなる
・1952年(昭和27) 没後、『久女句集』(角川書店)が出版される
・1968年(昭和43) 『久女文集』(私家版)が出版される
〇同じ日の過去の出来事(以前にブログで紹介した記事)
1950年(昭和25) | 「文化財保護法」が公布される(文化財保護法公布記念日) | 詳細 |
1968年(昭和43) | 「消費者保護基本法」が公布される | 詳細 |
2006年(平成18) | 映画監督・脚本家今村昌平の命日 | 詳細 |