今日は、昭和時代前期の1945年(昭和20)に、「戦時教育令」(昭和20年5月22日勅令第320号)が公布・施行された日です。
「戦時教育令(せんじきょういくれい)」は、太平洋戦争末期に教育を決戦体制に即応させるために定められた勅令でした。空襲が激化し、本土決戦が唱えられる緊迫した事態の下で、1945年(昭和20)3月18日に小磯国昭内閣は、「決戦教育措置要綱」を閣議決定し、国民学校初等科以外の生徒・学生をすべて通年の勤労動員の対象とし、授業そのものを4月1日から1年間停止するとしますが、その法的措置として、同年5月21日に「昭和20年5月22日勅令第320号」として制定され、翌日公布されたものです。
この勅令には特に上諭が付せられましたが、これは「教育勅語」を引用し、「一且緩急ノ際ハ義勇奉公ノ節ヲ効サンコトヲ論シ給へり」と前提し、「今ヤ戦局ノ危急ニ臨ミ朕ハ忠誠純真ナル青少年学徒ノ奮起ヲ嘉シ」とあり、学徒に対し最後の奉公を要請、その本分を「尽忠報国」にあるとしたものでした。決戦下の基本的教育方針、「学徒隊」の組織、戦時生活における教育のあり方などを定めています。
その中には、在学中軍人となったとき、および動員中死亡または傷痍を受けたときは学校卒業と認めること、教職員については「学徒の薫化」の任務を全うすることとされていました。敗戦後の8月21日に、文部省では廃止が決定され、9月12日に国民学校および中等学校に対して戦時教育を平時教育へ転換させることについての緊急事項が指示され、さらに9月26日には疎開児童の復帰が指示されています。法令としては、10月6日の「戦時教育令廃止ノ件」(昭和20年10月6日勅令第564号)により廃止されました。
以下に、、「戦時教育令」(昭和20年5月22日勅令第320号)を全文掲載しておきますので、ご参照下さい。
〇「戦時教育令」(昭和20年5月22日勅令第320号)
第一条 学徒ハ尽忠以テ国運ヲ雙肩ニ担ヒ戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身シ平素鍛錬セル教育ノ成果ヲ遺憾ナク発揮スルト共ニ智能ノ錬磨ニ力ムルヲ以テ本分トスベシ
第二条 教職員ハ率先垂範学徒ト共ニ戦時ニ緊切ナル要務ヲ挺身シ倶学倶進以テ学徒ノ薫化啓導ノ任ヲ全ウスベシ
第三条 食糧増産、軍需生産、防空防衛、重要研究等戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身セシムルト共ニ戦時ニ緊要ナル教育訓練ヲ行フ為学校毎ニ教職員及学徒ヲ以テ学徒隊ヲ組織シ地域毎ニ学徒隊ヲ以テ其ノ連合体ヲ組織スルモノトシ二以上ノ学徒隊ノ一部又ハ全部ガ同一ノ職場ニ於テ挺身スルトキハ文部大臣ノ定ムル場合ヲ除クノ外其ノ職場毎ニ教職員及学徒ヲ以テ学徒隊ヲ組織シ又ハ学徒隊ヲ以テ其ノ連合体ヲ組織スルモノトス
学徒隊及其ノ連合体ノ組織編制、教育訓練、指導監督其ノ他学徒隊及其ノ連合体ニ関シ必要ナル事項ハ文部大臣之ヲ定ム
第四条 戦局ノ推移ニ即応スル学校教育ノ運営ノ為特ニ必要アルトキハ文部大臣ハ其ノ定ムル所ニ依リ教科目及授業時数ニ付特例ヲ設ケ其ノ他学校教育ノ実施ニ関シ特別ノ措置ヲ為スコトヲ得
第五条 戦時ニ際シ特ニ必要アルトキハ学徒ニシテ徴集、召集等ノ事由ニ因リ軍人(陸海軍ノ学生生徒ヲ含ム)ト為リ、戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身シテ死亡シ若ハ傷痍ヲ受ケ又ハ戦時ニ緊要ナル専攻学科ヲ修ムルモノハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ正規ノ期間在学セズ又ハ正規ノ試験ヲ受ケザル場合ト雖モ之ヲ卒業(之ニ準ズルモノヲ含ム)セシムルコトヲ得
第六条 本令中文部大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、関東州及満洲国ニ在リテハ満洲国駐箚特命全権大使、南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トス
附則
本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
「文部省ホームページ」より
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